コラム(413):自分の考えで生きることの大切さ
日本には「なぜ、反体制思考の人が少なからず存在するの?」と思ったことはありませんか?
記憶力のいい人が優秀だと評価されていた時代
答えは簡単です。彼らの殆どがいわゆる学校秀才です。左翼の先生の言ったことをインプットして、それがあたかも自分の考えであるかのように話すことが正しいと思っているからです。学校教育の基本である「学ぶ」ということは、古語の「まねぶ(まねをする)」から派生した言葉ですが、現代風に言えば教員の言葉をコピペしているにすぎません。コピペには自分自身のオリジナルな考えはありません。
これはいわゆる学校秀才と言われる人が陥りがちな傾向です。実証実験をしなければならない理系の人を除いて、あなたの周りにいる学校秀才を思い出して見ればすぐにわかりますが、その典型的な特徴は、記憶力がいいということに尽きます。
記憶力がいいというのは脳内の引き出しに覚えたことがきれいに整理されて、必要な時にすぐそれを取り出せることを意味します。たとえば、テレビのクイズ番組などで有名大学出身者がいつもいい成績を取れるのも、脳内の引き出しから記憶したことをすぐに引き出せる能力を持っているからなのです。
これを一般に頭がいい人というわけです。実際、記憶力のいい人は、人の話を聞いても、あるいは勉強の面でも、一度聞いたことは忘れない、あるいは、忘れにくいため、努力も普通の人のより少なくて済みます。
しかも、学校秀才は親からたいてい「先生の言うことはちゃんと聞くんですよ」と言われて学校に行き、教師の教えを忠実に取り入れます。文系の優秀な人ほど教師に質問はしなかったはずです。教師の言うことに疑問に思わず、素直に記憶しているわけです。
記憶力がよくても自分の頭で考えなければ・・・
彼らが長じて大学生になってもその習性は続き、権威あるとされる学説を忠実に受け入れます。しかも、権威ある学説を受け入れなければ、国家試験は突破できない構造があり、少数説に依拠することは不利になると知っています。この感覚は、学者、官僚、法曹関係者になろうとする人にとっては絶対的な必要条件です。
したがって、権威ある学説が反体制左翼なら学生は必然的にその学説に染まります。
いまでこそマルクス経済学という言葉が死語になりつつありますが、ソ連が崩壊するまでは日本の経済学の半分はマルクス経済学に占められていました。実業界では全く使えない理論で、マル経出身者は大学院で近代経済学を学びなおす必要がありました。しかし、いまでも、労働組合幹部や立憲民主党などの反体制野党にはこの思想【※1】から抜け出せず、政府の経済政策を批判する際によく利用しています。
【※1】マルクス経済学に依拠すると今日の日本は「社会主義国の崩壊以降は,露骨な資本主義=市場原理と競争万能主義への回帰傾向が顕著になってきています。他方,労働者が長年にわたる要求や運動によって勝ち取ってきた働く者の権利は次々に剥ぎ取られつつあります。日本では,労働基準法や男女雇用機会均等法の改正,能力主義,裁量労働制,年俸制といった制度変更が,あたかも労働者の自由度を広げるかのような理由付けのもと,実体としては賃金コストの削減を目的として進められています。」という風に見えるようです。
また、法学部の学生は、官僚や法曹界を志す人が多く、学説は多数説を徹底的に学ばねば試験に合格しません。東大に司法試験合格者多いのも主流の学説を説く学者を輩出しているからで、傍流の学説を学んだ学生は太刀打ちできません。余談ですが、私の学生時代、九大には開校以来の秀才といわれた井上正治という刑法学者がいましたが、その学説は少数派のため、司法試験受験者は東大の団藤重光氏の刑法をテキストにしていました。
さらに、法曹を志す学生は主要学説を必死で読み込み、覚え、条件反射的に主要学説を言える訓練を積まなければなりません。高校時代に秀才と言われた人でさえ、睡眠時間を4時間程度にしてテキストを覚えこむのに必死でした。
しかし、困ったことに、テキストのなかに学生を反体制に促すものがかなり存在するのです。例えば、その一つが東大教授・宮澤俊義の『憲法』です。憲法は、国家または政府の成立に係る基本的な国家体制、それの役割や権限、構造を定義する法体系であり、国家の自己決定権の根拠となる法と定義され、必修科目です。
宮澤俊義の憲法解釈の特徴は「八月革命説」にあります。宮澤はこの本で「敗戦によって天皇制の神権主義から国民主権主義への転換という『革命』が起こった」と説き、過去の日本を全否定してしまいました。革命とは天皇のご存在を含めて過去の文化的、歴史的、伝統的な財産を否定することですから、次なる革命を目指す人には革命へのお墨付きを与える書になったのです。
ただ、この学説のおかしなところは、国民がどのような「革命」を起こしたのかを説明していないところです。この学説は、当時のGHQが押し付けた日本国憲法を正当化させるためにGHQにおもねって書かれたものですが、芦部信喜などの弟子たちがこれを持ち上げ、以降の憲法論壇の主流を占めるに至っています。
今でも、憲法は宮澤俊義―芦部信喜のラインが主流で、革命思想が織り込まれたテキストを読み込んで何の疑問も抱かずに覚えこんだ法曹関係者は多数存在します。戦後ながらく法曹界が左傾化し、日弁連を反体制左翼が支配し続けているのはこのためです。
したがって、左傾化していない法曹関係者こそ、単に知識を詰め込んだだけでなく、学説の正邪をも見極めることのできた本当に頭がいい人と言えると思います。
危機の時代に必要な人
私たちはいま、大変な時代に突入したと思われます。すでに現段階で、コロナ禍とロシアによるウクライナ侵略でエネルギーと食糧分野で危機が始まろうとしています。これが経済的な苦境を世界規模で誘発しそうです。さらに、地球温暖化で異常気象となっている現在、世界各地で自然災害が多発し、その上に地震が頻発するわが国のような存在もあり、人類史上、稀に見る危機が随所に迫っていいと言っても過言ではありません。
これは記憶力がよく、コピペし体験をあたかも自分の考えのように振舞っていた人たちにとっても危機が到来したと言えると思います。経験したことのある危機ならば、記憶を紐解いて対処事例をコピペすればいいのですが、経験したことのない危機には事例がないわけですから、何も対処できません。
事実、今般のコロナ騒動で明らかになったのは優秀な官僚でさえすべて後手後手にまわったことです。危機管理は記憶力のいい秀才には対処不能で、自分の頭で考えることのある人以外は対処することはできません。
これからの時代、記憶力がよかろうが悪かろうか、とかく自分の頭で考え行動することが何よりも大切だと思います。また、いくら記憶力がよくても真実を見抜く目を持っていない限り、いろんな情報に振り回されてことの本質を見失い、自分で何も判断できなくなるだけなおです。
これからの時代を生き抜く力とするためには、他人に権威を求めるのではなくて、自分自身に権威を求めていくことこそ必要になるのではないかと思います。
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