幕末のリボルバーの製作ですが、因幡二十士の慰霊碑に取り付けるブロンズ製の拳銃を作るのが本来の目的でした。
どうせ作るのなら本物に近い物にしようと、前回までの製作となりましたが、ブロンズで、屋外に設置する物ならそこまで細かく作る必要は無かったのかも知れません。
ブロンズで製作するには細かすぎるパーツ割りだと壊れやすくなるし、なるべく一体化した状態で作る必要が有りました。
そこで、今回作った拳銃を組み立て、パーツの隙間等、埋めて、砂による型取りしやすい状態の原型を作ります。
これですが、銃口やシリンダーの穴を埋めて深さを浅くします。
上の写真のように、シリンダーとフレームの隙間も埋めます。
細かい部分ですが、撃鉄とシリンダーの隙間も埋めています。
一番問題だった銃身横の「エジェクター」の棒ですが、ここはこのままだと型取りしにくいと思ったので、別パーツにしました。
ブロンズで鋳造してもらってからビスと接着剤で固定します。
ブロンズの鋳造ですが、京都の片田舎にある鋳造所で製作して頂きました。
この機械でブロンズをドロドロに溶かし、砂で作った型に流し込んで製作します。
砂型は、砂に「水ガラス」と言う物を混ぜて原型を埋め、その砂に炭酸ガスを注入すると一気にかたまって型が取れますが、中の原型はどうやって抜き取るの?と思うのですが、原型はそのまま砂に入れるのでは無く、いったんシリコン等で型取りし、ロウで複製してそのワックスの原型を砂で型取りします。
砂を炭酸ガスで固めたら、熱を加えて中のロウ原型を流し出します。
これが「ロストワックス」と言う方法のようです。
その方法で作っていただいたものがこれです。
この写真はもうエジェクターの棒が取り付けてありますが、別部品で作りました。
ずっしりと重い銃ができましたが、全くどこも動きません。
引き金も撃鉄もエジェクターですら全く動きません。
拳銃の形はしていますが、ただの文鎮のような物です。
銃口もシリンダーも完全に塞がっています。
このような文鎮の銃のような物は、銃では無いと言う法律なので、色も白や黄色で塗る必要は有りません。
銃刀法に触れない物です。
記念碑に取り付ける物なのでブロンズのままでも良いのですが、古くなるとかなり緑錆が出て汚くなるので、最近は緑色に塗るのが一般的のようです。
表面が塗装されているので錆びません。
こんな感じで塗装しました。
専門の業者さんに焦茶色に焼き付け塗装してもらい、私が緑錆を上塗りしました。
これの裏側にステンレスのボルトを取り付け、鳥取県日野郡黒坂にある「泉龍寺」の慰霊碑に取り付けました。
黒御影石にボルトを差し込んでガッチリと固定してあります。
地元の石屋さんで取り付けて頂きました。
小さな物ですがこのブロンズ拳銃、井浦さんの彫刻代金の2倍以上かかりました。
原型の銃と記念撮影です。
やはり若干収縮するようです。
これが「因幡二十士」の慰霊碑です。
京都で謀反を起こした「河田佐久馬」ら含む因幡藩の侍はここ「泉龍寺」に幽閉されていたとなっていますが、牢に閉じ込められていた訳ではなく、割と自由に剣術の稽古したり、近所の人々との交流もあったそうです。
もしかしたら河田が持っていた拳銃も山に向けて撃っていたのかも知れません。
ここ「泉龍寺」にいたときは幽閉というのは名ばかりで、結構楽しんで生活していたようです。
ただこれも長くは続かず、全員移動命令があり、その後多くのものは射殺されたそうですが、河田佐久馬は、鳥取の最初の知事になりました。
「泉龍寺」にいた時が一番幸せな時?を過ごした因幡二十士を慕んで住職さんが慰霊碑を建てました。
因幡二十士の冥福をお祈りします。
しかし、この「ル・フォーショーリボルバー」の製作はまだ終わりませんでした。
この製作記事を「じげ風呂」という別なサイトで紹介していたら、それを見たある方から「幕末に使われていた拳銃を一つもらえないか?」とメールで問い合わせが来ました。
その方とは、ある舞台の舞台監督でした。
その方は「幕末の芝居をするにあたって、実際にその当時に使われていた拳銃を役者に持たせたい。」ということでした。
ただ、予算が無いとのことでしたので、一般的なモデルガン程度の値段で複製製作しました。
その舞台とは誰が出るのか?どんな話なのか?
それはまた次回に。
続く!
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