生誕100年記念 宮本三郎の描いた女性像 豊麗なる絵画世界
2005/12/3-2006/3/26
世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館
http://www.miyamotosaburo-annex.jp/
世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館は、2004年4月にオープンした。オープンしたのはオープンした当初から知っていた。
実は1点だけ、宮本三郎(1905-1974)の作品をずっと昔から知っていた。知人宅にあった宮本三郎の戦前の1作品である。ちょっと暗めの作風の女性を描いた作品である。そんなこともあって開館当初から是非行きたいと思っていた。
一般の人には、宮本三郎といえば、1942年に戦争記録画制作のために、藤田嗣治、小磯良平らとともにマレー半島、タイ、シンガポールなどに渡り完成させた「山下、パーシバル両司令官会見図」(翌年同作で第2回帝国芸術院賞を受けた)で有名である。手元にある、美術出版社のカラー版日本美術史にはその図版が掲載されている。
ところが、昨年の8月にホテルオークラの「ヨーロッパと日本~きらめく女性たち~」で戦後の宮本三郎の描く豊穣な色彩の《鰐淵晴子像》等をみて、そのギャップはますますひろがり、ますます行かなくてはと思っていた。
そして漸く本日、小松市立宮本三郎美術館蔵の《婦女三容》(1935)が展示されているのが、あと数日というところで足を運んだ次第。
自由が丘駅から歩いて数分の非常に便利なところであり、すぐにいけるのに漸く足を運んだわけである。
今回の展示は、生誕100年記念の第3期展で「宮本三郎の描いた女性像 豊麗なる絵画世界」を特集している。第1期展では「素描」を、第2期展では「戦争」をテーマに、それぞれ「技法」と「時代」の観点から、宮本三郎の画業を回顧してきたとのこと。
《婦女三容》(1935)は、洋画にしては珍しい白い背景の作品。和装、洋装、チャイナドレスを装う三人の女性を描く。昭和10年という時代を反映した作品。

マティス風の作品が2点。《青い敷物》(上図 SRCリンクです)と《金魚鉢と女》。前者はマティスのアラベスク模様の装飾を背景に豊満な女性のヌードを描いています。上図の青はマティスの青とちょっと違いますが、実際はもっとマティスの青と同じ色合いです。後者は、マティスのアラベスク模様の装飾を背景に浴衣姿の女性を描きます。



(上図(SRCリンクです)の)晩年の《裸婦》(1969~70年頃)《ヴィーナスの粧い》(1971)《假眠》(1974)といった作品は、マティスやシャガール的な装飾の世界にルノワール的な肉感的な女性が横たわっています。シャガールのような祈りの世界というよりは、《生》といった世界です。本当に豊麗なる絵画世界というに相応しい作品群です。
是非一度訪れてほしい美術館です。多分美術館を独り占めできます。
2005/12/3-2006/3/26
世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館
http://www.miyamotosaburo-annex.jp/
世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館は、2004年4月にオープンした。オープンしたのはオープンした当初から知っていた。
実は1点だけ、宮本三郎(1905-1974)の作品をずっと昔から知っていた。知人宅にあった宮本三郎の戦前の1作品である。ちょっと暗めの作風の女性を描いた作品である。そんなこともあって開館当初から是非行きたいと思っていた。
一般の人には、宮本三郎といえば、1942年に戦争記録画制作のために、藤田嗣治、小磯良平らとともにマレー半島、タイ、シンガポールなどに渡り完成させた「山下、パーシバル両司令官会見図」(翌年同作で第2回帝国芸術院賞を受けた)で有名である。手元にある、美術出版社のカラー版日本美術史にはその図版が掲載されている。
ところが、昨年の8月にホテルオークラの「ヨーロッパと日本~きらめく女性たち~」で戦後の宮本三郎の描く豊穣な色彩の《鰐淵晴子像》等をみて、そのギャップはますますひろがり、ますます行かなくてはと思っていた。
そして漸く本日、小松市立宮本三郎美術館蔵の《婦女三容》(1935)が展示されているのが、あと数日というところで足を運んだ次第。
自由が丘駅から歩いて数分の非常に便利なところであり、すぐにいけるのに漸く足を運んだわけである。
今回の展示は、生誕100年記念の第3期展で「宮本三郎の描いた女性像 豊麗なる絵画世界」を特集している。第1期展では「素描」を、第2期展では「戦争」をテーマに、それぞれ「技法」と「時代」の観点から、宮本三郎の画業を回顧してきたとのこと。
《婦女三容》(1935)は、洋画にしては珍しい白い背景の作品。和装、洋装、チャイナドレスを装う三人の女性を描く。昭和10年という時代を反映した作品。

マティス風の作品が2点。《青い敷物》(上図 SRCリンクです)と《金魚鉢と女》。前者はマティスのアラベスク模様の装飾を背景に豊満な女性のヌードを描いています。上図の青はマティスの青とちょっと違いますが、実際はもっとマティスの青と同じ色合いです。後者は、マティスのアラベスク模様の装飾を背景に浴衣姿の女性を描きます。



(上図(SRCリンクです)の)晩年の《裸婦》(1969~70年頃)《ヴィーナスの粧い》(1971)《假眠》(1974)といった作品は、マティスやシャガール的な装飾の世界にルノワール的な肉感的な女性が横たわっています。シャガールのような祈りの世界というよりは、《生》といった世界です。本当に豊麗なる絵画世界というに相応しい作品群です。
是非一度訪れてほしい美術館です。多分美術館を独り占めできます。
今年度、当館では宮本三郎の生誕100年を記念する展覧会を、3期にわたり開催しております。これまで第1期展では「素描」を、第2期展では「戦争」をテーマに、それぞれ「技法」と「時代」の観点から、宮本三郎の画業を回顧して参りました。このたび、その第3期展として、宮本三郎が終生描き続けたモティーフである、「女性像」をテーマに、その画業の軌跡をたどります。
初期から晩年に至るまでの宮本三郎の作品群を見渡すと、人物を描いたものが圧倒的に多いことに気がつきます。なかでも女性を描いたものが大半を占め、それらを通観すると、生涯一貫して独自の写実表現を追い求めた宮本の、試行と、作風の変遷が見て取れます。
逝去する前年に出版された画集の中で、宮本は、次のように記しています。 「私が作画の上で、真の解放感と、<生の喜び>とが一つになったことを、はっきりと意識できるのは、ここ十年位の間の幾つかの個展の制作においてである。<花と裸婦>の連作、そして<女神たちの復活>などは私の人生と、私の画業とのたどり着き得た記念碑と言えるかと思う。」(『画集宮本三郎』1973年・毎日新聞社)
昭和という激動の時代を生き、時にその流れに翻弄されながらも画家として歩み続けた道程は、晩年の、<生の喜び>という主題に結実しました。裸婦を数多く描き、そこに単なる造形的な美しさを超えた、精神的な、内面世界の美を見出し、そして、「生きる」という、人間にとって最も根源的な喜びを表現したのです。
本展では、世田谷区奥沢のアトリエで完成した最初の作品、《婦女三容》(1935年・小松市立宮本三郎美術館蔵)を特別出品し、絶筆となった《假眠》(1974年)へと至る、宮本三郎が描いた「女性像」の移り変わりをご紹介します。
浴衣を着た日本人女性をモデルに、意識的に「日本的洋画」を描いた初期作、戦後の、褐色を主調とした光線の時代、昭和の銀幕を彩った女優の肖像の数々、そして、晩年の、華やかな色彩の世界まで、世田谷区奥沢のアトリエで育まれた、実り豊かな画業をお楽しみください。