空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

なぜ「贈与論」か -〝ギフト〟考 その2-

2021-06-24 23:42:58 | 日記・エッセイ・コラム

 友人と発行している同人紙からの転載です。発行が再開されたにもかかわらず、コロナ禍その他の理由で立夏号の発行が遅れているため、先にブログに転載しました。

 

 なぜ「贈与論」か  -“ギフト〟考  その2-

 前回で、「ギフト考」と題しながら、本筋とは少し離れた内容を書いた。

今回は、なぜ「ギフト」について考えようと思ったのか書いてみようと思う。

ちなみに、学術書などでは「贈与」論、「贈与」説と記述していることが多いのだが、「贈与」を「ギフト」と言いかえた方が、学術論から離れて、自由にイメージを広げることができるような気がしている。

 前回、文化人類学者、岩田慶治さんの著書、『道元の見た宇宙』で、マルセル・モースの「贈与論」を知ったこと、それを拡張解釈した「言霊(ことだま)論」を紹介した。

この考え方に出会って、世界の見方が変わったといっても過言ではない。

私は直感的に物事をとらえるほうだ。

映画を見ても、音楽を聴いても、美術作品を見ても、ある一点に強く惹かれて、その作品が記憶に残り、強く惹かれた一点の持つ意味を考えてしまう。

しかし、なぜ、惹かれたのか、なぜいつまでも記憶に残り、考えてしまうのか、自分でも理解できないことが多々あった。

 両親に介護が必要になったのは、10年以上も前になるだろうか。

そのころは付きっきりの介護はまだ必要がなくて、基本的には実家で生活し、週に1、2度、片道2時間かけて実家から自宅に戻るという生活を続けていた。

途中、電車の乗り換え駅で古書店を見つけ、時々立ち寄るようになった。

少し前から仏教書に親しむようになっていて、その頃は、道元が生涯をかけて書き継いだ『正法眼蔵』に取り組んでいたのだが、あまりの難解さに、途中で投げ出していた。

 ある時、その古書店で岩田慶治さんの『道元の見た宇宙』を見つけた。

私は、書店で本を手に取ると、まず、あとがきを読む。本の内容や筆者の意図が大体つかめるからだ。

『道元の見た宇宙』のあとがきのページを開けたとたん、いきなり心をつかまれ、夢中で読み進めた。

 岩田さんは、あとがきで、『正法眼蔵』を読むということについて次のように書いている。(紙面の関係でメモ書きでしか紹介できないのが残念)

 ◆本を読む〈とき〉は、本との出会いの〈とき〉である。〈出会いのとき〉は〈無心のとき〉でなければならない。

 ◆読むことは対話することである。対話することによって自分の存在を確かめ、自分のアイデンティティーを手に入れることができる。

 ◆(対話している)二人のコミュニケーションを成立させていたのは、実は、対坐している二人を包む場所である。文字や、言葉や、音の流れではなくて、対坐する二人でさえもなくて、二人を受けとめていた場所が対話の本当の主人公。

 ◆『正法眼蔵』を読むことは、『正法眼蔵』と自分が置かれている場所を読むことである。辞書不要、文法不要。もっぱら、そのとき、その場所に突入しなければならないのである。

 ◆〈時空〉を捨てる。文化の中に仕組まれた〈時空〉の尺度、座標軸を捨ててしまうと、そこに驚くべきことが起こる。新しい風景が見えてくる。

 ◆<時空>を捨てると、それまで見えなかったものが見えてくる。見えない世界から見える世界が誕生する、そういう万物創造の現場に立ちあうことになるのである。

 ◆岩田さんは文化人類学を4つの領域に分類し、第4の型、自他を究明しようとする学問の型を「自分づくり型」と名付けている。自他をあるがままに映す、全体を、宇宙を映す、そのための鏡をつくる学問で、これが道元の途にぞくすると言っている。  

 自分を取り囲んでいる、「文化の中に仕組まれた<時空>の尺度」を捨て、自他をあるがままに映すことは容易ではないが、辞書片手に言葉と格闘し、理解しようとしないで、ただ心の赴くままに本を読むように、読書の姿勢が変わっていった。

 『正法眼蔵』はもちろんのこと、『道元の見た宇宙』も、依然として難解であることに変わりはない。

しかし、途中で投げ出すということをせず、少し時間を置いては再び本を手に取り、繰り返し読む。繰り返し読んでいるうちに、前方にぼんやりと光が見える気がしたり、手探りしながらも面白いと感じたり、ばらばらに浮遊していた言葉たちが、突然、ひとつの世界を語り始めるということが起こってくる。

 そのように、読み進めていくうちに、岩田さん独自の「贈与論」、「言霊論」に出会ったのである。

岩田さんの解説による「贈与説」と、それを拡張解釈した「言霊論」をもう一度記してみよう。

【贈与説】AがBに贈り物をする。贈り物をもらったBは機会をとらえて、Aに贈り物のお返しをする。Aの贈り物には、Aの霊魂が付着している。BはAの霊魂をもとの主人に送り返すためにも、機会をみて贈り物をAに送り届けなければならない。そのように、贈り物、「もの」であると同時に情報でもあるものは、いわば霊魂のレールにのって去来するのである。モースはそのように考えた。

【言霊論】霊魂というのは目に見えない場所であり、身体をこえてひろがった精神の空間、伸縮する空間なのである。贈り物とともに霊魂が去来すると考えるのは、私とあなたはたがいに同じ命の場を共有している、同じ目に見えない土壌の上に生きている、ということを「もの」 の去来を通して確認するためなのである。霊=場所の上を運ばれてゆくから、言(こと)=記号が相手に届き、相手からの返信がかえってくるのである。

 岩田さんの「贈与説」「言霊論」に出会ってのち、音楽や、映画、美術作品に心惹かれたときは、「ギフト」という視点を持つようになり、「もの」とともに、霊(たま)が去来する、その場をイメージするようになった。

すると、その作品たちが、単に表現されたものの枠をはみ出して、もっと拡がりを持った世界、深い意味を示し始めることがたびたび起こった。啓示といってもよい。

 映画「蜜蜂と遠雷」では、著名なピアニストで、今は故人となったホフマンから、コンクール出場者、風間塵を推薦する手紙が審査員たちに送られてくる。

その手紙には、「この少年をギフトと取るか厄災と取るかは、諸君の裁量しだいだ」と書かれていて、審査員たちを困惑させる。

私がこの「ギフト」という言葉に直感的に反応したのは、以上のような理由による。 

 風間塵は、この世界のあらゆる現象のなかに、音楽を感じることができる少年として描かれている。

蜜蜂の羽音も遠雷も音楽だ。音楽は、この世界、宇宙からの「ギフト」であり、音楽を演奏するということは、この世界、宇宙へ、ギフトのお返しをするということなのである。

岩田さん流に言えば、世俗的な、音楽という〈時空〉の尺度を捨て、万物創造の現場に立ちあっている。

 『道元の見た宇宙』を読み進めているころに続けて観た、心に残る2本の映画がある。「テンペスト」と、「大鹿村騒動記」だ。

 「テンペスト」はシェイクスピア最後の戯曲だ。

女性であるジュリー・テイモア監督は主人公のプロスペローを女性に変えて、時には世界を滅ぼしもするが、一方では豊かなものを生みだす大地であるという女性原理を象徴的に使うなど、様々な新しい演出を試みている。

 ミラノ大公であったプロスペローは、大公の地位を奪った弟、アントーニオの一行が乗った船を難破させ、登場人物たちは魔法を駆使したプロスペローの復讐劇に振り回される。

しかし、最後にプロスペローは復讐を思いとどまり、魔法の本と杖を海に投げ入れる。

魔法の本が海に沈んでいく映像とともに、和解と再生を願うプロスペローの、歌のようなセリフが流れるシーンはとても美しい。

 テイモア監督は、ミュージカル「ライオンキング」で、独自の動物の衣装というか装置を考えたことで有名な演出家だ。

「テンペスト」を撮る10年前に、やはりシェイクスピアの「タイタス・アンドロニカス」を原作とした「タイタス」という映画を世に出している。

これは、アンソニー・ホプキンス扮するローマの武将タイタスの、徹底した復讐劇で、あらゆるものの命を奪い、何も生みださない、人間の悲劇を描いている。

いわば不寛容な男性原理のもたらす悲劇である。

 「タイタス」の悲劇を埋めるかのように、10年後、「テンペスト」という和解と再生の物語を世に出したのは、テイモア監督の、この世界へのギフトのように思える。

シェイクスピア自身が、最後の戯曲として「テンペスト」を書いたのも、この世界へのギフトだったのではないだろうか。

 「大鹿村騒動記」は、300年間、長野県下伊那郡大鹿村の村人たちによって演じられてきた「大鹿歌舞伎」をテーマにした映画だ。

国選択無形民俗文化財に指定されている大鹿歌舞伎に芸能の原点を見出した原田芳雄の発案で、阪本順治が脚本を書き、監督した。

原田芳雄は末期がんをおして撮影を続け、映画公開の3日後に亡くなっている。

 映画「大鹿村騒動記」は、いろいろなトラブルや事情を抱えた村人たちの現実と、大鹿歌舞伎が並行して進行する。

演目は「六千両後日之文章重忠館之段」。この演目は、大鹿歌舞伎にしか残っていないそうである。

 平家の落人、景清が、仇である源頼朝とその重臣、畠山重忠にたった1人で戦いを挑み、源氏の世を見たくないために、自ら両眼をくりぬく。

頼朝は自分を襲った景清を赦し、景清は最後に、目から血を流しながら「仇も恨みもこれまで、これまで」と見得を切り、日向に落ちのびてゆく、という平家滅亡の後日談だ。

 歌舞伎が「和解」で終わるように、村人たちの様々な事情も、それなりの解決点を見出していく。

 映画を撮っているときには、原田芳雄は自分が映画の公開直後に死ぬとは思っていなかったかもしれないが、身体の中に重いがんを抱えていたし、71歳という年齢は、原田芳雄から一切の無駄なものを取り除き、純粋に芸能の原点に立ち返って、伝えるべきものを伝えようとしていたのではないだろうか。

その原田芳雄とともに演じている他の俳優たちも、監督やスタッフたちも、実に生き生きと映画作りを楽しんでいる、そういう空気が観客席にまで伝わってくるような映画だった。

 シェイクスピア劇、歌舞伎というまったく違った演劇のなかに、「和解と再生」という共通のテーマを見出したことは、新鮮な発見だった。

「ギフト」「霊魂が去来する場」というイメージがなかったなら、こんな発見はできなかっただろう。

 多くの悲喜劇を世に出し、最後に和解と再生の物語「テンペスト」を書いたシェイクスピアも、奇想天外な展開の中で観客の共感とカタルシスを導き出す歌舞伎、そして、歌舞伎以上に奇想天外な物語で観客を引き付ける人形浄瑠璃も、演劇という空間、魂の去来する場を共有する点で同じである。

観客は多分、喜劇であれ、悲劇であれ、知らず知らずのうちに、その空間の先に、和解と再生の物語を読み取っているのではないだろうか。

 原田芳雄が大鹿歌舞伎に見出した芸能の原点とは、演者と観客が、演劇という空間で、霊魂の交換をするということではなかったかと思う。

そして、映画「大鹿村騒動記」は、原田芳雄の遺言であると同時に、最後の「ギフト」だったのだと思う。