自宅での用事を片付けて、実家に帰ったら、介護を交代してくれた妹はすでに帰ったあとで、来週は来られないとのメモがあった。冷たい雨が降っていたこともあり、少し落ち込んだ。
先日紹介した勝本華蓮さんは、母親の物忘れや家族の問題で悩んでいた時、お釈迦様が「この世は苦である」とおっしゃったことを思い出して、心がすっと軽くなったそうである。
生老病死=四苦、怨憎会苦(憎い人と会う苦)、愛別離苦(愛する人と別れる苦)、求不得苦(求めるものを得られない苦)、五取蘊苦(煩悩のある人間存在そのものが苦)。この四苦八苦の原因は渇愛であり、執着を捨て、正しい道を実践すれば涅槃に至る、というのが、悟りを開かれたお釈迦様が、最初に行った説法の内容だ。
この「苦集滅道」=「四聖諦」という教えを知ってからは、私も、苦しいときには、時折(いつもではない)、自分の苦の原因を見つめるよう努めている。
けれども、煩悩のかたまりである私は、分かっちゃいるけど、苦しみ、悩むことをやめられない。
悩みは続くけれども、「妹のメモを見て落ち込んだのは、両親の介護から一時でも逃れたい、解放されたいという自分の望みがかなえられないからだ。私の煩悩がこの苦しみを生んでいるのだ」と考える。
もちろん、修行が足りないので、簡単に心は軽くならないが、「何も求めなければ、苦は生まれない」「両親からつかの間でも解放されたいという自分の思いが、苦を生み出しているんだ」と繰り返し思うことで、気持ちが少し落ち着いてくる。あくまでも少しではあるが……。
自宅の部屋には、サイドボードの上を半分使って、小さな仏壇を設けている。
仏壇といっても、ろうそく立て、線香立て、花瓶、仏様に供える水を入れる茶碗を並べているだけだ。
奥の一段高い棚に、ダライ・ラマ法王の灌頂会に参加したとき記念にいただいたチベットの曼荼羅、その両側に、釈迦如来像、小倉遊亀の観音像などの絵葉書を額にいれたものを飾っている。
いずれは、ちゃんとしたお釈迦様の仏画を飾りたい。とりあえず今、飾っているのは奈良国立博物館の国宝「刺繍釈迦如来説法図」の絵葉書だ。実物は博物館の壁一面ほどもある大きさで、全部刺繍で描かれたものだ。
初めてこの釈迦如来説法図を見たとき、その美しさに立ち尽くした。8世紀のものにしては、傷みも少なく、色褪せもない。お釈迦様も、説法を聞く天人や阿羅漢たちも、背景も、色鮮やかにいきいきと描かれている。
どんな人々が刺繍したのか分からないが、一針一針、祈りを込めて描かれた様子が想像できる。こんな美しい釈迦説法図がほかにあるだろうか。
今朝、自宅で久しぶりに座禅をした。茶碗の水を替え、ベランダに咲いていたランタナの花を飾り、ろうそくに火をつけ、線香を立てた。パーリ語の三帰依文のあと、般若心経を唱えた。そして、線香が燃え尽きるまで、ひたすら心を空っぽにして結跏趺坐。