徒然なるまままに

展覧会の感想や旅先のことを書いてます。

圜悟克勤墨蹟

2006-07-11 | 
圜悟克勤(エンゴコクゴン)の墨跡2点を一日のうちに拝見。「書の国宝 墨跡」(五島美術館)と「古筆と墨跡」(畠山記念館)で一点ずつ。

圜悟克勤(エンゴコクゴン)(1063-1135)は、中国・北宋時代の禅僧。生前に北宋の徽宗(きそう)皇帝から「仏果禅師」、南宋の高宗皇帝から「圜悟禅師」の号を賜い、諡号を「真覚禅師」。『碧巌録(へきがんろく)』の著者として名高い。国立国会図書館のディジタル貴重書展に古刊本「仏果圜悟禅師碧巌録(ぶっかえんごぜんじへきがんろく)」10巻が紹介されている。(こちら

「表千家不審菴」によれば、圜悟の墨跡は、わび茶の祖である村田珠光が、禅の師である一休宗純より印可証明(悟りの証し)として与えられたことから、茶の湯の世界ではことに珍重されてきた。千利休も「圜悟の墨跡」を重視し、自らの茶会でも用いている。という。

  • 国宝 圜悟克勤墨蹟 与虎丘紹隆印可状(くきゅうじょうりゅうにあたえるいんかじょう)(流れ圜悟) 北宋 / 宣和6年(1124)  東京国立博物館蔵 (画像はt東博へのSRCリンク)(五島美術館にて)

    圜悟克勤が,その法嗣の虎丘紹隆に与えた印可状の前半。全文の記録される『圜悟仏果禅師語録』によると,墨跡の末尾には宣和六年(1124)十二月の款記があったが,伊達政宗の所望で半分に切断され,後半が伊達家に渡ったとされる。現存最古の墨跡で,圜悟克勤の禅林史上の重要さとあいまって,古来墨跡の第一とされてきた。本幅は薩摩坊ノ津海岸に漂着したことから「流れ圜悟」の異称がある。大徳寺大仙院,堺祥雲寺伝来。のち松平不昧公の所蔵となり,永く同家に襲蔵された。不昧公は、この墨蹟を手元から離さず、参勤交代にも持参、泊まる際には別室に置き不寝番に警護させたという。さらに、茶会に、この墨蹟を用いた記録は残っておらず、亡くなる前に、この墨蹟を茶会に出すことを禁ずることを言い残した。という。(「文化遺産オンライン」「Yomiuri Event Square」による)

  • 重要文化財 圜悟克勤墨蹟 法語 徳川宗家伝来 北宋時代/建炎2年2月10日(1128) (畠山記念館) 

    圜悟克勤墨蹟で国宝は1点。重要文化財は1点だけのようですから、その1点ずつを、江戸時代には、徳川宗家と松平不昧公が所蔵していたということになります。

    両墨跡を一日で拝見したわけですが、墨跡どちらの字体も、よく似た字体と拝察しましたが、畠山記念館の図録の解説に寄れば、法語のほうは、洒々落々な書風で、いわゆる尺牘と評される墨蹟とのこと。
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    書の国宝 墨跡 @五島美術館

    2006-07-08 | 
    書の国宝 墨跡
    五島美術館
    2006年6月17日から7月23日
    「墨蹟」(ぼくせき)とは、日本においては特に禅宗の高僧が書き遺した筆跡を意味します。鎌倉時代に禅宗を通じて中国との交流が盛んになり、中国と日本の高僧たちが遺した書は、師から弟子へと仏の教えを伝える証として尊重され、伝承されてきました。以後、「墨蹟」は禅宗のみならず武家や公家、上層の町衆などの一般社会においても、広く文学・芸術の機軸となり、茶道の隆盛とともに茶室の掛物として珍重され、鑑賞されるようになりました。現在、大切に守られてきた作品の多くは、国宝・重要文化財に指定されています。本展では、国宝12件、重要文化財55件を含む「墨蹟」の名品約90件を集め、特に茶人の尊崇の対象となった著名な作品を多く紹介し、書道史上の名宝を紹介します(会期中展示替あり)。

    墨跡は、これは全くどこがいいのか、判りません。美学的には、決して上手でも個性的な書ばかりでもありません。残念ながら漢文の素養がないので、書いてある内容も判然としません。とはいえ、今でも現代の墨跡をうやうやしく床の間に掛ける伝統はまだあります。茶室の掛け物に珍重されたのも確かです。ということで、全く勉強のつもりで2回ほど通うつもりです。

    Yomiuri Event Squareによれば、「禅宗では、仏の教えを悟るため坐禅(ざぜん)などの厳しい修行を重ねる。そして、悟りを開いた僧の書は禅宗の精神そのもの、巧拙を超えた極限の心の書となる。」とありました。「悟りを開いた」僧による「巧拙を超えた」書というのですから、やはり、禅の修業を積むか、お茶を真剣にしないと、いくら鑑賞しても、判らないということかもしれません。

    展示の国宝は12点。今回鑑賞できたは6点。次回はあと5点を鑑賞できます。1点は1週間しか展示されず見そびれました。
  • 国宝 圜悟克勤墨蹟 与虎丘紹隆印可状(流れ圜悟) 東京国立博物館蔵 **
  • 国宝 無準師範墨蹟 山門疏 五島美術館蔵 ***
  • 国宝 無準師範墨蹟 与聖一国師尺牘(板渡墨蹟) 東京国立博物館蔵 **
  • 国宝 馮子振墨蹟 易元吉画跋 神奈川・常盤山文庫蔵 **
  • 国宝 無学祖元墨蹟 与長楽寺一翁偈頌 京都・相国寺蔵 ** ***(展示箇所替え)
  • 国宝 清拙正澄墨蹟 遺偈(棺割墨蹟) 神奈川・常盤山文庫蔵 ***
  • 国宝 古林清茂墨蹟 与別源円旨送別偈 五島美術館蔵 **
  • 国宝 古林清茂墨蹟 月林道号 京都・長福寺蔵 ***
  • 国宝 了庵清欲墨蹟 進道語 東京国立博物館蔵 ***
  • 国宝 虚堂智愚墨蹟 与照禅者偈頌(破れ虚堂) 東京国立博物館蔵 ***
  • 国宝 虚堂智愚墨蹟 達磨忌拈香語 京都・大徳寺蔵 *1
  • 国宝 宗峰妙超墨蹟 与慧玄蔵主印可状 京都・妙心寺蔵 *2

    *1  6月17日から6月25日
    *2  6月27日から7月9日
    **  6月17日から7月9日
    *** 7月11日から7月23日

    展示一覧の展示番号と図録の番号があっていません。調べれば、大阪展と違い、東京の展覧会の方が展示がかなり絞られています。大阪展では、国宝15件、重要文化財120件が展示されいました。東京展では、国宝12件、重要文化財55件ですから、かなりスケールが小さくなっています。東京展で展示されない3点の国宝は、
  • 宗峰妙超墨蹟 示宗悟大姉法語 京都・大仙院
  • 大慧宗杲墨蹟 与無相居士尺牘 東京国立博物館
  • 偃谿廣聞墨蹟 直翁筆六祖挟擔図賛 大東急文庫
    でも、なぜ、偃谿廣聞を展示しないのでしょうか?
    なお、図録は5000円もするので手が出ません。

    さて、展覧会の構成は、圜悟克勤、大慧派、破庵派、松源派、曹洞宗となっています。

    Wiki-pediaによれば、中国の禅宗は、北宋代になると、法眼文益が提唱した「五家」観念が一般化して「五家」(五宗)(すなわち、臨済宗(りんざいしゅう)、い仰宗(いぎょうしゅう)、雲門宗(うんもんしゅう)、曹洞宗(そうとうしゅう)、法眼宗(ほうげんしゅう))が成立した。さらに、臨済宗中から、黄龍派と楊岐阜派の勢力が伸長し、「五家」と肩を並べるまでになり、この二派を含めて「五家七宗」という概念が生まれた。その臨済宗の楊岐派(ようぎは)に、圜悟克勤、大慧派、破庵派、松源派は含まれている。楊岐派では、白雲守端の門下に五祖法演が出て、その門弟より、圜悟克勤、仏鑑慧懃、仏眼清遠という、「三仏」と称される禅匠が現われた。南宋になっても、その勢いはとどまらず、克勤の門弟子、大慧宗杲は多数の門弟を集め、大慧派を形成した。その他、虎丘紹隆の虎丘派、虚堂智愚を出した松源派、無準師範を出した破庵派なども活躍した。

    それにしても、まずは漢語の勉強。五島美術館はきちんと解説がついていていつも親切でありがたいのだが復習。新明解国語辞典(など)によれば。
    法嗣:〔仏教で〕その法統のあととり。法を嗣(つ)ぐ弟子。
    印可:〔仏道で〕弟子が修行・知識共に水準以上に達したことを師の僧が証明すること。
    尺牘:「手紙」の意の漢語的表現。
    げ【偈】:(経論などの中に交じっている)四句から成る詩。仏徳をたたえ、教理を象徴的に述べるもので、「諸行無常」の類。頌(ジユ)。
    (8日)
    (続く)
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    海に生きる・海を描く @千葉市美術館

    2006-07-07 | 美術
    海に生きる・海を描く
    ~応挙・北斎から杉本博司まで~
    千葉市美術館
    2006年6月3日から7月17日まで

    千葉市美術館館長をされた辻惟雄先生は、著書「日本美術の歴史」(東京大学出版会)の中で「(円山応挙は)「富士三保図屏風」のような没骨(もつこつ)(輪郭線を用いず墨の濃淡だけでかたちを描く手法)による山水画法も試みるなど、かれのレパートリーはひろい」と書いている。この作品が出展されているというので、たまたま近くまでいったので寄ってみました。

    海の向こうに三保の松原、その向こうに富士の峰。応挙写、そして1779年の初春と署名。少し霞でもかかっていたのでしょうか?歌川広重 東海道五十三次の江尻(三保の松原)も同位置からの構図ですが、昔は、三保の松原が海に浮かぶように見えて、それは美しい景色だったのでしょう。

    このほかには、
    パンフレットを飾る、葛飾北斎 千絵の海「総州銚子」「総州利根川」。
    司馬江漢「犬のいる風景図」(1800-02)(絹本油彩額装)
    無款 新版阿蘭陀女通行之図(銅版筆彩)
    喜多川歌麿 「潮干のつと」(1789)彩色摺絵入狂歌本(かけらを集める(仮)。さんのサイトで教えていただきましたが、国立国会図書館所蔵本の画像が。ここ)にあります)

    また、明治以降の版画として

    織田一磨 築地河岸「東京風景」(1916)、品川「東京風景」(1916) の2点は、石版単色摺の力強い線が印象的
    川瀬巴水(かわせはすい)の松島桂島「旅みやげ第一集」、夜を描いた風景で藍色をベースとした画面の色合いが印象的だ。出雲松江(曇り日)「旅みやげ第三集」などは、曇り日の風景。川瀬巴水は、かなりの点数が展示されていました。

    川瀬巴水(かわせはすい 1883-1957)東京・芝に生まれる。鏑木清方門下となり、同門の伊東深水と共に「風景の巴水、美人画の深水」と評される。 その画に横溢するノスタルジアは余人の追随を許さず、欧米ではすでに北斎や広重と並び称される作家である。とT-NETオークションのサイトには紹介されていました。

    諏訪直樹 無限に連鎖する絵画No.32-50
    杉本博司 
    については初見。

    今年の展覧会スケジュールを見ていたら11月に浦上玉堂展があります。これは見逃せないかも。
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    ニュース:尾形光琳「布袋図」発見

    2006-07-04 | 美術
    出光美術館の年度計画はすごいと以前書きました(こちら)が。。。

    尾形光琳の三幅対「唐子布袋・松・梅図」が発見された。酒井抱一直筆の鑑定書付き。酒井抱一が江戸後期に出版した「光琳百図」にも記録されている絵。署名と印象から光琳40歳代半ばの作品と推定される。調査に当たったのは出光美術館の内藤正人主任学芸員。
    出光美術館で開催される「国宝風神雷神図屏風」展にて初めて公開される。

    (日経新聞2006年6月26日夕刊24面から、写真有)
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