空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

青木繁展

2011-06-28 21:49:13 | アート・文化

 京都国立近代美術館で開催中の「青木繁展」を見た。

 没後100年を記念して、関西では初めて開かれる回顧展だそうである。

 「わだつみのいろこの宮」や「海の幸」などは美術の教科書に載っていたりして有名なので知っていたが、画業全体を見渡す展覧会で、これだけの作品を見るのは初めて。

 28歳で逝った画家だから、作品数は多くはなかったけれども、青木繁という人が天才的な画家だったということがよくわかった。

 「海の幸」はさすがにすばらしい。後で描き直したといわれる群像の中の福田たねの表情が、思った以上に見る者に迫ってくる。

 海を描いた他の作品や、人物画(恋人・福田たね、たねとの間に生まれた長男・幸彦=のちの福田蘭堂の肖像画はとくによかった)、神話や聖書、歴史にインスピレーションを得て描かれた作品群にも心をひかれた。絶筆となった「朝日」はモネの「印象 日の出」よりよほどいい。

 技術もさることながら、絵に対する情熱、人間のとらえ方、文学的センス、神話・歴史に対する関心と想像力の豊かさが伝わってきて、28歳という若さで失意のうちに亡くなったということが残念でならない。

 明治という時代に、これほどの画家がいたということに改めて驚かされた。

 生前は世に知られず、亡くなった翌年、友人の坂本繁二郎、梅野満雄らによって遺作展が開かれ、さらに翌年、画集が刊行されたことで、人々の絶賛を浴びたことも、初めて知った。

 もし、彼らの行動がなかったなら、青木繁の作品は世に知られることなく散逸していたかもしれないのだ。

 友人たちが苦労して遺作展を開かずにはおられなかったほど、青木繁という画家はすごい存在だったのだろう。

 


テンペスト

2011-06-20 21:35:49 | 映画

 ジュリー・テイモア監督の「テンペスト」を見た。

 10年ぐらい前に、ジュリー・テイモア監督の「タイタス」を見て、彼女の演出の才能に魅かれた。ミュージカル「ライオンキング」で、文楽やインドネシアの仮面劇にヒントを得て、あの有名な動物の衣装というか装置を考えた演出家である。

 「テンペスト」も「タイタス」もシェイクスピア劇だ。シェイクスピア劇のすばらしさは、能、文楽、歌舞伎など日本の伝統演劇と同様、人間の典型と普遍性を描いている点だ。古めかしく、型にはまったセリフやストーりーの中に、どの時代、どの世界にも通じる人間の有り様が見えてくる。

 昔のシェイクスピア劇を映画化した作品、たとえばイギリスの名優、ローレンス・オリビエの「ハムレット」や「オセロ」、エリザベス・テイラー、リチャード・バートンの「じゃじゃ馬ならし」などは、舞台をそのまま映画化したような内容だったが、「タイタス」は、反吐が出るような残酷劇であるにもかかわらず、重厚で美しい映像表現に感動した覚えがある。

 「テンペスト」は、ジュリー・テイモア監督のシェイクスピア劇であり、主演が、これも私が好きなヘレン・ミレンだから、ずっと前から上映を楽しみにしていた映画だ。

 ヘレン・ミレンという女優を初めて見たのは、NHK-BSで放映されていた「第一容疑者」というイギリスのテレビ・ドラマ。もう若くはない女性刑事を演じていて、男社会で生きていく生身の女の生活感が何とも言えずよかった。とても好きなドラマだった。

 ちなみに、イギリスのテレビドラマは、シリアスドラマでも、コメディーでも、あちこちに皮肉や、屈折したユーモアがちりばめられていて、気に入っている。

 ヘレン・ミレンはその後、テレビでエリザベス1世、映画でエリザベス2世を演じ、いろいろな賞を総なめにしている。

 「テンペスト」は、原作では、主人公がミラノ大公プロスペローという男なのだが、ヘレン・ミレンも、ジュリー・テイモア監督も、女性を主人公にしてやりたいと同時に思っていて、それがこの映画化につながったという。

 ヘレン・ミレンの演じる女性は、「第一容疑者」の女性刑事でも、エリザベス女王でも、「テンペスト」のプロスペラでも、生身の女性の体温が感じられる。だから、見ている者は、ヘレン・ミレン演じる女性の痛みや悲しみ、怒りを共有することができる。

 「テンペスト」の主人公を女に変え、それをヘレン・ミレンが演じたことは、この映画を成功させた大きな要素になっていると思う。

 「テンペスト」も、「タイタス」と同様復讐劇だが、「タイタス」の主人公は、アンソニー・ホプキンス演じるタイタス・アンドロニカス将軍で、徹底的な復讐があらゆる者の命を奪い、何も生み出さない悲劇で終わっている。いわば、不寛容な男性原理のもたらす悲劇である。

 「テンペスト」は、シェイクスピアの最後の作品で、復讐劇ではあるけれども、最後は許しで終わる。主人公を女にしたことによって、それもヘレン・ミレンが演じることによって、復讐劇も、娘を見守る母親としての愛情も、最後に許すことを選ぶプロスペラの寛容も、自然に納得がいく。女性原理は、時には世界を滅ぼしもするが、一方で豊かなものを生み出す大地でもあるからだ。

 ジュリー・テイモアの演出は、今回もすばらしいものだった。

 プロスペラが幼い娘を抱いてたどり着いた島の先住民・怪物キャリバンを、西アフリカ・ペニン出身の黒人俳優ジャイモン・フンスーが演じている。キャリバンが登場したとたんに、観客は、彼が黒人であり、後から島にやってきてキャリバンを征服し酷使するプロスペラが白人であることを認識しないわけにはいかない。

 自由の身にしてやるという約束のために、プロスペラの手足となって変幻自在に飛び回る妖精エアリエルは、映画ならではの描き方がされていて、とても美しかった。もう一人の主人公と言えるかもしれない。

 許すことを選択したプロスペラは、洞窟の宮殿に築き上げた研究装置を壊し、最後に魔法の本と杖を海に投げ入れる。魔法の本が海の底へ沈んでいく映像とともに歌のようなプロスペラのセリフが流れる。

 セリフの言葉をはっきりとは覚えていないけれども、わたしには今の世界、とりわけ、東北大震災と福島原発事故を体験した日本へのメッセージのように思えた。

 「怒り狂った大地と海の神よ、どうか怒りを鎮めたまえ。原子という火を盗んで、傲慢にもコントロールしようとした人間の愚かさを許したまえ。そして、自然と人間、人と人が、支配し、支配されることをやめ、すべてが調和のとれた、平和な世界にもどれますように」という祈りの言葉に聞こえた。


佐渡裕×ベルリンフィル

2011-06-12 23:40:08 | アート・文化

 土曜夜には、NHKBSで、佐渡裕さんが指揮したベルリン・フィル定期演奏会を聞いた。それに先立って放送された密着ドキュメンタリーも見た。

 佐渡裕さんは、阪神大震災前に私が住んでいた西宮市に創設された兵庫県立芸術文化センターの芸術監督で、佐渡さんが指揮する定期演奏会やオペラはいつもチケットが売り切れる。いつか聞きたいと思いながら、生で聞いたことがない。

 ベルリン・フィルは、歴代指揮者がそうそうたる顔ぶれで、カール・ベームのあと常任指揮者に着任したカラヤンでさえ手を焼いたという伝説がある。

 佐渡さんも、ファースト・コンタクトと言われる練習で、ショスタコービチの5番を、自分の解釈で演奏してもらうのに苦労したようだ。はじめは、いちいち演奏を止めて説明が入ることに、団員は戸惑っていたが、だんだん佐渡さんの意図が分かってくると、指示通りに演奏するようになる。

 演奏曲目は、武満徹の「フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム」、ショスタコービチの交響曲第5番。どちらもベルリンフィル側からの希望だそうだ。

 「フロム・ミー……」がすばらしかった。カーネギーホール100周年を記念して、ボストン交響楽団と小沢征爾のために委嘱された曲だそうだが、武満らしい、自然と交流しているような音楽だ。とくにパーカッションは、東北地方大震災で破壊された大地を吹き渡り、もろもろの命や人々の心の傷をやさしく癒して天に戻っていく風のようだと思った。

 ショスタコービチの5番は、学生時代から聞き慣れたバーンスタイン、NYフィルの、ロシアの大地のような重厚な演奏が刷り込まれているので、最初のうちは違和感があったが、第1楽章が進み、第2楽章、第3楽章と聞くうちに、佐渡さんの演奏に引き込まれていった。

 佐渡さんが、第3楽章はレクイエムだと言ったように、やはり、東北大震災とイメージが重なって、泣いてしまった。第4楽章の闘争的な音楽も、立ち上がる人々の姿が重なって、感動的だった。

 団員が舞台から去っても聴衆の拍手は止まず、佐渡さんが舞台袖に出てきて挨拶していたが、聴衆も、きっと、東北大震災と演奏曲目とを重ねて聞いて、心が揺り動かされたにちがいない。

 佐渡さんの心の中にも、東北大震災の被災地や人々への祈りがずっとあったと思う。

 この時期に、佐渡さんがベルリン・フィルを指揮したことに、何かの意思が働いているように感じる。


白川静×内田樹

2011-06-12 01:24:47 | アート・文化

 土曜日、雨の中を、立命館大学(衣笠キャンパス)に行ってきた。内田樹・神戸女学院大名誉教授の「私が白川静先生から学んだこと」という講演会を聴講するためである。

 新聞に「先着500人、直接会場へ」と出ていたので、午後2時開演の2時間前に行ったら大丈夫だろうと出かけたが、ひょっとしたら事前申し込みが必要なのではと心配になり、万が一、講演を聴けなかったときのために、大学近くの龍安寺や仁和寺でも拝観してまわろうと、駅の売店で京都の地図を買った。

 立命館大は、今は北西端の衣笠山麓に引っ越して、交通の便が悪い。私鉄、京都地下鉄と電車を乗り継いで、二条駅バス停で待っていたら、運よくすぐにバスが来て、大学についたのは正午過ぎ。久しぶりに大学というところに足を踏み入れた。雨も上がり、広々とした構内には緑が多くて、気持ちがいい。

 会場の以学館に行ったら、まだ受け付けていなかったので、警備のおじさんに学食を教えてもらい、ご飯、鯖のみそ煮、ゴーヤチャンプルーでお昼を済ませて、再び会場に行くと、すでに数人が並んでいた。事前に申し込みをしていなくてもOKだったので、めでたく先着10人目ぐらいで会場に入れた。

 白川静先生は、もっとも尊敬する学者であり、人間的にも、男性としても魅力的で、私の理想の人である。晩年の文字講話を聞きに行って、ご高齢にもかかわらず、緻密かつ熱のこもったお話に感動した。

 内田樹さんからは、『私家版・ユダヤ文化論』『寝ながら学べる構造主義』を読んで目からうろこを落としてもらい、ブログを愛読しては、ものの考え方、現象のとらえ方を学ばせてもらっている。

 その内田樹さんが、敬愛する白川静さんについて、どんなことを話されるのか、興味深かった。私の中では、白川静先生と内田樹さんとが結びついていなかったから。

 白川静先生の『孔子伝』を軸にして話されたのがまず気に入った。『孔子伝』はご著書の中でも特に感銘を受けた本である。

 以下、講演要旨。

 白川静先生から学んだことは、その文体、祖述するという立ち位置、呪術的な世界構造という見方だという。

 まず、その文体を支えているものは、圧倒的な学問的素養という堅牢な外側と、その背景にあるやわらかな生活者の経験知である。これは、森鴎外、漱石、中島敦、石川淳など、漢文の素養のある人に特徴的な文体で、白川静先生はその最後の人だろう。

 2番目の祖述するということについて。祖述とは、先人の説を受け継ぎ、それを発展させて述べることと『明鏡国語辞典』にある。

 孔子は、周公の治績という理想的な過去の時代について述べることで、だから、われわれも努力することで、そのような素晴らしい世の中を作ることができるのだという可能性を示した。

 幕末から明治にかけての知識人の基本的な姿勢は、海外の最も良質なものを、自国の状況に合わせてパッケージにして、自国の読者に提示するというものだった。

 彼らには、だから、オリジナリティーがないという批判は当たらない。そもそも、オリジナリティーなるものは存在しないのだ。

 祖述するという立ち位置は、オリジナリティーという型にとらわれることから解き放たれ、主体性を回復するものである。

 師と仰ぐレヴィナスは「始原の遅れ」というふうに述べている。「私は他者に絶対的に遅れている」と覚知し、そこから出発するしかない。そういう覚知こそが人間性の核にあるものではないか。 

 白川静先生も、2000年前の古代中国について述べながら、一般論ではなく、同時代の日本人に向かって強いメッセージを放っている。

 3番目の呪術的世界構造という見方について。古代中国は呪詛と祝福に満ちていた世界である。この状況は、現代においても、基本的は変わっていない。

 米原子力空母エンタープライズ号に抗議する新左翼学生のいでたちは、ヘルメット、ゲバ棒、赤旗だった。これは戦国時代の兜、竹槍、旗指物と同じ、きわめて呪術的な光景で、自分の古層が揺り動かされたようなショックを受けた。

 いまの政治家を見ても、イデオロギーや政策論争よりも、プリミティブな身体感覚のやり取りで政党政治が行われている。

 天神地祇を祀るということを、どういう形で現代に回復するかが課題だ。

 大いに同感すると同時に、私が今、考えているいくつかの問題について、考えるヒントをもらった講演会だった。

 講演会場はほぼ満員で、集まった質問用紙はこれまでにない枚数だったと、司会の加地伸行・立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所長が驚いておられた。白川静ファン、内田樹ファン、両方のファンが集まったということだろう。

 来週、再来週も、白川静の『孔子伝』、白川静の漢字教育というテーマで講座が開かれる。できれば、また出席したい。


ぎりぎり正常値

2011-06-10 21:26:26 | 健康・病気

 半年前、高脂血症の治療を始めて、頸動脈のエコーを取ったが、今日は二度目のエコー検査を受けた。

 一回目の検査では、1ミリ以下であるべき頸動脈の血管壁が厚いところで1・6ミリもあった。

 ずっと下がり続けていた悪玉コレステロールの数値が、先日の血液検査ではちょっと上がっていて、薬も変えられたので、エコー検査は自信がなかった。

 ベッドに横になって、頸動脈が映し出される画面を見ながら、先生が説明する。

 「ここが以前は1・6ミリあった箇所ですね。測ってみましょう。やあ、すばらしい。0.9ミリになっていますよ」

 以前、正常値を超えていた箇所が、すべて正常値ぎりぎりの1ミリ以下になっていた。

 血液の流れもよく、この調子で頑張って、ぎりぎり正常値をもっと下げられるよう、がんばりましょう、ということになった。

 自信がなかっただけに、うれしかった。

 今までの生活の仕方から類推して、どういうところを改善すればいいか、分かるので、今後、頑張る点は運動と、食塩を減らすことかな。

 薄味では物足りない両親に付き合っているうちに、塩分を取りすぎていることはわかっていた。

 それから、コレステロールを減らす効果のある食材をもっと採ること。

 今朝、インターネットで、インドネシアの大豆発酵食品、テンペを注文した。薬師寺近くの週末カフェ和三のランチで、サラダに入っていたのが、テンペだった。

 納豆の親戚みたいな食品だが、臭いはあまりないし、いろいろな料理に使える。納豆と同じく、高コレステロールを改善する食品だ。

 納豆と比べるとお値段は高いが、しばらく続けてみようと思っている。

 


遠い山なみの光

2011-06-07 22:54:29 | 本と雑誌

 『わたしを離さないで』を読んで以来、カズオ・イシグロにはまってしまった。

 気に入った作家の作品は、続けざまに、飽きるまで読むのが私の読書の仕方である。その点、カズオ・イシグロの作品は多くはないので助かる。

 図書館にある彼の作品は、相変わらずどれも貸出中なので、買って読むしかない。

 最新刊の短編集『夜想曲集』を読み、次いで最初の長編小説『遠い山なみの光』を読み終えた。

 『わたしを離さないで』と同様、短編集でも、『遠い山なみの光』でも、読者を引っ張って離さない手腕は変わらない。

 サスペンスや、推理小説は、犯人は誰だろう、結末はどうなるのだろうという興味で引っ張られる。

 カズオ・イシグロの手法は、小説の主人公、あるいは語り手の心理に、読者を同調させるのである。

 その心理というのも、はっきりした感情や、意志というようなものではなく、主人公、あるいは語り手の、明確にできない、判断できない、理解できない、時には、本人さえ気づいていないような心の動きである。

 その心の動きを表現するのに、会話や、過去の記憶が巧みに使われている。

 作者は、もちろん、ある程度は計算して書いているのだが、それがあまりにも計算通りだったら、作為が目立ってしまう。

 ところが、カズオ・イシグロの作品は、作為を感じさせない。

 最初の長編小説『遠い山なみの光』も、最新長編小説『わたしを離さないで』も、舞台設定も、時代も違うが、テーマは一貫している。

 すなわち、人は生きていくのに、その時、その時を理解し、的確に判断を下して前に進んでいるのではない。分かっているつもりでも、井の中の蛙の理解にすぎないし、予想や意志どおりに世界は動かない。

 つまり、不条理の中を、手探りで、けれども、その時、その時の自分を信じて進むしかない。

 進むのに必要なのは、希望である。その希望も、本人が確実だと思っていても、確実を保証するものは何もない。本人が確実だと思っているだけだ。

 希望とは呼べないほどの、遠くに見える薄明りのような不安なものであっても、それを足がかりに、人は前に進まなければならない。

 それが生きるということである。

 仏教的に言えば、この世は不条理以外の何ものでもないが、それをそのまま描いては文学にならない。不条理をどのように描くか、というところから、文学が始まる。

 『わたしを離さないで』は、舞台設定そのものが不条理であったが、その中で精いっぱい生き抜く主人公たちの姿が感動を呼ぶ。

 『遠い山なみの光』は、戦後間もない日本、それも原爆投下の傷跡が残る長崎で生きる人々を語り手の記憶を通して描いている。

 語り手の悦子は、長崎にいるときには、人生の不条理にはっきりとは気付いていない。周りの人間が不満や不安の中で手探りで生きていることを、悦子と相手との会話によって、悦子の記憶をたどることによって、霧の中の風景のように浮かび上がらせている。その手法が見事である。

 悦子自身は、人生の決断をして長崎からイギリスへ行く。その過程で、いくつもの不条理の波に翻弄される。しかし、彼女は、後悔していないし、絶望していない。日常の生活がこれからも続くだろう。

 そうだなあ、そういうふうに誰もが生きていくのよね。いろいろあるけど、わたしも生きていかなくちゃ。

 というような希望が、読者の心に残る。


ホトトギス

2011-06-03 08:38:13 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜、思いきり悪口を書いて、悪しきカルマを積んでしまったので、朝から気分が悪い。これは悪しきカルマを少しでも善き方へと誘うためのブログ。

 昨日、自宅から実家に戻る途中、夕暮れのあぜ道を歩きながら、ホトトギスの鳴き声を聞いた。

 自宅は山地に開かれた公団住宅で、目の前にゴルフ場の広大な林があり、夏になるとホトトギスがしきりに鳴く。ホトトギスの鳴き声を、それだと意識して聞くようになったのも、阪神大震災で取り壊しになった街中の公団住宅から、今のところに引っ越してからだ。早朝はもちろん、夜でも鳴き声が聞こえる。

 実家近くでホトトギスの声を聴いたのは初めてだった。どこで鳴いているのだろうと周りに聞き耳をたてていたら、どうやら田んぼの真ん中の小山の中から聞こえてくるようだ。

 ホトトギスの鳴き声は特徴があるので、古来、和歌や、物語、俳句などに登場するのは、姿より声である。それだけ人里近くで鳴いていたということだろう。

 地方によって聞こえ方は違って、「テッペンハゲタカ」だったり、「トッキョキョカキョク」だったりする。父母の故郷、種子島では「トッピイ取れたか」と鳴くそうである。トッピイとはトビウオのことだ。

 ホトトギスと言えば、唱歌「夏は来ぬ」にうたわれているように、卯の花が必ず登場するが、ホトトギスが鳴くころに、山道にも、生垣にも、卯の花が雪のように咲いて、良い香りを放つ。

 昔も、今も、清楚な花の美しさ、清らかな香りは、人をノスタルジックにする。 

 ホトトギスを詠んだ歌で、一番に思い出すのは、後白河法皇の皇女で、激しく変化する時代の波に翻弄された、式子内親王の歌。

 ほととぎすそのかみ山の旅枕ほのかたらひし空ぞわすれぬ

 式子内親王の歌の師は、『千載和歌集』を編んだ藤原俊成で、この歌は、俊成の息子、定家が編んだ『新古今和歌集』にも採られている。

 この歌をめぐって、「ほの語らいし」相手は誰なのか、いろいろ取沙汰されている。著者の名前は忘れてしまったが、法然説をとなえた本を読んで、想像力をかきたてられたこともある。

 誰であるにせよ、空間的にも、時間的にも広がりを持つこの歌は、読む者にいろいろなことを想像させる。

 卯の花のことは詠まれていないのに、夜の闇にどこからともなく漂ってくる卯の花の香りさえ感じられる。名歌だ。


茶番

2011-06-02 22:15:19 | 日記・エッセイ・コラム

 悪しきカルマを積まないために、人の悪口は言わないようにしてきたが、今日の菅内閣不信任案の提出、否決というニュースを見て、あまりにも国民を愚弄しているので、思いきり悪口を言わせてもらいたい。

 大震災の被災者の救済、特に、福島原発事故を何とか収めるためにあらゆる努力をすることを、政治家は今、第一に考えなくてはならないのに、足を引っ張り合っている場合ではないだろうと、多くの国民は思っているはずだ。

 菅総理の震災対策がうまくいっているとは言えないが、誰かほかの人が総理であったとしても、今のように批判されるのではないか。何しろ、菅内閣は、今まで自民党が、自らの都合のいいようにこさえてきた既存の官僚や政治システムを使うしかないのだから、うまく行くはずがないのだ。

 阪神大震災のときは、自社大連立の村山内閣だったから、今回のような批判が出なかっただけのことだ。それでも、被災地では、政治家があまりにも無神経、無知なので、震災被害で傷ついた上に、その後の震災対策の非人間的なやり方に、さらに心を傷つけられ、絶望的になったという話は無数にある。

 今回は、野党ばかりでなく、民主党内からも批判が出ているが、批判している議員たちは、それぞれの立場で、震災の被災者救済のため、原発事故収束のために、何かできることをしたのだろうか。

 国会に先立って開かれた民主党の代議士会で、菅総理が目途がたったら退陣すると言ったとたんに、鳩山前首相や、原口元総務相が、あらかじめ用意されたような演説をするのを聞いて、政権を担当する与党の一員としての自覚がなく、自分のことを棚に上げたその恥知らずな内容に、聞いている方が恥ずかしかった。なんという茶番だ。

 さらに、不信任案を提出した自民党の大島副総裁や、石原幹事長の菅内閣批判演説を聞いて、「それは、そっくりお前らのやってきたことだろう」と、思わずテレビに向かって怒鳴ってしまった。

 石原は「科学的根拠なしに原発を止めるとはとんでもない」と言っていたが、科学的根拠なしに、原発を作り続け、今回のような大事故に至らしめたのは、お前たち自民党と経済界だろう、と言ってやりたい。

 科学的根拠にもとづいて、安全な原発を作るためには(10万年も核のゴミを監視しなければならないような原発が安全であるはずはないのだが)、日本の経済力をはるかに超えたお金がかかる。それに目をつぶって、想定を低くして、原発を作り、電力を限りなく消費する社会・経済システムをつくってきたのだ。

 戦前の政治家、軍部が、都合の悪いことは考えないようにして、ただただ戦争を拡大し、自国、他国の民衆を無駄死にさせたのと、どう違うのだと言いたい。

 次の選挙まで、国民を愚弄する今回の茶番を忘れないようにして、無知蒙昧、恥知らずな政治家を国会に送らないように、もっと賢く、もっと執念深く、政治を監視しなくては。

 おっと、マスコミに対する悪口を忘れていた。

 新聞、テレビは、野党および、小沢とその周辺が菅批判、菅おろしに動いたとき、政治家どもの菅批判をそのまま垂れ流しにして、自らの目、頭、足を使って検証するような報道がなかった。

 それが、足を引っ張り合っている場合ではないだろうという世論が気になったのか、新聞も、テレビも、世論に迎合する方向に変わってきたが、依然として、誰が、本当はどういう理由で菅批判・菅おろしをやっているのか、それは国民のためになるのかという検証は見られない。

 だから、国民の目には、永田町で、議員どもが訳の分からない足の引っ張り合いをやっているとしか見えない。

 マスコミは、もっと、自分の目、自分の頭(自分の目や頭があればの話だが)で、取材、報道するべきだ。ニュース解説などで、やたらに「今後の検証が必要です」と言うけれども、自らの報道の検証も必要なのでは?