仏縁で知り合った女性たちとパーリ語の勉強会を始めて、今年で3年目。
1月上旬に、新年会を兼ねて、私の家で、今年初めての勉強会を開いた。メンバーのYさんを除いて、 三人が集まった。
食事は、年末に産消提携運動でたくさん届いた野菜や豚肉をつかって、豆腐ハンバーグと、野菜サラダ、ニンジンスープ。
5分づきのお米と、昨年のシーズン時に冷凍しておいたエンドウマメで作った豆ごはんのメニュー。
みなさん、とても喜んで食べてくれた。
パーリ語は、今年から「ダンマパダ」を訳することになった。
去年までやっていた「ミリンダ王の問い」は、私たちにパーリ語の基礎を教えてくださった華蓮尼さんが勧めてくださったテキストだ。
それ以前にやっていた「宝経」は、初心者がいきなりエべレストに登るようなもので、難しい。「ミリンダ王の問い」は散文だし、物語なので、読みやすいというのが、推薦の理由だ。
アレキサンダー大王が東方遠征中に死んで、遠征軍がギリシャに引き上げた後も、アフガニスタン・北インドの地にはヘレニズム系の王国が残った。
その王がメナンドロス一世=ミリンダ王で、当時人々の尊敬を集めていた仏教の指導者、ナーガセーナ尊者に、仏教についてのさまざまな質問をし、それに尊者が答えたのが「ミリンダ王の問い」である。
このギリシャとインドの出会いが、ガンダーラ美術を生み、仏像を生んでいくのである。
ギリシャ的論理を重んじるミリンダ王の問いと、それに比喩をもって答えるナーガセーナ尊者のやりとりが興味深い。
日本で唯一翻訳が出ているのが東洋文庫、中村元訳の「ミリンダ王の問い」。
中村元さんの訳は、原始仏典の研究を踏まえた上での、意訳が多い。
私たちは、できるだけ文法的に解釈していって、訳することを心がけているので、ともかく、直訳するとどうなるかに重きを置いている。
だから、なぜ、このパーリ語の文章が、中村さんのような訳になるのか、いつも議論になった。
基礎的知識のない私たちにとっては、「エベレスト」のような難しいテキストであることに変わりはなかった。
私たちが読んだのは「ミリンダ王の問い」のごく一部だが、ブッダの存在や、輪廻転生についての問答は、比喩自体が理解出来なかった。
華蓮尼さんが用意してくださったプリントが終わったので、原始仏典の中で最も有名、かつ古い仏典として知られる「ダンマパダ」を読むことになった。
もともと、お釈迦様の時代の話し言葉に近い、パーリ語仏典の「ダンマパダ」を原典で読み、お釈迦様の教えに近づきたいと思ったのが、パーリ語を習う動機だった。
パーリ語の勉強会の前夜は、いつも徹夜状態になる。
余裕をもって予習ができず、学生時代の悪しき慣習である、一夜漬けから抜け出せないからである。
三人で、ああでもない、こうでもないと議論しながら、辞書と教科書をひっくり返しながら、やっと、「ダンマパダ」の第1章「対句」の第1を訳した。
中村元さんの訳(岩波文庫『ブッダの真理の言葉 感興の言葉』所収)によると
第1章 ひと組ずつ
1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりする
ならば、苦しみはその人につき従う。車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。
2 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりす
るならば、福楽はその人につき従う。影がそのからだから離れないように。
となっている。
1と2でひと組になっているので、第1章は「対句」(ひと組ずつ)と題されている。
三人で、いろいろ討論したおかげで、一人で辞書を引きながら予習をしていたときには分からなかった箇所が、文法的にも納得できた。
文字通りの、「三人寄れば文殊の知恵」である。
来月は一人が会を辞め、一人は仕事が忙しくて休むので、二人での勉強会になるが、がんばって続けるつもり。