空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

追悼 フィッシャー・ディースカウ

2012-05-24 00:11:17 | 音楽

 昨年9月、母が亡くなってから、ずっとブログを休んでいた。書くことは山ほどあったのだが、書く気持ちにならなかった。

 ほぼ8カ月ぶりのブログ再開。

 ここ何日か、世間、といってもメディアが異常なほど騒いでいた話題は、金環日食とスカイツリーだが、私がいちばん心を動かされたニュースは、バリトン歌手、ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウの死を伝えるものだった。

 5月18日、ディースカウが86歳で亡くなったとテレビに字幕が流れたとき、ジグソーパズルの破片の一つが無くなったような気がした。

 それほど、フィッシャー・ディースカウは、私の青春期、精神面の形成期に、とても大きな存在だった。

 偶然かもしれないが、数日前、ウォークマンに入れていたいくつかのアルバムを削除して、新たに聞きたくなったCDを転送した。

 その中に、ディースカウのベートーベン歌曲集があった。1965年のザルツブルグ音楽祭のライブ録音だ。

 しばらく聞いていなかったが、ウォークマンに入れてから、何度か、歩きながら、電車の中で、ディースカウの歌を聞いた。

 そういうときの訃報だったから、何か虫が知らせたのだろうかと思った。

 昨日も、実家に荷物を取りに行った往復の電車の中で、ベートーベンの歌曲を聞いていた。

 昔からずっと繰り返し聞いていたので、ベートーベンの歌曲は、私の頭の中では、ディースカウの声と不可分なものになっている。

 その中でも、主旋律の美しいメロディーが何度も繰り返される「はるかな恋人に寄す」は大好きな曲だ。

 ほかの人の演奏をあまり聞いたことがないので、ひいきの引き倒し以外の何ものでもないのだが、ディースカウほど、この曲を美しく、魂の奥底から歌い上げた人はいないのではないかと思っている。 

 電車の座席に座って聞いていた時、ふと「ああ、もうこんなふうに美しい歌を歌う人はいないのだ」という思いがこみあげてきて、涙が溢れそうになった。

 ディースカウを聞き始めたのは高校生のころ。ベートーベンが大好きで、交響曲から室内楽、歌曲まで、聞ける機会があれば、何でも聞いていた。

 何がきっかけとなったのかは記憶にない。ラジオで聞いたのか、高校の音楽の時間に先生が聞かせてくれたのか、気が付いたらディースカウの虜になっていた。

 1963年、ベルリン・ドイツオペラの一員として来日したときには、NHKでずっと放送していたので、テレビにかじりついて見た。

 「フィガロの結婚」のアルマヴィーヴァ伯爵、「フィデリオ」の大臣、ドン・フェルナンド。アルマヴィーヴァ伯爵は好色で、このオペラではみんなに懲らしめられる悪役なので、ディースカウにはあまり似合わないと思ったり、「フィデリオ」では、解放された囚人たちが合唱する場面がとてもよかったのを今でも覚えている。

 学生の私には、1枚3000円もするLPレコードを手に入れるのは大変で、少ない小遣いを貯めつづけて、ずっと欲しかった1枚をやっと手に入れるという状況だった。

 そんななか、三枚組のシューベルトの三大歌曲集を手に入れた。ディースカウとずっとコンビを組んでいたジェラルド・ムーアの伴奏で、「美しい水車小屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」を、何度も聞いた。

 そのレコードは家を出るとき、実家に置きっぱなしだったので、どうなったのか、今はどこを探しても見当たらない。

 同じベルリン・ドイツ・オペラとともに2回目に来日した折だったか、ディースカウの演奏会が大阪のフェスティバル・ホールであり、当時1万円ぐらいもするチケットを、会社の先輩が、急用で行けなくなったと、ゆずってくれた。妹と行き、幸福感に満たされながら、シューベルトの「冬の旅」を聞いた。生の演奏を聴いたのは、これが最初で最後。

 

 十数年前、NHKの教育テレビで、ディースカウが若い人を指導して、シューベルトを歌う番組がシリーズで放送された。ディースカウは70歳を超えていたはずである。

 そのときの曲の解釈の仕方や、こまやかな指導ぶりを見て、ディースカウがいかに音楽を愛し、演奏を通じて、聴衆の心に作曲者の魂をいかに伝えるか、努力してきた様子が手に取るようにわかって、とても感動した。 

 若き頃、ディースカウの歌の虜になった理由があらためてわかった。

 

 ディースカウについて書くことは、まだまだ、たくさんあるが、彼の死がこんなにも私を揺さぶるのには、母の死が大いに影響していると思う。 

 母の死は、悲しい出来事に違いなかったが、意外にも、思ったほど悲しいものではなかった。死が、母を、老いや病苦や生きる苦しみから解放してくれたんだと感じられたから。 

 けれども、時間がたてばたつほど、私の心に大きく広がってくるものがあった。

 それは喪失感である。

 喪失感は、悲しみのようには心を激しく揺さぶらない。何か、ほかの言葉で表現することができない感情だ。 

 亡くなった人との関係によって、その喪失感は違ってくるけれども、あったものが永遠に失われたという感情は、何ものによっても埋められない。 

 時を選ばず、何かの折に、ふと、その喪失感がゆらゆらと湖の底から水面に浮かんできて、静かに心の襞に流れ込み、しみこんでゆく。

 そんな時、人は、ただ、その喪失感の中に、あるがままに静かにたたずむことしかできない。

 耐えるというのではなく、ただ、あるがままに、喪失感を受け入れることしかできない。

 こんなふうに人の死を受け止めるのは、老いという人生の終末期にさしかかったせいなのだろうか。

 ディースカウの死が、私の人生のジグソーパズルの断片の一つが無くなったように感じられたのも、老いという道を歩き始めたからなのだろうか。