空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

映画「永遠の門―ゴッホの見た未来」とゴッホ展

2020-03-16 16:20:05 | アート・文化

 2月29日、兵庫県立美術館のゴッホ展に行ってきた。

 2009年、新型インフルエンザが流行したときも、学校が休みになり、美術館や図書館が臨時休館になった。

 その時も、この美術館で見たい展覧会があって出かけ、美術館の前で初めて休館を知ったという経験がある。

 今回、安倍首相の一斉臨時休校の要請が突然発表された。各自治体はもちろん、文科大臣でさえ寝耳に水の発表だったようだ。

 兵庫県はその時点ではまだ感染者が出ていなかったので、兵庫県の臨時休校は先だろうと思っていたが、やはり、右へならいで、学校は休校になった。

 ということで、美術館がいつ閉鎖されないとも限らないので、開催中だということを確かめたうえで、冷たい雨が降る中、出かける決心をした。

 土曜日は夜8時までの開館なので、人出も少なくなるであろう午後遅くに出かけた。駅から美術館へ歩く途中、雨がひどくなり、寒さも増した。

 やっと美術館に着いたが、この美術館は展覧会会場へのアプローチが遠く、年長の友人たちは、「高齢者や障碍者のことなんか考えていない」といつも怒っている。

 後期高齢者の仲間入りを目前にした私も同感だ。

 やっと会場に入る。

 ゴッホ展と銘打った展覧会に行くのは初めてだ。誰でも知っている画家の絵を見に猫も杓子も出かける中で、絵なんかゆっくり見ていられないだろうというのがその理由。

 しかし、今回の展覧会は、ゴッホの作品だけではなく、ゴッホに影響を与えた画家たちの作品も展示され、NHKの日曜美術館で紹介された内容にも興味をもった。

 少し前に見た映画「永遠の門―ゴッホの見た未来」で、今までとは違うゴッホ像が描かれていたので、それに刺激されたこともあり、出かける気になったのだ。(映画については後で書く)

 ゴッホは、オランダのハーグ派、パリに出てからは印象派に強い影響を受け、画家として成長していく様子が、よくわかる展示になっている。

 ゴッホは最初からゴッホだったわけではないという当たり前のことに、今まで思い至らなかったのが不思議だ。

 ただ、影響を受けたというだけではなく、自らの表現を求めて、必要とする技法や芸術思想を一生懸命学んでいる。

 初期のデッサンについて、画家仲間から批判されたことに対して、自分が求めているのはそんなことではないと反論している。

 アルルに移ってからの、明るい自然の光の中や、精神の病で入院した療養所で描いた晩年の作品を見ると、それまでの経緯がわかるだけに、他のだれでもない、ゴッホ自身の作品に到達したことに、感動を覚える。

 もともとゴッホ自身の中にあった種が、ハーグ派、印象派の画家たち、弟テオの支援、ゴーギャン、医師との出会いなどが、種を育てる水、太陽、土や肥料となって、ゴッホという花を咲かせたのだ。

 いや、ゴッホ自身が、自らの種に必要な水、太陽、土、肥料を求めて、一生けんめい種を育て、花を咲かせるに至ったというべきか。

 大乗仏教に「悉有仏性」という考え方がある。この世の生きとし生けるもの、すべてに仏となる仏性があり、自らの修行や縁起によって仏となることができるという思想だ。

 この展覧会でゴッホの絵を見ていると、この「悉有仏性」という言葉が浮かんできた。

 ゴッホはアルルの自然の中に、その「悉有仏性」を感じ、それを描こうとしたのではないかと思う。

 

 映画「永遠の門ーゴッホの見た未来」

 このような見方をしたのは、展覧会の前に、近くの映画館で上映されていた映画「永遠の門―ゴッホの見た未来」を見ていたせいかもしれない。

 ゴッホを演じているのが、「プラトーン」を見て以来、大好きになった俳優、ウィレム・デフォーなので、期待して見に出かけたのだが、期待以上に素晴らしい映画だった。

 映画を見終わってから、監督が「潜水服は蝶の夢を見る」のジュリアン・シュナーベルだということを知り、合点がいった。

 シュナーベルは、映画監督になる前は画家だったそうだ。

 この映画は、画家としてのゴッホについての映画であると同時に、「描く」とはどういうことか、芸術とは何かという、シュナーベルの芸術論にもなっている。

 パンフレットによると、映画の中で描かれた絵画は、シュナーベルはじめ画家チームによって、実際に描かれたという。

 ウィレム・デフォー自身も、シュナーベルに絵の描き方を学び、筆の持ち方から物の見方まで、作業をする中で、知覚が変化することを学んだと、デフォーは語っている。

 ゴッホが神父と語る場面で、「神が私を画家にした」とゴッホは言う。

 絵を描くことは、ゴッホの中では神と対話することなのだ。

 ゴッホは多くの伝記では自殺説が圧倒的だが、この映画では、悪童たちに殺されたことになっている。

 真実は謎だが、自殺なのか他殺なのかはもはや問題ではなく、ゴッホがこの世に生き、数々の素晴らしい絵画を描いたこと、その作品群が弟テオによってこの世に残されたことが、一番重要なのだと思う。

 テオはゴッホが問題を起こすたびに、仕事を放り出して兄の元に駆け付け、住む家や病院への入院、生活費の工面など身の回りの世話をし、映画を見終わったときには、テオは兄に振り回され、かわいそうと思ってしまった。

 しかし、展覧会で実際の作品に接し、テオに送られたゴッホの手紙などを読むと、テオもまた、身近にゴッホの作品に接して、それを世に送り出したことを幸福だと感じていたのではないかと、ふと思った。

 テオはゴッホが37歳で死んだ半年後、33歳の若さで亡くなっている。

 ゴッホが神によって画家になったのなら、テオもまた、神によって、兄の作品を世に送り出す伝道師となったのかもしれない。

 兵庫県美の会場では、二つの作品が追加展示されていた。そのうちの一つ、「ポピー畑」は、死の1ヵ月前に描かれた作品である。遺作と言ってもいいだろう。

 「ポピー畑」を前にして、映画を見て思ったたことや、この展覧会に接して感じたことが一度にあふれ出てきて、涙が出た。

 ゴッホはやはり、奇跡の画家であったと思う。

 この展覧会は、3月に入って、コロナ騒動で休止になったが、17日から再開されることになった。

 素晴らしい展覧会であるだけに、喜ばしいことである。

 できれば、もう一度、出かけたいと思っている。