空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

パーリ語3年目、「ダンマパダ」を読む

2016-01-31 15:11:35 | 日記・エッセイ・コラム

 仏縁で知り合った女性たちとパーリ語の勉強会を始めて、今年で3年目。

 1月上旬に、新年会を兼ねて、私の家で、今年初めての勉強会を開いた。メンバーのYさんを除いて、 三人が集まった。

 食事は、年末に産消提携運動でたくさん届いた野菜や豚肉をつかって、豆腐ハンバーグと、野菜サラダ、ニンジンスープ。

 5分づきのお米と、昨年のシーズン時に冷凍しておいたエンドウマメで作った豆ごはんのメニュー。

 みなさん、とても喜んで食べてくれた。

 パーリ語は、今年から「ダンマパダ」を訳することになった。

 去年までやっていた「ミリンダ王の問い」は、私たちにパーリ語の基礎を教えてくださった華蓮尼さんが勧めてくださったテキストだ。

 それ以前にやっていた「宝経」は、初心者がいきなりエべレストに登るようなもので、難しい。「ミリンダ王の問い」は散文だし、物語なので、読みやすいというのが、推薦の理由だ。

 アレキサンダー大王が東方遠征中に死んで、遠征軍がギリシャに引き上げた後も、アフガニスタン・北インドの地にはヘレニズム系の王国が残った。

 その王がメナンドロス一世=ミリンダ王で、当時人々の尊敬を集めていた仏教の指導者、ナーガセーナ尊者に、仏教についてのさまざまな質問をし、それに尊者が答えたのが「ミリンダ王の問い」である。

 このギリシャとインドの出会いが、ガンダーラ美術を生み、仏像を生んでいくのである。

 ギリシャ的論理を重んじるミリンダ王の問いと、それに比喩をもって答えるナーガセーナ尊者のやりとりが興味深い。

 日本で唯一翻訳が出ているのが東洋文庫、中村元訳の「ミリンダ王の問い」。

 中村元さんの訳は、原始仏典の研究を踏まえた上での、意訳が多い。

 私たちは、できるだけ文法的に解釈していって、訳することを心がけているので、ともかく、直訳するとどうなるかに重きを置いている。

 だから、なぜ、このパーリ語の文章が、中村さんのような訳になるのか、いつも議論になった。

 基礎的知識のない私たちにとっては、「エベレスト」のような難しいテキストであることに変わりはなかった。

 私たちが読んだのは「ミリンダ王の問い」のごく一部だが、ブッダの存在や、輪廻転生についての問答は、比喩自体が理解出来なかった。

 華蓮尼さんが用意してくださったプリントが終わったので、原始仏典の中で最も有名、かつ古い仏典として知られる「ダンマパダ」を読むことになった。

 もともと、お釈迦様の時代の話し言葉に近い、パーリ語仏典の「ダンマパダ」を原典で読み、お釈迦様の教えに近づきたいと思ったのが、パーリ語を習う動機だった。

 パーリ語の勉強会の前夜は、いつも徹夜状態になる。

 余裕をもって予習ができず、学生時代の悪しき慣習である、一夜漬けから抜け出せないからである。

 三人で、ああでもない、こうでもないと議論しながら、辞書と教科書をひっくり返しながら、やっと、「ダンマパダ」の第1章「対句」の第1を訳した。

 中村元さんの訳(岩波文庫『ブッダの真理の言葉 感興の言葉』所収)によると

  第1章 ひと組ずつ 

   1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりする

          ならば、苦しみはその人につき従う。車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。

   2 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりす

          るならば、福楽はその人につき従う。影がそのからだから離れないように。

となっている。

 1と2でひと組になっているので、第1章は「対句」(ひと組ずつ)と題されている。

 三人で、いろいろ討論したおかげで、一人で辞書を引きながら予習をしていたときには分からなかった箇所が、文法的にも納得できた。

 文字通りの、「三人寄れば文殊の知恵」である。

 来月は一人が会を辞め、一人は仕事が忙しくて休むので、二人での勉強会になるが、がんばって続けるつもり。

 

 


初登山

2016-01-05 11:27:57 | 日記

 明けましておめでとうございます。

 今年も、無事新年を迎えることができた。

 昨日、今年初の登山をした。といっても、近所の山、六甲縦走路の東の端、譲葉山、行者山へと続く途中の小さな峰。標高400mぐらいかな。

 それでも、晴れた日には、丹波の山々、生駒山、葛城山、金剛山、二上山、大阪のビルディング街、大阪湾、遠く紀州の山々まで一望できる。雨上がりのときには、大阪平野全体にかかる虹を見たこともある。

 今年のお正月は、各地、記録的な暖かさだと言っていたが、薄着ででかけても、大汗をかいた。

 久しぶりの山道なので、ちょっと関節が痛み、息があがったが、すぐに足も慣れ、呼吸も整った。

 山頂でいつものように般若心経を唱えて、谷沿いに降りてきた。いつも取るコースは、このほかに尾根沿いのコースもあって、こちらはやや岩が多くて足元注意のコース。

 谷沿いを降りたのには理由がある。お正月のお花の材料、松、笹、ナンテン、ユズリハ、ウラジロを採取するためだ。

 いつも、このコースを歩いて、お正月の花材をいただいている。

 ウラジロが生えている場所は、この山歩きで知り合った植物博士ばりの知識をもつご老人に教えてもらった。

 今年の暖かさが異常だというのが本当だと思ったのは、もう花を開いているコバノミツバツツジの株を見たときだ。

 汗びっしょりになっての初登り、とても気持ちがよかった。

  ~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~

 大みそかから元日は、実家に泊まった。空き家になっているが、両親亡き後、毎年、この家で年を越すことにしている。

 昨年秋は、産消提携運動のグループ「求める会」の収穫感謝祭やらなにやらで忙しく、実家の風通しや草抜きをサボっていたので、とても気になっていた。家中の窓を開け、掃除をした。

 昨年秋、母の5年祭、父の3年祭をやったとき、両親の写真がまだ床の間に飾ってあったのを、曽祖父母たちの写真が並んでいる鴨居に移して欲しいと弟に頼んだが、その通りに、鴨居に両親の写真があったので、うれしかった。この弟の家族が、仕事が一段落してから、この家に住むことになっている。

 元日、神棚の水、酒、お米を替えて、大祓の祝詞をあげる。そのあと、お墓に行って、ていねいに掃除をして、花を替えて、般若心経をあげる。

 昼過ぎに弟夫婦がやってきた。私が用意してきたお雑煮と弟夫婦が持ってきたお寿司で、新年の食事をする。

 庭に出て、庭木の剪定の相談をする。一昨年までは、植木屋さんに頼んでいたが、昨年からは弟夫婦が道具をそろえて、手入れをしている。

 いつも甘くて大きな実をたくさんつけるキンカンが、今年は小さくて、味ももうひとつだ。

 1年おきにしか実をつけない柚子は、とげだらけの枝を高く伸ばしている。

 とりあえず、柚子と、やたらに伸びたコノデガシワの枝を、高枝切りばさみで切った。

 弟が買った草刈り機も試したが、私の力では、長く作業をするには重たい。鎌と芝刈りばさみでやるのが、いちばんいいようだ。

 父が亡くなって、いかに父がきめ細やかに庭の手入れをしていたかが、あらためて分かった。

 父は、立って庭仕事ができなくなっても、椅子に坐って、草抜きをしたり、切り落とした枝を、堆肥になりやすいように、はさみで小さく切ったりしていた。

 施設に入ってからは、そういう仕事ができなくなった。できうれば、最後まで、庭仕事をさせてあげたかったとしきりに思う。