平成18年新指定国宝・重要文化財
本館特別1室・特別2室 2006年4月25日~5月7日
主催:文化庁、東京国立博物館
平成18年(2006)に新たに国宝・重要文化財に指定される美術工芸品のうち、42件(国宝2件、重要文化財40件)が展示されていた。
目に付いたものを
国宝 琉球国王尚家関係資料(紅型) 第二尚氏時代~明治時代・16~19世紀 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
紅型は色鮮やか。
重文 ジョサイア・コンドル建築図面 468枚のうち 明治~大正時代・19~20世紀 京都大学蔵
彩色された設計図
我が国の近代建築の基礎を築いた英国人建築家ジョサイア・コンドル(1852~1920)が設計を委嘱された建築、付属施設、室内装飾などの建築図面である。代表作である工部大学校、ニコライ堂、三井家倶楽部、島津邸、古河邸、成瀬邸などをはじめとする38作品の基本設計、実施設計に関わる各種の図面を含む。コンドルが我が国の近代化に果たした役割は大きく、彼が設計に携わった建築図面は、近代建築史上きわめて貴重な資料である。
重文 紙本著色東福門院入内図 4曲1双のうち 江戸時代・17世紀 東京・三井文庫蔵
幕府の威信にかけて執り行った東福門院の入内の行列の様子。きちんと名前まで記していますので、記録写真のようなものでしょうか。
元和6年に徳川二代将軍秀忠の娘和子が後水尾天皇の女御として入内した際の行列を、順次も正確に、生彩に富む描写力で記念的に描いた作品。細線を駆使して一人一人を個性的に描き分けており、群像的な風俗画としても精緻さに優れている。詞書には他の文献資料にみられない記録も含まれ、資料的にも貴重である。当初は絵巻として構想されたと思われ、縦は42センチメートルと大型で、長さは28メートルを超す長大な行列図を屏風に貼り付けた力作である。
重文 紙本著色地獄草紙断簡(火象地獄) 1幅 平安時代・12世紀 東京・五島美術館蔵
地獄絵です。これからたびたび展示されるでしょう。
仏法に背いた僧侶が堕ちる地獄を描いた一図。もと益田鈍翁所蔵の七図からなる益田家甲本の名で呼ばれた絵巻の断簡である。国宝に指定されている東京国立博物館本、奈良国立博物館本の地獄草紙の絵巻と並ぶ貴重な作品で、優れた筆致で描かれる。さらには国宝本餓鬼草紙や病草紙などとともに六道絵の一環をなしていたとも考えられている
重文 能装束 紅浅葱地菊笹大内菱文様段替唐織 1領 安土桃山時代・16世紀 広島・厳島神社蔵
保存状態がよく、美しい能装束。
表は唐織地、裏は紅平絹(後補)の袷仕立てである。全体は、紅地に菊・笹・花菱亀甲の文様を、浅葱地に大内菱文様を表し、それらを互い違いに配した段替りの唐織である。袖の部分は、江戸時代に両袖の一部に裂を継ぎ足して袖幅を出し、文様を補っているが、当初は身幅に対して袖幅が狭い桃山時代に通例の形態であったことがうかがわれる。全体に紅を基調とし、文様を表す絵緯は多彩で柔らかみがある。保存状態が良好であり、遺例が極めて少ない桃山時代の能装束唐織の優品として貴重である。(桃山時代)
重文 彩磁禽果文花瓶 1口 板谷波山作 大正15年(1926) 新潟・敦井コレクション
孔雀や石榴などの文様を描く大型花瓶。東京府美術館開館記念聖徳太子奉賛美術展出品。
近代陶芸の指導者として先駆的役割を果たし、昭和4年に帝国美術院会員、同9年に帝室技芸員、同12年に帝国芸術院会員、同28年に文化勲章を受章した陶芸家・板谷波山(本名は嘉七、1872~1963)の作品である。高さ50センチメートルを越す大形花瓶の器表全面に薄肉彫りで孔雀や石榴などの文様を見事に表し、藍・桃色・緑・紫の釉下彩で賦彩し、全体にむらなく掛けられた透明釉も完璧な仕上がりを見せる。本品は大正15年東京府美術館開館記念聖徳太子奉賛美術展に出品されたもので、完成までには3年余りを費やしたといわれ、波山が最も精魂を傾けた作品で、動植物文様を主題にして優美な曲線文様として表現するアール・ヌーボー様式による大作の集大成として焼造したものである。波山は本作品製作以後は大作の製作から手を引いていくことになり、波山の記念碑的な作品であるとともに、波山を最も代表する作品の一つである。(大正時代
=1926)
重文 紙本著色四季日待図 1巻 英一蝶筆 江戸時代・17~18世紀 東京・出光美術館蔵
日待は民間信仰の行事で、前の夜から潔斎して日の出を待つものであったが、近世には徹夜の遊興が行われるようになった。本図は、正月、5月、9月に武家の邸内で繰り広げられる日待のさまざまな風俗を活写する。筆者の英一蝶(1652~1724)は新興都市江戸で人気を博し、軽快な筆致と明朗な彩色で江戸の市民生活を溌剌と描き出した都市風俗画家。本図は、機知的な構成と生動感あふれる人物表現による、一蝶の代表作である
重文 伊勢集 1帖 鎌倉時代・13世紀 奈良・天理大学蔵
『伊勢集』は、平安時代中期の女流歌人で三十六歌仙の一人である伊勢の私家集である。物語風の記述は、伊勢の生涯や当時の後宮文化を知る上にも貴重である。本書は藤原定家(1162~1241)監督の下に書写された鎌倉時代の古写本として、また完本として現存する最古写本として重要である。集付は勅撰集撰歌を示し、冷泉家相伝の証本として実際に使用されていたことを示している。
エリファレット・ブラウン・ジュニア撮影の銅板写真、賀茂別雷神社文書、長崎奉行所関係資料なども展示されていました。
BLUEの部分は、文化庁の報道発表資料の引用(PDF)
本館特別1室・特別2室 2006年4月25日~5月7日
主催:文化庁、東京国立博物館
平成18年(2006)に新たに国宝・重要文化財に指定される美術工芸品のうち、42件(国宝2件、重要文化財40件)が展示されていた。
目に付いたものを
紅型は色鮮やか。
彩色された設計図
我が国の近代建築の基礎を築いた英国人建築家ジョサイア・コンドル(1852~1920)が設計を委嘱された建築、付属施設、室内装飾などの建築図面である。代表作である工部大学校、ニコライ堂、三井家倶楽部、島津邸、古河邸、成瀬邸などをはじめとする38作品の基本設計、実施設計に関わる各種の図面を含む。コンドルが我が国の近代化に果たした役割は大きく、彼が設計に携わった建築図面は、近代建築史上きわめて貴重な資料である。
幕府の威信にかけて執り行った東福門院の入内の行列の様子。きちんと名前まで記していますので、記録写真のようなものでしょうか。
元和6年に徳川二代将軍秀忠の娘和子が後水尾天皇の女御として入内した際の行列を、順次も正確に、生彩に富む描写力で記念的に描いた作品。細線を駆使して一人一人を個性的に描き分けており、群像的な風俗画としても精緻さに優れている。詞書には他の文献資料にみられない記録も含まれ、資料的にも貴重である。当初は絵巻として構想されたと思われ、縦は42センチメートルと大型で、長さは28メートルを超す長大な行列図を屏風に貼り付けた力作である。
地獄絵です。これからたびたび展示されるでしょう。
仏法に背いた僧侶が堕ちる地獄を描いた一図。もと益田鈍翁所蔵の七図からなる益田家甲本の名で呼ばれた絵巻の断簡である。国宝に指定されている東京国立博物館本、奈良国立博物館本の地獄草紙の絵巻と並ぶ貴重な作品で、優れた筆致で描かれる。さらには国宝本餓鬼草紙や病草紙などとともに六道絵の一環をなしていたとも考えられている
保存状態がよく、美しい能装束。
表は唐織地、裏は紅平絹(後補)の袷仕立てである。全体は、紅地に菊・笹・花菱亀甲の文様を、浅葱地に大内菱文様を表し、それらを互い違いに配した段替りの唐織である。袖の部分は、江戸時代に両袖の一部に裂を継ぎ足して袖幅を出し、文様を補っているが、当初は身幅に対して袖幅が狭い桃山時代に通例の形態であったことがうかがわれる。全体に紅を基調とし、文様を表す絵緯は多彩で柔らかみがある。保存状態が良好であり、遺例が極めて少ない桃山時代の能装束唐織の優品として貴重である。(桃山時代)
孔雀や石榴などの文様を描く大型花瓶。東京府美術館開館記念聖徳太子奉賛美術展出品。
近代陶芸の指導者として先駆的役割を果たし、昭和4年に帝国美術院会員、同9年に帝室技芸員、同12年に帝国芸術院会員、同28年に文化勲章を受章した陶芸家・板谷波山(本名は嘉七、1872~1963)の作品である。高さ50センチメートルを越す大形花瓶の器表全面に薄肉彫りで孔雀や石榴などの文様を見事に表し、藍・桃色・緑・紫の釉下彩で賦彩し、全体にむらなく掛けられた透明釉も完璧な仕上がりを見せる。本品は大正15年東京府美術館開館記念聖徳太子奉賛美術展に出品されたもので、完成までには3年余りを費やしたといわれ、波山が最も精魂を傾けた作品で、動植物文様を主題にして優美な曲線文様として表現するアール・ヌーボー様式による大作の集大成として焼造したものである。波山は本作品製作以後は大作の製作から手を引いていくことになり、波山の記念碑的な作品であるとともに、波山を最も代表する作品の一つである。(大正時代
=1926)
日待は民間信仰の行事で、前の夜から潔斎して日の出を待つものであったが、近世には徹夜の遊興が行われるようになった。本図は、正月、5月、9月に武家の邸内で繰り広げられる日待のさまざまな風俗を活写する。筆者の英一蝶(1652~1724)は新興都市江戸で人気を博し、軽快な筆致と明朗な彩色で江戸の市民生活を溌剌と描き出した都市風俗画家。本図は、機知的な構成と生動感あふれる人物表現による、一蝶の代表作である
『伊勢集』は、平安時代中期の女流歌人で三十六歌仙の一人である伊勢の私家集である。物語風の記述は、伊勢の生涯や当時の後宮文化を知る上にも貴重である。本書は藤原定家(1162~1241)監督の下に書写された鎌倉時代の古写本として、また完本として現存する最古写本として重要である。集付は勅撰集撰歌を示し、冷泉家相伝の証本として実際に使用されていたことを示している。
エリファレット・ブラウン・ジュニア撮影の銅板写真、賀茂別雷神社文書、長崎奉行所関係資料なども展示されていました。
BLUEの部分は、文化庁の報道発表資料の引用(PDF)