空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

ティク・ナット・ハン師からのメッセージ

2011-03-24 20:56:39 | 日記・エッセイ・コラム

 地震のショックか、介護の疲れが出たのか、立て続けに、腰痛と高熱に見舞われ、3日間、般若心経50回を実行できなかった。これぐらいのことも継続できない自分が情けない。

 いつもお世話になっている鍼灸院と漢方医の先生のおかげで、何とか病状は改善に向かっている。

 今日、「ティク・ナット・ハン日本ツアー2011」というサイトで、今回の地震について、ティク・ナット・ハン師からのメッセージを読んだ。

 ティク・ナット・ハン師は、ベトナムの禅僧で、Engaged Buddhism(社会参加仏教)の提唱者だ。

 ベトナム戦争の時には、北ベトナム・アメリカのどちら側にもつかず、戦争孤児たちの支援、戦争被害者の救済、死体の回収、反戦など、非暴力の社会活動を実践した。その思想は、アメリカのキング牧師にも影響を与えたと言われている。

 パリ和平会議に仏教代表者として参加したが、ベトナム政府に帰国を拒まれ、以後、フランスを拠点に活動している。

 欧米では、ダライ・ラマ14世とともに、人々の尊敬を集め、大きな影響力を持つ人だ。

 そのメッセージを転載する。

 「今回の悲劇で亡くなった多くの方のことを想うと、ある部分、あるかたちで我々自身も亡くなったのだと痛切に感じます。

 人類の一部の苦しみは、全人類の苦しみです。また、人類と地球はひとつの身体です。そのひとつの身体の一部に何かが起きれば、全身にも起こります。

 このような出来事は、命のはかなさ(無常)を我々に思い起こさせてくれます。お互いを愛し合い、助け合い、人生の一瞬一瞬を大事に生きることが、我々にとって一番大切なんだと。それが無くなった人々へのなによりもの供養です。彼らが我々の中で美しく生き続けられるように生きるのです。

 フランス、そして世界各国のプラムヴィレッジ寺院(瞑想センター)から、僧、尼僧、在家者の皆さんがともにお経をあげ、日本のみなさんに平安、癒し、保護のエネルギーを送り続けています。

 みなさまのためにお祈りしています。」

 ティク・ナット・ハン師は、今年4、5月に来日される。

 師のお話を聞ける機会があればよいと思っている。

  

 


善きカルマを積む

2011-03-17 20:54:18 | 日記・エッセイ・コラム

 ダライ・ラマ法王は、菅首相あての手紙で、今回の地震・津波の犠牲者に対して哀悼の意を表明するとともに、自分が日常唱えている般若心経を、日本の仏教徒が唱えることは、犠牲となった方がたの助けとなり、さらなる災害を防ぐ助けになると述べられている。

 仏教では、人間の行動や意識がカルマ(業=ごう)となり、それが因となって次の結果をもたらすという、因果の法の考えがある。

 仏教的に考えれば、これまでのあらゆる宇宙的な働きや、人間の思考・行動が、時間的、空間的に複雑に影響し合って、今回のような結果をもたらしたと言える。

 一人の人間が何か悪い状況に陥った時に、「因果応報」と言ったりするが、仏教の因果の法は、一つの因が一つの結果をもたらしたり、一人の人間の行動がその人間の未来を決めるというような、単純なものではない。一人の業が、その人だけに影響するわけでもない。

 従って、被害に遭われた方がたの業が、今回の災害をもたらしたというのでは絶対ない。

 どこかの首長が、天罰という表現をして、後から謝っていたけれども、仏教には、天罰という考え方はない。

 人の暮らし方、原発を含めた社会の在り方、地理的、歴史的な条件すべてが、複雑に絡み合って、今回の災害へと収斂していった。 

 私たち一人一人の考え方、行動の仕方も、その因の一つになっている。

 業には、身(しん)=身体的行動、口(く)=言語、意=意識、すべてが含まれる。

 殺人や盗みなどの悪い行いはもちろんこと、言葉で人をののしったり、うそをついたり、美辞麗句を並べたりすることも、悪しき業である。

 心の中で、自分だけの利益を考えたり、人を憎んだり、人を貶めることばかりを思ったりすることも、悪しき業を積むことになる。

 何でもお金に換算して考え、人を踏みつけて自分の幸せだけを追求したり、飽くなき欲望を満足させるような生き方をしたり、そういう人間の生き方を煽るような社会・経済の仕組みを作ったり、人間だけが自然の恵みを独占して、ほかの生物の絶滅を招いたり……。

 「この世の現象は、絶対的なものは何一つない、因果の法が幾重にも働いて、一瞬たりとも同じ形、同じ所にとどまることがない、空である。空であるものに執着することが、苦を生み出している。すべてが空であることを認識して、苦のない悟りの世界に至るように修行しなさい」、ということを簡潔に説いているのが、般若心経というお経だ。

 ダライ・ラマ法王が、般若心経を唱えることは、犠牲となられた方がたや、さらなる災害を防ぐための助けとなると言われたのは、般若心経を唱えることで因果の法に思いをめぐらせ、善き結果をもたらす生き方を模索するきっかけとしなさい、というふうに解釈できると思う。

 具体的には、一人一人が、善きカルマを積むように、日々努力することだ。

 怒らない、罵倒する代わりに微笑みを返す。

 ないものを数え上げて嘆く代わりに、今あるものに感謝する。

 人のせいにしないで、自分でできることは自分でする。

 目の前にいる人ばかりでなく、遠くで苦しんでいる人に思いをはせ、その苦しみを分かち合い、楽しいこと、うれしいことも分かち合う。

 自らの命の危険も顧みず、多くの人々の命、安全を守るために、不眠不休で働いている人々のことを忘れない。

 その人たちの家族にも思いを巡らす。

 何か文句を言いたいことがあっても、その立場に自分が立ったら、うまくできるかどうか、考える。だから、これからは、東電や原子力保安院の人を、いい加減だとなじることはやめる。

 今日、実家に帰る電車に、募金箱を胸に下げた数人の人たちが、途中の駅から乗り込んできた。障害のある人と、その人を助ける人たちで、駅前で、今回の被災者のための募金をしていたようだ。

 電車の中でも、募金箱にお金を入れようと立ち上がる人がいた。私もつられて立ち上がり、わずかなお金を募金箱に入れた。

 いろんな場所で、いろんな人が、募金活動をしている姿を見た。

 みんなが、自分の暮らす場所で、善きカルマを積み上げれば、今の苦難は、きっと良い方向へ動くだろう。

 昨晩から、私も、般若心経を50回、唱えている。100回のつもりだったが、一度に100回は大変だということが、実行してみて分かった。

 毎日、般若心経を50回唱え、善きカルマを積むことを実践していこうと思っている。

 


情報公開

2011-03-15 19:20:16 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、福島原発事故についての原子力資料情報室の記者会見を知ったのは、作家の高橋源一郎さんのTwitterだ。原子力資料情報室という、反原発の、しかも民間の団体の情報をRTしたことに対する批判があったそうだ。それに対して、高橋源一郎さんらしい反論が載っていて、さすがと思った。

 RTとは、Retweetの略で、他のユーザーのTweetを自分のアカウントで再投稿することだそうだ。ちなみに、私がTwitterを見るようになったのは、ダライ・ラマ法王のTwitterが最初。

 批判した人は、原子力資料情報室がどういう組織か知らないのだろうか。

 民間とはいっても、組織を立ち上げた高木仁三郎さんは、原子力の専門家で、人間としても、科学者としても、信頼、尊敬に値する人である。

 高木仁三郎さんという人間に共感して、多くの優れた科学者や市民が参加し、脱原子力の世界を目指して、調査研究活動を続けている。

 何より、市民の目線、分かりやすい言葉で、情報を発信していることは、とても大切なことだと思う。

 原子力については、一般人は知識に乏しいし、専門用語が飛び出すと、それだけでギブアップである。

 原発の構造や運転システム、安全性について、一般市民や、自治体が、理解に必要な情報を十分に提供されているとは思えない。

 今回の事故についての記者会見で、東電や保安院の情報に基づいてだと思うが、枝野官房長官が、また保安院や東電の社員が直接説明していたが、それを聞いて、理解し、納得できた人がどれだけいただろうか。 

 奥歯に物が挟まったような説明に終始したのは、単刀直入に発言したら、後々の原発政策や、電力政策、経済界、政界に影響が及ぶからだと思う。

 洗いざらい情報を公開したら、隠ぺいしていた過去の不都合な事柄が明るみに出る恐れもある。

 それでも、首相が、東電本社にに乗り込んで、政府・東電合同の対策会議を開いたのは、あまりにも情報が入ってこないことに、危機感を抱いたからだろう。

 首相は、いい加減な原子力安全保安院(経済産業省に属しているんだから、国民の安全より、経済界の利益を優先していると思う)や東電の説明を聞くよりは、原子力資料情報室の説明を聞く方が、よっぽど国民の安全に役立つと思う。

 空母で救援に駆けつけた米軍兵士の被曝が明らかになると、米軍はヘリでの救援活動を中止したそうだ。

 自衛隊員は、安全だという東電の説明を信じて、原発の注水作業に従事し、被曝した。自衛隊の幹部は、十分な情報がなかったことに対して、怒っているらしい。

 福島原発の地元自治体の首長が、「安全だと言われたから、原発を受け入れたのに、だまされた」と言っていた。彼らは、受け入れる前に、東電や政府とは利害関係のない専門家を呼んで勉強し、理解に十分な情報を東電に要求したことがあったのだろうか。

 原発事故がのっぴきならない事態だということが分かってから、記者会見では、記者が、枝野官房長官や、保安院のスタッフや、東電の社員に、声を荒げて質問していたが、彼らだって、はじめは、政府、東電の説明を、そのまま垂れ流していたのだ。

 大新聞やテレビ局など組織に属する記者は、記者クラブに入っていて、通常は、自分は特別の取材をしなくても、官公庁が発表する情報をそのまま垂れ流すことに慣れている。

 日頃は、お役所が親切にまとめてくれた資料を継ぎはぎするだけで記事を書いているのだ。

 そんな記者が、正義の味方面して、大声で、枝野さんや、保安院や東電の社員を追及する姿は、茶番である。

 だから、原子力資料情報室のような、政府、企業から独立した調査研究機関が必要なのだ。

 心あるジャーナリストは、お役所がまとめたリポートより、自分の頭、足を使って、本当の情報を拾い集める。

 そのために、日頃から、幅広い人脈を作っていて、誰に会い、誰に話を聞けばいいか、情報源をたくさん持っている。

 幅広い取材をしていれば、誰の視線で情報を集め、どんな言葉で情報を発信するか、おのずと分かってくるはずだ。

 

 

 


再び原発事故について

2011-03-14 23:25:42 | 日記・エッセイ・コラム

 今夜9時の記者会見で枝野官房長官は、「福島第1原発1~3号機すべてで炉心溶融が起きた。しかし、最悪でもチェルノブイリのようにはならない」と言っている。

 先ほどまで、原子力資料情報室が13日に行った記者会見の動画を見ていた。

 その記者会見では、東芝で原子炉の格納容器を設計していた後藤政志さんが、こんどの事故について解説されていた。

 後藤さんの解説を聞いて、政府、原子力安全保安院の説明を聞いても、さっぱりわからなかったことが、よくわかった。

 くわしいことは、「USTREAM 原子力資料情報室」で検索すると、記者会見の動画を見ることができる。

 福島第1原発の事故を簡単に追うと、

 制御棒を入れて核反応は止めたが、ものすごい熱が出るので、冷却系統が働くこと、そのための電源、水は必須条件。

 ところが、地震で想定外(津波)のことが起こって、非常用電源が動かず、注水ができなくて、冷却できなくなり、燃料棒がむき出しになった。

 そうなると、仮に核分裂反応が止まっていても、炉心溶融で核反応が起きる(再臨界)。

 格納容器は、放射能を閉じ込めて、外に出さないように設計されている。ところが炉心溶融による爆発を避けるため、内部のガスを逃がした(これが記者会見でよく出てくるベント)。

 外に出さないように設計されている格納容器なのに、ベントでガスを逃し、放射能を外に出すということは、異常事態とのこと。

 最悪の事態を避けるためには、炉心が冷却できるかどうかに尽きる。そのために、いろいろなことをやっている状態だが、途中でポンプが動かなくなったり、水が無くなったり、格納容器に注水されなくなったり、次々とトラブルがおきている。

 今は、とにかく格納容器が爆発しないために、綱渡りで出来ることをやっている状態。

 もし、格納容器が壊れたら、チェルノブイリと同じことが起きる。

 さらに、3号機は、燃料にプルトニウムを使っているので、放射能被害は1号機の倍になるという。

 聞けば聞くほど、恐ろしいことが、福島原発で起きているのだ。

 聞けば聞くほど、原子力というのは、人間がコントーロルするのが難しいエネルギーだということがよくわかる。

 さっき、ラジオのニュースで、午後11時ごろ、2号機の圧力を逃していた弁が閉じて、注水できなくなり、燃料棒が全部露出していると言っていた。

 最悪の事態にならないことを祈るしかない。

 


原発事故

2011-03-13 14:05:33 | 日記・エッセイ・コラム

 週末、自宅に帰ってから、ずっとテレビを見ていた。繰り返される津波の映像を見るのはつらいが、やはり見てしまう。

 今朝、ろうそくをともし、お線香を立てて、亡くなった方がた、家族の消息を確認できない方がたの苦しみを思い、心をこめて般若心経を唱えた。唱えているうちに、涙があふれてきて、涙声になる。

 どうか、一人でも多くの命が救われますように。亡くなった方がたが思いを残さず成仏できますように。被災された方がたが、これ以上の苦しみを受けることがありませんように。

 地震、津波被害に加えて、福島原発の事故まで起きて、現地の方がたの不安は如何ばかりであろうか。

 私は反原発運動をしている友人がたくさんいて、1991年に関西電力の美浜原発2号機で蒸気発生器の細管破断事故が起きたとき、関電との交渉や、福井県で反原発運動をしている人々の支援活動に参加したことがある。このときは、自動停止せず、たまたま居合わせたベテラン職員のとっさの判断で手動で停止させたため、重大な結果にならずに済んだ。

 今回の福島原発の事故に関して、原子力安全保安院の記者会見や、テレビで解説している原発専門家?などの話を聞いていて、かつての関電の態度を思い出した。

 2号機は老朽化しており、住民が、いくつものもしもの事態を想定して、関電の姿勢を追及すると、彼らは、原発はあらゆることを想定して設計されているので、施設は万全だ、ミスはありえない、もしもという事態は起こりえないという発言をしきりに繰り返した。原発の安全技術を信じ切っているようだった。

 住民側も原発についてはかなり勉強していた。その上で、施設や点検の不備について追及すると、明らかに、素人はこれだから困る、という態度で、専門的な説明を繰り返すばかりだった。

 しかし、このときの事故原因は細管の金具の施行ミス。2004年には、2次冷却水を蒸気発生器に戻す復水管が破裂し、高温の蒸気と熱水が噴出して、5名の作業員が死亡、6人が重傷を負う事故も起きた。定期点検の見落としもあったことが明らかになった。住民側の、もしも、という不安が現実になったのだ。

 2007年の中越沖地震のときには、柏崎原発が火災を起こし、全面停止になった。

 福島原発も、過去に事故を繰り返している。1978年には、日本初の臨界事故が起きたが、東京電力は国に報告しなかった。2007年に発覚し、29年もたって、やっと公表された。89年、90年にもレベル2の事故を起こしている。いずれも、3号機だ。

 地球温暖化が叫ばれるようになり、原発はクリーン・エネルギーだとして、原発容認派が勢いづいている。クリーン・エネルギーなら、半径20キロ範囲の住民を避難させる必要はないのに……。今回の事故で、あらためて、原発の安全性が議論されるだろう。

 テレビで、原発専門家という人が、原発は幾重にも安全性が考慮されて、スタッフも訓練を受けている、というような話をしていたが、絶対ということはありえないし、人間はミスをする動物だ。

 万が一の事態に備えて、原発を作るのは不可能である。想定外のことが、今回の地震のように、いくらでも起こるからだ。現実問題として、電力会社が無限大にお金をかけて安全な原発をつくるとは思えない。

 必要なことは、想定外のことはいつでもどこでも起きうる、すべてをクリアすることは不可能だということを認めることだ。その上で、原発が必要なのか、ほかに選択肢がないか考えなければならない。

 原発をどんどん作り、省エネ電化製品をどんどん作り、ちょっと手を動かせばできることでも電気を使う、髪が乱れるからと電車の窓を閉め切って1年中冷暖房している、となりにいる人と携帯メールで話す。テレビでは、電力会社もガス会社も、オール電化生活のコマーシャルをしきりに流す。こんな私たちの生活は、はたして幸福だといえるのか。 

 地震で亡くなられた方がた、一瞬にして生活基盤を失われた方がた、その人たちの苦しみや悲しみを忘れないためにも、この地震を、本当の幸福とはどういうことなのかを考え、将来あるべき日本や世界を作っていく機会にしなければならないだろう。


東北地方太平洋沖地震

2011-03-11 22:48:54 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は、4月から両親の介護サービスが変わるので、ケアマネージャーさんと相談すべく、実家で待機していた。ケアマネージャーさんが家へ来るなり「さっき、阪神大震災なみの地震が起きたみたいですよ」と言うので、テレビをつけると、すごいことになっていた。

 阪神大震災の180倍の規模のマグニチュード8.8という大地震。阪神大震災は都市部で起きたうえに、耐震性が低い建物が多かったので、倒壊した建物に押しつぶされて亡くなった人が多かった。

 今回は、津波の被害がすごいようだ。テレビを見ていると、信じられない勢いで、船や車や家、田畑、空港を津波が呑み込んでいく。

 阪神大震災当時、私は阪神地方に住んでいて、もろに体験した。だから、地震には過剰に反応する。ときどき、大きな揺れが来るのではという予感が走って、体が緊張することがある。

 数日前に、岩手沖で地震が発生したときも、なんとなく、これは関東大震災か、東南海地震が起きる前触れではないか、プレートの下で何か大きなことが起きているのではないかと感じ、不安になった。

 阪神大震災が起きたとき、地震とは分からず、巨大隕石か何かが地球にぶつかったのではないかと思った。いきなりカクテルのシェイカーの中に放り込まれて揺すられているような状態になり、ラグビーボールが不規則にはずむように身体が上下左右に揺れた。

 かなり長い間揺れている感じがした。恐怖感を覚えるよりは、妙に落ち着きはらって、これで地球は滅ぶんだな、ここで私は一人で死ぬんだな、まあ、これで人生を終わるのもいいか、と思ったりした。

 揺れが収まっても停電で真っ暗。起き上がろうとしても、ふとんの上にやたらと物が積み重なっていて、動けない。夜が明けて明るくなってから見ると、本棚がねじれたように傾いて、落下した大量の本で布団が見えなくなっていた。枕の上にはテレビ、足元には隣のダイニングキッチンから空中を飛んできた電子レンジが落ちていた。なぜ、私が直撃されなかったのか分からない。

 冷蔵庫のドアが開いて中身が全部飛び出し、食器棚のものがほとんど壊れたのは言うまでもない。暗闇の中を起きだして、足を踏み出したとたんに痛みが走った。食器棚のガラス戸が割れていて、それを踏んだのだ。明るくなるまで待つしかなかった。

 足の裏に刺さっていたガラスを抜きとった。けがは大したことはなかったが、飼っていた猫の姿が見えない。てっきり本の下敷きになったと思って、名前を呼びながら本をどけたが見当たらない。とにかく部屋の中を歩けるように片付けて、夕方、やっと玄関横の浴室をのぞいたら、猫が恐怖のあまり固まったようにうずくまっていた。以来、猫はどんな小さな揺れでも事前に感知して、身構えるようになった。

 家の中はその程度で済んだが、外ではもっと悲惨な光景が広がっていた。

 16年たった今でも、思い出すと体が緊張し、胸がどきどきしてくる。1月17日が来るたびに、テレビで震災当時の映像が流されるが、あれは当事者にとっては残酷なものだ。映像を流す人は、家族を失った遺族や被災者の心情を考えて流しているのだろうか。

 今回の地震でも、被害の様子がテレビに映されると、胸に痛みが走り、涙が出てくる。だから、途中で切って、その後はラジオを聞いている。

 


確定申告

2011-03-10 21:33:48 | 日記・エッセイ・コラム

 先日、父の確定申告をやっと出してきた。今まで、父は確定申告などはしてこなかったが、昨年は母が大たい骨骨折で手術を受け、長期入院した。医療費控除や保険料控除で、かなり還付されるはずだと思ったから、15日までの期限が迫るなか、頑張って書いた。

 自分の確定申告は毎年やっているので、昨年の控えを参考に、機械的に記入していったらいいのだが、父の場合は、まず、各種証明書をそろえるのに苦労した。

 年金の源泉徴収票や、母の医療保険・介護保険料の証明書が、父が訳がわからないまま処分したのか、どこを探しても見つからないので、再発行を頼んだり、医療費の領収書を家中探してかき集めることから始めなければならなかった。

 それから、配偶者控除や、訪問介護・デイサービスにかかった費用がどうなるのか、手引きを隅から隅まで読んだり、インターネットで調べたりした。

 その結果、介護費用のうち、生活支援の費用は控除の対象にならないことが分かって、がっかり。

 また、配偶者控除は、一般的には38万円だが、70歳以上の配偶者は48万円になることを初めて知った。そのことは、配偶者控除についてのページではなく、別のページに書かれていて、私はたまたま気付いたからいいけれども、気付かなかった人は、38万円と記入するのではないだろうか、これは不親切ではないかと思ったりした。

 そこまで苦労して申告書を書いた割には、還付金は思ったより少なかった。父の年金から引かれている税額を全部還付してもらえるつもりでいたから、ちょっとがっかり。

 いよいよ提出する日、実家から二駅の駅前にある商工会館で受け付けていると思い込んで、そこに行ったら、入口には「市民・県民税申告」とだけ書かれている。所得税の確定申告を商工会館で受け付けてくれる期間はとうに過ぎていたのだ。自己嫌悪でいっぺんに疲れが出た。

 実家がある地域の税務署へは、電車を乗り換えて、駅からかなり歩かなければならない。けれど、タクシーに乗っては、苦労して申請した割には少ない還付金から、さらに引き算されるので、頑張って歩いた。我ながら、なんというケチくささ。

 実際に歩いてみると、思ったより遠くはなくて、窓口の係りの人も感じのいい人で、親切に対応してくれたので、疲れも取れ、気分よく提出して帰ってきた。

 これで、先月から抱えていた懸案事項が片付き、便秘が治ったような気分になった。やれやれ。 


まとめて映画のこと

2011-03-07 22:07:29 | 映画

 シルバー料金で映画を見られるようになって、よく映画に行くようになった。

 平日の昼間は、私と同世代の中高年が多い。料金が安いのと、時間ができたせいでもあるが、テレビ漬けになる前に映画の洗礼を受けて、映画の面白さを知っている世代なので、せっせと映画館に足を運ぶのではないだろうか。

 両親の介護が始まってからは、映画は絶好の気分転換になるので、昨年から今年にかけて、立て続けに見た。ブログに書かなかったもので、印象に残った映画を羅列してみると、「幸福の雨傘」「愛する人」「ハーブ&ドロシー」「ヤコブへの手紙」「ノーウェアボーイ」など。

 先日は、中国映画「再会の食卓」を見ようと出かけたが、間違えて別の映画館に行ってしまった。ちょうど10分後に、コーエン兄弟監督の「シリアスマン」が上映されるとのことだったので、まっ、いいかとそのまま入場。

 おもしろかった。コーエン兄弟が生まれ育ったユダヤ人コミュニティーの描き方や、登場人物のセリフ、スピーディーな展開、どれもコーエン兄弟の才能が感じられた。アカデミー賞を取った「ノーカントリー」の方が好きな作品だが、「シリアスマン」もなかなかいい。

 コーエン兄弟の映画は、ほかのハリウッド映画と違って、監督が作りたい映画を作っているという感じがする。スリラー映画なのにどこかおかしくて、残酷な場面なのにどこか神話的あるいは寓話的。

 週末は自宅のテレビで、偶然放送されていた映画を見た。先週はロミー・シュナイダーの「プリンセス・シシー」3部作、今週はジュリー・デルピーの「恋人たちの2日間」。

 ロミー・シュナイダーは、少女時代、テレビ名画座で「制服の処女」を見て以来、憧れの女優だ。

 アラン・ドロンとの婚約解消以後、彼女の実人生は不幸が続き、最愛の息子の事故死、自らは睡眠薬の大量服用で43歳の若さで亡くなった。遺作となった「サン・スーシの女」は、彼女の悲劇的な死の影があらゆる場面に漂っているような映画だった。

 皇妃エリザベートを描いた「プリンセス・シシー」は、ロミーの若き日の作品で、その輝くような美しさには微塵の陰りもない。それが、却って痛々しく感じられる。

 「恋人たちの2日間」は、題名も出演者も分からないまま見ていた。内容が「恋人までの距離〈ディスタンス〉」に似ているなあと思ったら、「ディスタンス」に出ていたジュリー・デルピーが監督・脚本・主役を務めていた。

 「ディスタンス」は原題が「Before Sunrise」。続編の「Before Sunset」とともに、ジュリー・デルピーとイーサン・ホークが恋人同士を演じていて、日の出まで、あるいは日没までの短い時間に街を歩き回り、二人の会話だけで成り立っているような映画だ。その二人のセリフがすごくいい。

 「恋人たちの2日間」も、登場人物は多いけれども、フランス女とアメリカ男の恋人たちの会話を中心に、いろいろな人物との間にやりとりされる会話が、とてもおもしろかった。

 恋人同士の会話、家族との会話、別れた男との会話、タクシーの運転手との会話などをとおして、現代のフランス社会、男女、家族のあり方、フランスとアメリカ文化の違いなどが描かれている。脚本を書いたジュリー・デルピーはすごいと思う。

 映画って、やっぱりおもしろい!