空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

刺繍釈迦如来説法図

2010-10-24 23:21:20 | 日記・エッセイ・コラム

 自宅での用事を片付けて、実家に帰ったら、介護を交代してくれた妹はすでに帰ったあとで、来週は来られないとのメモがあった。冷たい雨が降っていたこともあり、少し落ち込んだ。

 先日紹介した勝本華蓮さんは、母親の物忘れや家族の問題で悩んでいた時、お釈迦様が「この世は苦である」とおっしゃったことを思い出して、心がすっと軽くなったそうである。

 生老病死=四苦、怨憎会苦(憎い人と会う苦)、愛別離苦(愛する人と別れる苦)、求不得苦(求めるものを得られない苦)、五取蘊苦(煩悩のある人間存在そのものが苦)。この四苦八苦の原因は渇愛であり、執着を捨て、正しい道を実践すれば涅槃に至る、というのが、悟りを開かれたお釈迦様が、最初に行った説法の内容だ。

 この「苦集滅道」=「四聖諦」という教えを知ってからは、私も、苦しいときには、時折(いつもではない)、自分の苦の原因を見つめるよう努めている。

 けれども、煩悩のかたまりである私は、分かっちゃいるけど、苦しみ、悩むことをやめられない。

 悩みは続くけれども、「妹のメモを見て落ち込んだのは、両親の介護から一時でも逃れたい、解放されたいという自分の望みがかなえられないからだ。私の煩悩がこの苦しみを生んでいるのだ」と考える。

 もちろん、修行が足りないので、簡単に心は軽くならないが、「何も求めなければ、苦は生まれない」「両親からつかの間でも解放されたいという自分の思いが、苦を生み出しているんだ」と繰り返し思うことで、気持ちが少し落ち着いてくる。あくまでも少しではあるが……。

 自宅の部屋には、サイドボードの上を半分使って、小さな仏壇を設けている。

 仏壇といっても、ろうそく立て、線香立て、花瓶、仏様に供える水を入れる茶碗を並べているだけだ。

 奥の一段高い棚に、ダライ・ラマ法王の灌頂会に参加したとき記念にいただいたチベットの曼荼羅、その両側に、釈迦如来像、小倉遊亀の観音像などの絵葉書を額にいれたものを飾っている。

 いずれは、ちゃんとしたお釈迦様の仏画を飾りたい。とりあえず今、飾っているのは奈良国立博物館の国宝「刺繍釈迦如来説法図」の絵葉書だ。実物は博物館の壁一面ほどもある大きさで、全部刺繍で描かれたものだ。

 初めてこの釈迦如来説法図を見たとき、その美しさに立ち尽くした。8世紀のものにしては、傷みも少なく、色褪せもない。お釈迦様も、説法を聞く天人や阿羅漢たちも、背景も、色鮮やかにいきいきと描かれている。

 どんな人々が刺繍したのか分からないが、一針一針、祈りを込めて描かれた様子が想像できる。こんな美しい釈迦説法図がほかにあるだろうか。

 今朝、自宅で久しぶりに座禅をした。茶碗の水を替え、ベランダに咲いていたランタナの花を飾り、ろうそくに火をつけ、線香を立てた。パーリ語の三帰依文のあと、般若心経を唱えた。そして、線香が燃え尽きるまで、ひたすら心を空っぽにして結跏趺坐。

 


ブログの効用

2010-10-22 21:10:24 | 日記・エッセイ・コラム

 今日、実家に弟夫婦が来た。嫁さんのH子さんはブログでは大先輩だ。「私もブログを始めたのよ。引っかかりながら、全部自分でやったのよ」と、私のブログのページを見てもらった。

 ブログを始めて、分かったことがある。ちょっとまとまった時間ができると、ブログを書く。ノートに書く日記と違って、ブログは一応公開するので、間違ったことは書けない。引用文を書くときには、原典を確かめる。

 先日、岩田慶冶さんの文を紹介したときには、大体覚えている内容を書いてから、たまたま、もう一度読もうと思って実家に持ってきていた原典を取り出して、確かめた。全然、違っていた。

 ノートに書く日記は、誰に読ませるわけでもないので、思い込みや、誤解のあるまま書き記す。ブログではそういうことはできない。

 もう一つ、ブログを書いている間は、それに集中しているので、介護のことも、階下で両親が寝ていることも、全部忘れることができる。階下は現実世界、2階に上がって、ブログを書いているときは、脳は違う分野で動いているから、気分転換というか、認知行動療法的な効果がある。

 階下での自分の言動を、自分の感情に引きずられることなく、より、ありのままに、見ることができる。そうすると、心配な出来事も、そう大したことではないように思える。

 仏教では、ありのままに見れば、喜びも、悲しみもない。喜びも、悲しみも、自分がそうとらえるからであって、あるのは、瞬間、瞬間、変化する現象だけである。それを「空」と言っている。

 すべては「空」であると、頭では分かっていても、それを体得するには、全然、修行が足りない。でも、ブログを書くことで、少し、自分から離れて、一日の出来事を顧みることができる。

 ブログの名前を「空の道を散歩」としたのは、大した意味はない。はじめは「青山常運歩」とつけた。道元禅師の言葉の中でも私の好きな言葉なのだが、あまりにも恐れ多い。

 季節ごとに変化する自宅の近くの山を散歩するのが好きだったのと、「空」を体得するという仏道修行を、「雲の上で散歩」という私の好きな映画の題名に引っ掛けた。山の中より、空を散歩した方が広々として気持ちがいいし……。

 ブログを書き続けているうちに、そんなに深い意味をもってつけた名前ではないのに、「空」に近づくために、ブログを書くという行為を活用するという意味もあるなあ、と思えてきた。


虚空山彼岸寺

2010-10-21 23:06:26 | 日記・エッセイ・コラム

 最近よく見るWEBサイトに、「超宗派仏教徒によるインターネット寺院 虚空山彼岸寺」というのがある。どこかのお寺の檀家でもなく、身近に師事するお坊さんもいない私にとっては、インターネットは仏教に関する情報を得る方法の一つだ。

 仏教に関するサイトは結構たくさんあり、大いに勉強させてもらったものもあるが、玉石混交。そのなかで「彼岸寺」はなかなかセンスがあり、内容もいい。70年代後半~80年代生まれの若いお坊さんたちが運営している。

 「彼岸寺」の中でも、よく読んでいるのが、「坊主めくり 現代名僧図鑑」と、「雲水喫茶」だ。

 「坊主めくり」で知って、世の中にはこういう人もいるんだ、と感慨を覚えた方に勝本華蓮さんがいる。広告業界でバリバリのキャリアウーマンとして大活躍していたのに、すべてを捨て、出家した女性だ。インタビューを読んで、この人は本物だと思った。

 今日、両親はヘルパーさんにお任せして、久しぶりに外出した。約2時間電車に乗って街に出て、喫茶店で親しい友人とおしゃべりし、ジュンク堂書店に寄って、勝本さんの著書を探した。ジュンク堂の中でも、この店は仏教関連の書棚が充実していて、よく利用する。さすが! 目指す本が2冊ともちゃんと並んでいる!

 「俗世間において出世間的に生きる(出家)」という勝本さんの論文が載っている『現代と仏教 いま、仏教が問うもの、問われるもの』と、『座標軸としての仏教学』(いずれも佼成出版社)。

 帰りの電車の中で、さっそく、「俗世間……」を読んだ。勝本さんの仏教に対する思いや、考え方に、私は全面的に共感する。まったく違うのは、その行動力と努力である。すごい人だ。

 ダライ・ラマ法王にお会いできたように、勝本さんとお会いできる機会があればと思う。


介護と仏教の教え

2010-10-20 00:20:23 | 日記・エッセイ・コラム

 風邪もだいぶよくなった。体が楽になると、介護への不安もいくらかは薄らぐようだ。

 母の骨折、手術、入院、リハビリを機に、父も、それまで何とかやっていたことが出来なくなり、母が退院してからは、両親の介護を、私と妹で主にやっているが、妹は仕事があるので、私は母の入院以来、家でほそぼそとやっていた仕事を全部断ってしまった。もちろん、友人と会うことも、いろいろな楽しみもできなくなった。

 いろんなことが一時に起こったので、しばらく精神的に不安定になり、妹を相手に泣いたり、怒ったりした。妹は、結婚、子育てで苦労しているので、人生はなるようにしかならないということを、いやというほど味わってきた。

 私は、友人や仕事の仲間たちに支えられながらも、基本的には、一人で生きてきた。一人で決め、一人で行動してきた。自分流の生き方というものも、試行錯誤を重ねながら、なんとなく定まってきた。よそからは強そうに見えても、病気に苦しんだり、鬱に悩まされたり、死のうとしたこともあった。

 紆余曲折を経て、仏教の教えに出会い、自分なりに少しは分かったつもりになっていた。

 それが、親の介護という壁の前で、全部吹き飛んだ。一番ショックだったのは、母の入院中、一人取り残されて、不安のあまり認知症が一気に進んだ父のことだ。父の言動のすべてが、私を困らせるためではないかと思えるほど、ありとあらゆる場面で、私は父とぶつかった。

 今は、父の言動は、不安のあまり、身近な私にすがりつくしかないという、本能的なものだと理解できる。父への怒りをぶつける私に、妹は、「お姉ちゃんのように、いちいち反応していたら、ますますひどくなるよ。否定せずに、そうね、そうねと言って、さらっと受け流さなくちゃ」。

 わかっちゃいるけど、何から何まで自分の流儀でやってきた人間には、そう簡単に方向転換出来ない。

 仏教の本や、お坊さんの話で、「自我こそ苦のもとである」「手放せば楽になる」「あらゆる計らいをやめる」というようなことを学んで、「そうだ、そうだ」と納得したつもりで本にひきまくった赤線は何だったんだろう。涙を流したダライ・ラマ法王の説法は何だったんだろう。1行読んでは考え、1行読んでは前のページに戻るというふうにして学んできた道元禅師の教えは、何だったんだろう。

 実家に生活の軸足を移してからはやめてしまったが(実家には神棚しかない)、自宅では毎朝、般若心経を唱え、お線香が燃え尽きるまでの時間、座禅をしていた。そういう習慣を身に付けてから、とても落ち着いた気持ちになった。それも、親の介護でどこかに吹き飛んでしまった。

 一からやり直しだ。

 「仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」

 この道元禅師の言葉は、今の私に向けて発せられた厳しい言葉のように感じる。


風邪

2010-10-18 09:11:55 | 健康・病気

 妹が介護を交代してくれたので、週末、自宅に戻ったのはいいけれど、疲れが出たのか風邪をひいて、のどがものすごく痛い。熱もある。常備している「桔梗石膏」を飲んで、自宅ではずっと寝ていた。病状が改善しないまま実家に帰った。電車の中では、本を読む気力もなく、ずっと眠っていた。

 元気なときでも、親のことを考えると不安が先立つのに、たとえ風邪でも、健康でなくなると、よけいに悪いことばかりを考える。自分にもしものことがあったら親の介護はどうなるのだろうとか……。

 妹が、両親に夕食を食べさせてくれていたので、私は、おかゆに梅干しの夕食をすませて寝た。父は私を心配しているつもりで、「無理をするな」と言う。「誰のせいで私が無理をしているっちゅうねん」と突っ込みを入れたい。

 父は、瞬間、瞬間は会話が成立しているので、知らない人が見たら、「いつまでもしっかりしていておげんきですね」というのだが、少し長いスパンになると、状況が理解できない。いろいろ起こるトラブルは自分が起こしているのだが、それも理解できない。

 母は父よりはまだ、状況を理解することはできているように思うが、それも五十歩百歩である。

 一晩中、喉の痛みと咳に苦しめられ、夜中に起きて、以前医者から処方されて残っていた「麻杏甘石湯」を飲んだ。気管支炎の薬だ。自宅においていた漢方薬のケースを、そのまま実家に持ってきていた。

 私は10年ほど喘息に苦しめられた。西洋医にかかっていたころは、薬前薬後にご飯を食べているような感じで、薬を山ほど飲んだが治らず、時々発作で呼吸困難に陥って、救急車を呼んだ。後半、良い漢方医を紹介してもらってから、薄皮をはぐように良くなっていった。以来、その先生にお世話になっている。

 煎じ薬のほかに、エキス剤をもらったときは、症状がよくなると飲まずに残しておいて、症状が出るとこれを飲むようにしている。長年漢方医にかかっていると、どういう症状の時に飲めばいいか、わかってくる。ちょっと喉が痛いときに、予防的に「桔梗石膏」を飲むと、ひどくならないで済む。

 今回は、処方が遅かったのか「桔梗石膏」ではせき止められなかったようだ。「麻杏甘石湯」が効いたのか、朝になって少しは楽になった。

 両親に朝食を食べさせて、今日1日、寝ることにする。ヘルパーさんも来てくれるし、どうにかなるさ。


妙好人の世界

2010-10-17 01:09:19 | 本と雑誌

 ここ1、2週間、実家と自宅とを行き来する電車の中で、『妙好人の世界』(楠恭、金光寿郎著、法蔵館)という本を読んでいる。NHKラジオで放送されたものをまとめたもので、以前に購入したまま積ん読状態になっていた。

 日本に伝わった仏教は、伝わった時期、宗派によって、ずいぶん違うように見えるが、勉強してみると(系統的なものではなく、わからないことがあればこの本、それでもわからなければあの本というふうに、飛び石を伝うようにあれこれ読んできた)、何となく仏教の基礎知識だと思っていた事柄が、実は、仏教の本質とはあまり関係がないということがだんだん分かってきた。

 「自力か、他力か」ということも、その一つである。

 私が学校で習ったころの歴史の教科書には、「他力とは、浄土真宗に代表されるように、ひたすら弥陀の本願にすがる宗教」、「自力とは、禅宗のように、厳しい修行で悟りを開く宗教」というふうに書かれていたように思う。そういう理解の仕方であるから、「私には、他力より自力のほうが性に合ってるかも」などと、浅薄なことを考えていたものである。

 仏教に限らず、本来、宗教というものは、他力か、自力かというような二元的世界を超えたところで人間に働くものではないかと思う。「他力か、自力か」などと言っているときにはまだ他人事である。切羽詰って藁をもつかみたい、天から垂れてきたクモの糸にもすがりたい、というような場面でこそ、一人の人間に働きかけるのだ。

 そういうことが私なりに納得できるようになったのは、両親の介護という壁の前で、心身ともに疲れ果てたときだった。頭が空っぽになって、夜中、部屋に閉じこもって、大声をあげて、子どもが泣きじゃくるように泣いた。

 妙好人についても、深い考えはなかった。なぜ、この本を買ったのか。「こういう分野も勉強しておかなくちゃ。いつか時間のあるときに読もう」というぐらいの気持ちで購入したのだと思う。購入してすぐに読んでいたら、「真宗の模範的な信者のことを書いた本」という理解から1歩も進んでいなかったと思う。

 敬愛する文化人類学者、岩田慶冶さんが、『道元の見た宇宙』という名著のあとがきで、「本を読む〈とき〉は、本との〈出会いのとき〉である。出会いはいつも突然に、驚きとともにやってくる。〈出会いのとき〉は〈無心のとき〉でなければならない」と書いておられる。この『妙好人の世界』は、まさに、「本を読む〈とき〉」に読んだ、という気がしている。

 対談なので分かりやすいということもあるが、楠恭氏の言葉が私の心にずんずん響いてきて、電車の中で泣いてしまった。鼻炎のふりをして何度もティッシュで鼻をかんだ。

 楠氏はかの鈴木大拙師の弟子である。「学問や教学は宗教経験から出て来るものである。先ず宗教経験を得ると、阿弥陀仏も、浄土も、浄土往生も、信心獲得ということも、救済ということもみなわかってくる」という鈴木師の言葉を冒頭で紹介している。

 この宗教経験というところから見ると、「物種吉兵衛」「因幡の源左」「浅原才一」という妙好人の、たどたどしい言葉で表現された世界と、「唯仏与仏」「身心脱落」「本証妙修」という言葉で道元禅師が示された世界とが、重なってくるように思った。

 妙好人の世界から光を当てると、道元禅師の言葉が理解しやすくなったといってもいい。

 この本は、まだ読んでいる途中なので、この続きは読了後、あらためて書くつもり。

  


ダライ・ラマ法王

2010-10-15 21:34:43 | 日記・エッセイ・コラム

 ダライ・ラマ法王が今秋も来日され、各地で講演・法話をなさる。私も行きたいが、親の介護で遠くへは行けない。

 ダライ・ラマ法王に初めてお会いしたのは、2006年、広島・厳島のお寺で開かれた灌頂会。

 それまでにも、ダライ・ラマ法王の伝記やチベットに関する本などを読んだりして、関心はあった。小学生のころ、映画館で、若き日のダライ・ラマ法王が、ヒマラヤを越えてインドに亡命した時のニュース映画を見たことを、今も鮮明に覚えている。

 いつかはお会いする機会があればと思っていた。どういう機縁で灌頂会があるのを知ったのかは忘れてしまったが、一大決心をして広島へ2泊3日の日程で出かけ、2日にわたって法王さまの説法に耳を傾けることができた。

 通訳を介して、しかもとても難しい仏教用語がたくさんあって、難解な内容だったにもかかわらず、法王さまのお話は深く私の中に入ってきた。

 菩薩戒を授けられるとき、ダライ・ラマ法王は、多分、チベット語でお経を読まれた。意味が分からないはずなのに、涙が出てきて止まらなかった。

 その時、私は勝手に法王さまの弟子になろうと心に誓い、これから仏教徒として生きようと決心した。

 灌頂会の開かれた会場には、法王さまがお話をされている間、トンボや蝶がつぎつぎと飛んできて、近くの樹木や草花の上、参加者の頭や肩にとまったり、周りの木々にたくさんの小鳥が集まってさえずっていた。

 難解な内容にもかかわらず、聴衆が心から傾聴していることが伝わってくる。聖なる空間とはこういう場所をいうのかもしれない。

 私の隣に座っていた若い女性は、観光に来て、偶然、ダライ・ラマ法王のことを知り、当日参加したそうだ。「来てよかった。ほんとうに良いお話を聞かせていただいた」と感動していた。

 お寺の門を出ると、植え込みの中に5、6頭のシカがうずくまったまま動こうとしない。その光景を見て、生きとし生けるもの、すべての衆生がお釈迦さまの説法に耳を傾けている様子を描いた「釈迦説法図」みたいだと思った。

 我が家の宗教は一応、神道なのだが、無宗教とあまり変わりがない。両親が自宅を建てた時、初めて、神棚というものができて、おばあちゃんの法事には神主さんに祝詞をあげてもらったりした。

 中学生のころ、教会に通ったこともあるが、2年も続かなかった。聖書の物語は面白くても、神様は信じられなかった。でも、仏教よりは、キリスト教のほうが身近に感じられた。文学や音楽や映画などで接する宗教は、仏教より、断然、キリスト教のほうが多かったせいだろう。

 「発心」という言葉がある。素晴らしい仏像を見ても、偉いお坊さんのお話を聞いても、優れた仏教の本を読んでも、自分の問題とは考えなかった私が、仏教の方へ、1歩1歩近づいて行ったのは、中年期も半ばを過ぎ老齢期へと移行するときに、人生ままならずと思う事柄がつぎつぎに起こったということもあると思う。

 それとは別に、何か、目に見えぬ力が働いて、私を仏教の方へそろそろと押しやったような気もする。

 そのような時、ダライ・ラマ法王のお話を聞く機会が訪れた。優柔不断な私が、広島へ行くという行動を起こした。

 その時が、私の「発心」の時だったと思う。

 のちに、ある仏教の勉強会で、「三帰依文」という祈りの言葉を初めて聞いた。「人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く」。ダライ・ラマ法王との出会いは、私が仏法を聞いた、まさに、その時だったと気がついて、この時も涙が止まらなかった。

 ダライ・ラマ法王のことについては、いくら書いても書き足りない。折に触れて書き記そうと思う。今の私の大きな望みは、法王さまがおられる、インドのダラムサラを訪れ、できれば、その地で、法王さまにお会いしてお話をお聞きしたい。

 さらに、1日も早く、チベットが理不尽な中国の支配から解放されて、法王さまがラサのポタラ宮に戻られる日が訪れますように。そのときには、万難を排して、かの地に巡礼したいと思っている。