なぜ多摩は東京都となったか (けやきブックレット)梅田 定宏けやき出版このアイテムの詳細を見る |
なぜ多摩は東京都となったか
梅田定宏著
けやきブックレット13
けやき出版 1993年
三多摩は明治4年の廃藩置県の際に入間県への編入が決定して間もなく神奈川県への管轄が変更された。神奈川県知事であった陸奥宗光の強い要求のためという。
三多摩とは北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡。廃藩置県時に郡はなかったが、明治11年に郡区町村編成法で復活。多摩郡は東西南北に分割された。東多摩郡は廃藩置県時(明治4年)から東京府にされていた。
明治26年(1893年)、三多摩は東京都に移管。
要因は
1.玉川上水の水源確保のため、という東京府側の要因
2.神奈川県知事が県議会で手こずった神奈川自由党の分断という神奈川県の要因
3.甲武鉄道(中央線)開通(1889)による東京圏への結びつきという三多摩側の要因
4.自由党の衆議院議長星亨が自由党を現実主義路線へ変えるとともに首都東京の自由党による乗っ取りのため、三多摩自由党もその星に近づきつつあったという自由党側の要因
だという。
都制がひかれたのは昭和18年、東京府と東京市がひとつになり東京都発足。三多摩は東京都に編入された。これは、三多摩側の強い要望による。戦後、三多摩が東京のベッドタウンとなるにつれ、区部との格差が、三多摩格差として認識され、是正運動が起きた。という。
自由民権運動の盛んだった三多摩地域、横浜開港と結びついた生糸で栄えた三多摩というイメージがあったが、これは、神奈川県下での時代の話だったようだ。いみじくも中央線120年のイベンドがJRによって行われているが、歴史的に三多摩にとって中央線の果たした役割がこれほど大きかったというのも初めて知った。