空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

出雲の影山製油所を訪ねる旅

2018-05-17 01:19:08 | 旅行記

  友人たちと出している同人紙からの転載です。 

  長年携わっている生産者と消費者の提携団体「食品公害を追放し安全な食べ物を求める会」(略称「求める会」)の生産者訪問旅行で、この4月1日と2日、出雲市の影山製油所を訪ねた。

 求める会は、40年以上にわたって影山製油所と提携し、菜種油、胡麻油、紅花油を購入している。市販の油に比べれば値段は高いが、原材料、製造法の安全性、何より社長の影山さんの姿勢、強烈なキャラクターに魅了、圧倒されて、購入している会員は多い。

 求める会は、ただ品物を購入するだけではなく、その生産者と交流する活動を続けている。昨年は、長野・安曇野でリンゴを生産している小松農園を訪ねた。

 今回の旅行は、菜種を育てている地元の生産者が毎年開いている「菜の花祭り」への参加と、影山製油所見学が目的だ。

 神姫バスをチャーターして、神戸から山陰路へ。車窓から見える山々には山すそから山頂付近まで山桜、人里には道沿い、川沿いにソメイヨシノだろうか、ずっと桜が満開で、まるで桜街道だ。まこと日本は桜の国だなあと改めて納得した。

 バスが走る方向を変えるたびに山容も変わる伯耆富士、大山の雪景色に歓声を上げながら、出雲市に入り、日御碕でちょっと観光。

 日御碕の断崖絶壁を形作っている柱状節理、流紋岩が風化して不思議な模様を描いている足元の奇岩たち。

 日本列島はユーラシア大陸から切り離されてできたのが始まり、日本海側に奇岩の絶景が多くみられるのは、その名残だ、という解説をNHKの番組で見たのを思い出した。

 もっとゆっくり、絶景を見て回りたかったが時間がない。

 他の参加者は高齢者の部類に入る年齢にもかかわらず、日御碕灯台に登ったが、私は灯台から少し離れた海沿いの道を下って、日御碕神社にお参りした。

 神社の手前の海中には、ウミネコの繁殖地として天然記念物に指定されている経島(ふみしま)がある。たくさんのウミネコが飛んでいる風景を見るのは初めて。

 東に位置して昼世界を守る伊勢神宮に対し、この日御碕神社は日の沈む西に位置しているので、日本の夜を守れという神勅により建てられたそうだ。スサノオノミコトとアマテラスオオミカミが祀られている。

 言うまでもなく、出雲はアマテラス率いる天孫族に征服された地である。昼を守る伊勢、夜を守る日御碕神社というのは後付けの物語で、この神社にはもっと別の歴史的背景があるような気がするのだが……。

 思ったより早く斐川町の菜の花祭り会場に着いた。

 見渡す限り、満開の菜の花畑が波打って、風が菜の花のやさしい香りを運んでくる。姿は見えないが、雲雀のさえずりが絶え間なく聞こえる。

 こんな風景の中に身をうずめるのは、祖母が作っていた菜の花畑の周りで遊んだ幼いころ以来だ。

 畝と畝の間を広く取っているせいで、菜の花は大地にしっかり根を下ろし、茎は太くたくましく、少々の大風でも倒れないように思えた。

 近くの伊波野コミュニティセンターで、おにぎり、豚汁、影山製油所の菜種油で揚げた天ぷら、はと麦茶の昼食をいただきながら、地元で菜種を栽培している農事組合法人「トムTOMファーム」の生産者のお話を聞いた。

 菜種は影山製油所から委託され栽培しているが、菜種の後には、連作障害を防ぐために、はと麦、米、そばなどを栽培し、次年の菜種は隣接する別の農地で栽培する、というふうに農地を移動させながら輪作している(輪作の順番は忘れてしまったが)。

 農事組合法人の活動で、広い農地で計画的な農業運営が可能になり、高齢化などで農業を続けられなくなった耕作地も管理、運営しているので、全国的に問題となっている耕作放棄地も出なくなったという。

 菜種を絞ったあとの油かすは農地に戻され、収穫されたはと麦、はだか麦、玄米はJA島根が販売している「発芽焙煎出雲はとむぎ茶」の原料となっている。

 私たちに説明してくださった方は、「体力の続く限り、トムTOMファームを続けて、この地の農業を守りたい」と誇らしげに話されていた。

 その日は出雲大社前の旅館竹野屋に泊まった。

 夕食まで時間があったので、大社にお参りにでかけた。この旅行に参加した理由の一つがまだ行ったことのない出雲大社に参拝することだった。

 夕暮れの大社は人影がまばらで、参道の並木の松の大木と満開の桜が静かに私たちを迎えてくれた。

 影山製油所は出雲大社に燈明用の菜種油を献上している。その縁で、平成の大遷宮のお祭りの際には、影山さんも皇族や他の名士たちと並んで招待されたそうだ。

 明くる日も朝食前に参拝した。

 いよいよ今回の旅のいちばんの目的地、出雲市葦渡町にある(有)影山製油所に向かう。

 影山さんは、求める会の総会や収穫感謝祭には、どんなに忙しい時でも、体調が芳しくない時でも、遠方から毎年参加してくださるが、私たちはお誘いがありながら、なかなか訪問できないでいた。

 お会いするたびに、国産菜種で作る菜種油を自分たちがどんな思いで守り製造し続けてきたか、独特の陽美節で話されるので、分かっているつもりでいたが、今回、現地で、菜の花畑や工場を回りながらお話を伺うと、影山さんの思いがずんずんと心に響いてきた。

 事務所には影山製油所の「こころざし」が掲げられている。

 一、使命感 安全で安心な食べ物をお届けする  

 一、情熱 手造りであることを誇りとする  

 一、共生 農家と共にあることを忘れない  

 一、感性 お客様の笑顔を心に描く  

 一、浄土 清らかな心で食べ物造りをする」

 総務部長の狩野さんが影山製油所について手作りの紙芝居を見せてくれた。

 情熱的な影山社長に対し、狩野部長はクールかつユーモアたっぷりで、お二人は名コンビだと思った。

 工場に入ると、倉庫には、不作の年でも原料を確保できるように、数年分の菜種の袋が天井高く積み上げられている。

 現在、菜種は99%が輸入である。菜種油に含まれるエルシン酸が人体に好ましくないと言われたことから、カナダ産の菜種を原料にしたキャノーラ油が大量に輸入されるようになった。

 その大部分が遺伝子組み換え菜種を原料としている。

 影山製油所では我が国の農研機構が開発した無エルシン酸の品種「ななしきぶ」「キラリボシ」を、交雑しないようにネットハウスで栽培し採種、次の年、鳥取県大山町の厳重に管理された圃場で増やし、3年目に契約農家に種子を提供して、翌年できた菜種を全量買い上げている。

 農家経営が立ち行かなくなれば、菜種油の原料も確保できなくなるからである。

 種子の採取から油ができるまで、何と四年もかかるのである。

 さらに、極小の種子を皿に入れて、ピンセットでいちいちより分けている様子を見て、驚かされた。

 菜種はもちろん有機栽培だ。

 昔ながらの伝統製法も守られている。

 まず、巨大な平釜に菜種を入れ、火力の強い松の薪を焚いて焙煎する。

 一般的には化学薬品や高熱を使って搾油、精製が行われているが、影山製油所では昔ながらの圧搾製法で搾油、水で精製し、ろ過には特別の和紙が使われている。

 搾油で高熱を使うと、菜種に本来含まれている天然の酸化防止剤のビタミンEが失われるため、後から酸化防止剤を添加しなければならない。

 私は長年、影山製油所の菜種油を使ってきたが、揚げ物に使っても、長い間たっても酸化しないし、臭いもしない。

 市販の油のように、べとべと感がなく、さらさらしている。最後までおいしく使えるので、廃油が出ない。豊富なビタミンEのおかげである。

 これらの製造過程は職人さんの手作業で行われる。職人さんはすべて女性だ。力の要る仕事なので大変だと思う。

 前日の夕食の場には、影山社長と狩野部長も来られた。その時、参加者の一人が、安心安全な食べ物は大事だけれども、お金がかかるので経済的に大変な人には負担が大きいという現実もある、という話をした。

 影山社長、いつもの弁舌で、反論した。議論の詳細は忘れてしまったが……。

 生産の現場を見て、菜種油が高いのはやむを得ないと心から思った。

 一方で、低額の年金で暮らす私のような身分では、すべての食べ物を、国産品、有機農産物、遺伝子組み換えでなく、添加物なし、環境に負荷をかけないという基準で賄おうとすれば、家計は破綻する。

 育ち盛りの子どもを持つ低所得家庭であれば、なおさら困難だ。

 しかし、子どもたちが、あまりにも貧しく、成長を阻害するような食べ物に囲まれている状況を思うと、心が痛む。

 食べ物は命を造るものだ、安心安全な食べ物を造るということは命を造ることでもある、そんな食べ物を選ぶということは、生き方の問題でもある、心の問題でもある。そういうことをみんなに伝えるのが私たちのなすべきことではないのか。

 言葉は違うけれども、影山さんの反論の趣旨はこういうふうなことだったように思う。

 私はそんな影山さんの反論を聞きながら妙に腑に落ちた。

 曹洞宗では食事の前に「五観の偈(ごかんのげ)」という偈文を唱える。内容を要約すると、

 ㈠ 一粒の米といえども限りない人々の手を経て与えられていることに感謝する 

 ㈡ 自分の行いは与えられた恵みに値するものであるかどうか反省する 

 ㈢ 食べ物をいただくにあたり、貪り、不満や怒り、愚痴の心を起こさない 

 ㈣ 食事は良薬を服するのと同じ、身体、命を支えるためにいただくのである 

 ㈤ この食べ物をいただくのは、ひとえに、仏陀の教えを心に置き、悟りに近づけるように日々を生きるためである。

 影山さんがいつも私たちに伝えようとしてきたのは、五観の偈と同じではないかと、新たな発見をしたような思いである。

 今回の出雲の旅は、桜や出雲の美しさも含めて、心が豊かになった旅でもあった。