またまた『望空游草』からの転載です。
神戸を拠点に、生産者と消費者の提携運動を進めている「食品公害を追放し安全な食べ物を求める会」(通称・求める会)のことを本紙第3号に書いた。この1年、会の世話人をやって、日本の農業について考えることが多かった。
「求める会」と野菜、米の産消提携をしているのは丹波市市島町の「市島有機農業研究会」(通称・市有研)の生産者たちだ。その丹波市と、隣接する京都府福知山市は昨年8月、未曽有の豪雨に襲われた。
市有研のメンバー、Hさんは有機農業がやりたくて市島に移住した。今回の豪雨で自宅の裏山が崩れ、住宅は直撃をまぬかれたものの、農機具や収穫後のタマネギ、ジャガイモを収納していた倉庫と、田んぼが土砂で埋まった。平飼いをしている鶏舎にも雨水が流れ込んだ。
公道は行政が出動して復旧に当たったが、自分の土地は自分で何とかしなくてはならない。消防団の一員として救助活動をやっている間に、丹波市で唯一の死者となった同僚の父親を救えなかったことのショック、どこから手を付けていいのかわからないほどの被害の大きさに、農業をやめて故郷に帰ろうとまで思ったと、Hさんは後に告白した。
有機農業運動や農業研修など、いろいろな縁でつながりができた若者たちが駆け付け、岩石まじりの大量の土砂をスコップですくい始めた。インターネットで知って駆け付けたという神戸大の学生もいた。
私たち消費者も、おにぎりなどを用意してお見舞いに駆け付け、高齢者ばかりでほとんど役に立たなかったが、片付けのお手伝いをさせていただいた。
彼らに背中を押されるようにして、自らも倉庫の土砂をすくっている間に、少しずつ落ち着きを取り戻し、生産量が大幅に減ったものの、今も野菜作りを続けている。
しかし、豪雨のあとも天候不順はつづき、土が乾く間もないので種まきができない、日照不足で苗が成長しない、虫害がひどいということが続いた。4月から5月にかけての端境期には、野菜の出荷がまったくできなかった。こんなことは初めてだという。
有機米の提携をしているIさんは、米作りをやめた農家の田んぼを少しずつ買い足し、おいしいお米ができる田んぼを何年もかけて作り上げた。その田んぼの3~4割が、山崩れの土砂と流木で跡形もなく埋まってしまった。
私たちが訪ねたとき、Iさんと息子さんは、なぎ倒された電気柵の修復に駆けずりまわっていた。山に囲まれた市島は、シカやイノシシの獣害がひどく、電気柵が壊されれば、被害をまぬかれた収穫前の稲までもが食べ尽くされてしまう。
Iさんのお連れ合い、のぶ子さんが私たちを土砂に埋まった田んぼに案内しながら、「ここいらの田んぼは私が一生懸命育てて、本当にいい米ができるようになったんよ」と説明してくれていたが、突然、「ここからは先にはよう行かん。あんたたちだけで行って」と引き返した。手塩にかけた田んぼの変わり果てた姿を見るのがつらいのだ。
先に進むに従って、稲は立っているものの下半分が土砂に埋まっていたり、稲がなぎ倒されていたりする。さらに登っていくと、辺り一面のがれ場が現れた。土砂だけではなく、押し流される間に枝がもぎ取られ、表皮がはがれた材木が折り重なっている。こんな状態になってしまった田んぼを復旧するのは不可能だろうと思われた。
「求める会」では地域ごとに集まる「地域集会」を開き、いろいろな問題について学習している。春には生産者を招いて現場の話をしてもらう。今年の春はHさんのお連れ合いのけい子さんが、豪雨被害のその後について話してくれた。
一番心に残ったのは、高齢化に豪雨被害が追い打ちとなり、農業をやめて地域を出ていく人たちが多いという話だった。
農地は、畔の草刈り、水路の管理が欠かせない。自分たちの田んぼを守るためには、地域のつながりがなくてはやっていけない。水路の上流が田んぼを放棄すれば、水路の管理をする者がいなくなり、自分たちのところにも水が来なくなる。
農村の地域社会の崩壊は、農業の崩壊を意味する。「私たちのところに水がくるかどうか、水が来なければ田植えができないので、心配だ」とけい子さんが言った。このような状況は、今も、これからも日本各地で起きてくるだろう。
丹波豪雨の二日後、広島市が豪雨に襲われた。神戸新聞によると、広島に六62億円の義捐金が寄せられたのに対し、丹波市への義捐金は2億円。メディアの注目度の差だと解説されていた。
私は、メディアおよび社会が、農村や農業に対して関心が低く、それゆえの想像力の無さが、このような差を生んだのだと思う。七十四人の人命が奪われ、住宅被害の大きかった広島のほうがメディアには報道しやすかったし、社会の関心を引くことも容易だ。
「求める会」では毎年4月、総会を開く。生産者も遠くから駆けつけてくれて、消費者と食事をしながらの交流会がある。そのうちの一人 Tさんは、市島で、有機米と、国産大豆を守るための運動「大豆畑トラスト」で有機大豆を作ってくれている。豪雨で大豆畑が冠水したが、大きな被害をまぬかれた。
「TPPで安い輸入農産物が大量に入ってくると、日本の農業は大きな打撃を受ける。遺伝子組み換え作物も入ってくる。でも私は心配していません。ダメだったら、農業をやめればいいだけです。困るのは消費者なんですよ」とTさんは言った。
本当に、日本の農業がダメになって困るのは、私たち消費者なのだ。
TPPで日本の農業が衰退すれば、私たちの命を支える食料の安定供給が脅かされるだけでなく、遺伝子組み変え表示義務や添加物などの規制が緩和され、食の安全が脅かされる。
農業を担う人がいなくなれば、農村の地域社会が破壊され、自然環境を守ることができなくなる。安い輸入材で林業が立ちいかなくなり、山林の手入れをする人がいなくなって、山崩れや洪水が繰り返されるようになったのと同じ理屈だ。
「求める会」と「市有研」は今年、これまでの提携関係を振り返り、「提携の基本方針」を確認し合った。
そこには「有機農業運動における生産者と消費者の提携では、立場は対等であり、生命を委託し合う関係」である、「農産物は市場経済でいう商品ではなく、食生活を見直し健康を保つものであり、運動をすすめ学習するための素材であることを認識」する、と記されている。
農業が私たちの命を支え、生産者と消費者は生命を委託し合う関係にあるという認識があれば、メディアのとらえ方も、農業政策も変わってくるのではないだろうか。TPPにまい進する安倍政権は、それに反対する農協の解体を目ざした。自分の命が農業に支えられているという認識はまったくない。
2014年が国連の定める「国際家族農業年」だったことは、日本ではあまり話題にならなかった。
先進国では、新自由主義的政策によって、自由競争、グローバル化が進み、自給率低下や環境破壊が進んだことへの反省から、「持続可能な資源の利用」、「雇用創出」、「食料安全保障」において、家族農業や小規模農業の役割が見直されている。
世界の農家数の圧倒的多数は小規模・家族経営で、北米などの大規模農業はむしろ特別なのだ。
安倍政権はいまだに、企業の農業参入、市場の自由化、TPPに耐えうる大規模農業を唱え、農業所得の倍増を口にする。私たちの命を基本的に支える農産物を、金儲けのための商品としてしか見ていない。
私は、手に触れる物がすべて金になるという願いが叶えられ、食べ物も水さえも金に変わってしまったというミダス王の神話を思い浮かべずにはいられない。
お金はあるが、豊かな自然も、風土が育んだおいしくて安全な食べ物も失われてしまった日本を見たくはない。