先週の旅行、たったの2日間だったけれど、blogに書きたいネタは満載
「どこから手をつけようか」と迷ったけれど、まずは大徳寺の瑞峯院の平成待庵から
大徳寺の境内には(たぶん)22の塔頭が存在するが、常時公開しているのは(たしか)4軒(だったと思う)。
瑞峯院はそのうちの1軒。詳しくは前回の訪問を参照されたし。
平成待庵は此処にあるのだけど、ここだけは事前予約が必要ということで、今回は3日前に申し込んだ。
受付でその旨を名乗り、特別拝観料を支払うと、玄関脇の四畳半の茶室に通された。
ほどなく和尚様があらわれて、扇風機と炉塞ぎの蓋を取られると、炉にかかった鉄瓶が
略式のお点前で抹茶をいただいた。
お菓子は大徳寺納豆が入ったものと、2服めは振り出しに入った大徳寺納豆(←こちらの手作り)で。
「待庵を見たい」と1人で予約するぐらいだから、茶道を習っている人間であるとはおわかりのようで、
まずは28日の月釜の話題から。
京都のお水は美味しいですね。此処へ来る前に梨木神社に汲みに寄りました~と話すと、
「わざわざ行かんでも、云うてくれたらここで汲んだらよかったのに」
云われてみれば、部屋の隣には釣瓶がある現役の井戸がある。
そういえば、門の脇にもあった。
(瑞峯院内だけでも4つの井戸があるそうな)
「どちらから来はったん?」で自宅のある地名を答えると、「あぁ。そこは」。
江戸時代に活躍した有名な禅僧が若かりし頃に修行した某寺院の名をあげた。
さすがだなぁーと感動しつつ、
私の家はそこのすぐ近所なんですヨ。もっとも、お寺の中には入ったコトないですけど。
「あっこの奥さん、お茶をやってるヒトよ」
なるほど。
そのほか、大河ドラマの『江』の話題も出たヨ
大徳寺の和尚様も観てるんだぁと、ちょっとビックリ。
お茶をいただいた後、待ちに待った待庵へ~。
閑眠庭(十字架の庭)と安勝軒の見学を経て、待庵の水屋へ。
実は7年前に山崎の妙喜庵を訪れ、待庵を見学したことがある。
国宝の茶室ではあるけれど、シロアリ被害でギリギリの状態で維持しているとのことで、
躙口から内部を拝見したのみ。
なので、写しとはいえ中に座れることに感動
こちらの存在を知ったのは一昨年のNHKを観てのことだったと思う。
「出来て間もない」と思っていたが、利休四百回忌の時に建てられたとのこと。
三千家の家元もココで儀式か供養をされたそうな。
えっ もう20年前からあったんだぁと、これもビックリ。
現存する待庵のほか、文献や図面を基に忠実に再現されたとのこと。
忠実、、、、ん? なんか、違和感が。。。
「あの、床が広くないですか?」と、おそるおそる聞いてみる。
床の間の幅が隅炉の外隅のところまであるのだ。
写真で何度も見たから、間取りは覚えている。ホンモノはここまで床はきてない。
すると、「妙喜庵の落掛(←床框だったかも)は切った後があるんですワ」。
つまり、利休さんが待庵を建てた場所から現在の妙喜庵へ移築されたのだという。
その際に床の間の幅を決める柱が短くされちゃったようだ。
で、平成待庵は“最初に建てられた状態の待庵”を再現したものらしい。
だから、妙喜庵のホンモノにはない内露地も再現されている。
↑内露地を外側から見たところ。
そういえば、妙喜庵にもここらの位置に赤松が植えてあったなぁ。
たしか、秀吉の手植えだっけ?
天井の骨組みが竹だったり、壁に藁を混ぜたのも、現地のあり合わせの材料を使ったから。
とても説得力をもって伝わる説明ダ
壁や室床が青く見える。
室床も覗き込んでみたけど、奥の柱まで土を塗りこみ、角が丸みを帯びている。
本で読んだけど、まさに百聞は一見に如かずで感動
ちょうど20年前、NHKスペシャルで待庵の構造の謎に迫る番組を見た。
躙口や室床に見られる造りが朝鮮半島における当時の民家と同じだという検証を覚えている。
そのことを思い出していると、和尚様もその番組のことを話されるではないか
その番組、ワタシも観ましたぁ
この平成待庵でも撮影されたそうな。。。(と仰っていらっしゃった、、、と思う)
しばらくすると、和尚様は「私は務めがあるので、どうぞごゆっくり。
帰る時はそこ閉めといてネ」と出て行かれた。
えっと思いつつ、一人で点前座座ってみたり、正客の位置に座ったり。
二畳の奥深い空間を味わう。
躙口からもちょっとだけ外へ出て、内露地にも立ってみた。
最後に躙口を閉めて鍵をかけ、開いた窓の障子も閉めて退出した。
(言われなかったけど、さすがに内部での写真撮影は遠慮させていただきました)
平成に建てられたとはいえ、忠実に再現された茶室だけあり維持費が結構かかるのだとか。
「だから、拝観料をいただいて当てさせていただいてますのや」と仰られると、
ははぁ~。ごもっともでございますぅ。
と思う。
特別拝観料は1,500円かかるけど、抹茶もいただけるし、維持のためとあらば、
決して高すぎることはないと感じた。
見学した3日後に大河ドラマ『江』で聚楽第内にある利休さんの茶室が出てきた。
二畳だったけど、隅炉ではなくて向切だった。
床の間は、、、ん~録画を見直したけど、やっぱ違うなぁ。
(ちと残念)
方丈に戻ってから、方丈裏の閑眠庭から待庵に続く露地を眺める。(いいなぁ)
方丈前で縁側に腰掛け、しばらく独坐庭を見る。
やっぱりココは落ち着く。
(枯山水は龍安寺の石庭の方が好きだけど、こちらは人がいないから、いいかもしれない)
辞去する時に再度、和尚様にご挨拶したら、もう作務衣に着替えてらした。
また、訪れてみたい。
(だけど、次は28日にしよっと)
瑞峯院を出たら、金毛閣が目に入ってきた。
あそこは2回、昇ったことがある。
聚光院も方丈、まだホンモノがはまっていた襖絵も見たし、茶室の閑隠席と枡席も見学した。同じく2度。
そのうちの1回が山崎の待庵を見学した翌日だった。
懐かしく思う反面、「あの頃はよく頑張れたもんダ。今はムリ」。
自転車を押して、とりあえず敷地を出てから、また漕ぎ出す。
孤篷庵の前を通った。
こちらも大徳寺の塔頭だから、昔は敷地内だったんだけど
ここには忘筌(ほうせん)という茶室がある。
こちらは非公開。
ちょうど、吉富さんだったか末富さんの車が停まっていて、門から職人さんが出てきた。
和菓子を配達しに来てたのネ。
ということは、お茶事が催されてるのかなぁ いいなぁ
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「どこから手をつけようか」と迷ったけれど、まずは大徳寺の瑞峯院の平成待庵から
大徳寺の境内には(たぶん)22の塔頭が存在するが、常時公開しているのは(たしか)4軒(だったと思う)。
瑞峯院はそのうちの1軒。詳しくは前回の訪問を参照されたし。
平成待庵は此処にあるのだけど、ここだけは事前予約が必要ということで、今回は3日前に申し込んだ。
受付でその旨を名乗り、特別拝観料を支払うと、玄関脇の四畳半の茶室に通された。
ほどなく和尚様があらわれて、扇風機と炉塞ぎの蓋を取られると、炉にかかった鉄瓶が
略式のお点前で抹茶をいただいた。
お菓子は大徳寺納豆が入ったものと、2服めは振り出しに入った大徳寺納豆(←こちらの手作り)で。
「待庵を見たい」と1人で予約するぐらいだから、茶道を習っている人間であるとはおわかりのようで、
まずは28日の月釜の話題から。
京都のお水は美味しいですね。此処へ来る前に梨木神社に汲みに寄りました~と話すと、
「わざわざ行かんでも、云うてくれたらここで汲んだらよかったのに」
云われてみれば、部屋の隣には釣瓶がある現役の井戸がある。
そういえば、門の脇にもあった。
(瑞峯院内だけでも4つの井戸があるそうな)
「どちらから来はったん?」で自宅のある地名を答えると、「あぁ。そこは」。
江戸時代に活躍した有名な禅僧が若かりし頃に修行した某寺院の名をあげた。
さすがだなぁーと感動しつつ、
私の家はそこのすぐ近所なんですヨ。もっとも、お寺の中には入ったコトないですけど。
「あっこの奥さん、お茶をやってるヒトよ」
なるほど。
そのほか、大河ドラマの『江』の話題も出たヨ
大徳寺の和尚様も観てるんだぁと、ちょっとビックリ。
お茶をいただいた後、待ちに待った待庵へ~。
閑眠庭(十字架の庭)と安勝軒の見学を経て、待庵の水屋へ。
実は7年前に山崎の妙喜庵を訪れ、待庵を見学したことがある。
国宝の茶室ではあるけれど、シロアリ被害でギリギリの状態で維持しているとのことで、
躙口から内部を拝見したのみ。
なので、写しとはいえ中に座れることに感動
こちらの存在を知ったのは一昨年のNHKを観てのことだったと思う。
「出来て間もない」と思っていたが、利休四百回忌の時に建てられたとのこと。
三千家の家元もココで儀式か供養をされたそうな。
えっ もう20年前からあったんだぁと、これもビックリ。
現存する待庵のほか、文献や図面を基に忠実に再現されたとのこと。
忠実、、、、ん? なんか、違和感が。。。
「あの、床が広くないですか?」と、おそるおそる聞いてみる。
床の間の幅が隅炉の外隅のところまであるのだ。
写真で何度も見たから、間取りは覚えている。ホンモノはここまで床はきてない。
すると、「妙喜庵の落掛(←床框だったかも)は切った後があるんですワ」。
つまり、利休さんが待庵を建てた場所から現在の妙喜庵へ移築されたのだという。
その際に床の間の幅を決める柱が短くされちゃったようだ。
で、平成待庵は“最初に建てられた状態の待庵”を再現したものらしい。
だから、妙喜庵のホンモノにはない内露地も再現されている。
↑内露地を外側から見たところ。
そういえば、妙喜庵にもここらの位置に赤松が植えてあったなぁ。
たしか、秀吉の手植えだっけ?
天井の骨組みが竹だったり、壁に藁を混ぜたのも、現地のあり合わせの材料を使ったから。
とても説得力をもって伝わる説明ダ
壁や室床が青く見える。
室床も覗き込んでみたけど、奥の柱まで土を塗りこみ、角が丸みを帯びている。
本で読んだけど、まさに百聞は一見に如かずで感動
ちょうど20年前、NHKスペシャルで待庵の構造の謎に迫る番組を見た。
躙口や室床に見られる造りが朝鮮半島における当時の民家と同じだという検証を覚えている。
そのことを思い出していると、和尚様もその番組のことを話されるではないか
その番組、ワタシも観ましたぁ
この平成待庵でも撮影されたそうな。。。(と仰っていらっしゃった、、、と思う)
しばらくすると、和尚様は「私は務めがあるので、どうぞごゆっくり。
帰る時はそこ閉めといてネ」と出て行かれた。
えっと思いつつ、一人で点前座座ってみたり、正客の位置に座ったり。
二畳の奥深い空間を味わう。
躙口からもちょっとだけ外へ出て、内露地にも立ってみた。
最後に躙口を閉めて鍵をかけ、開いた窓の障子も閉めて退出した。
(言われなかったけど、さすがに内部での写真撮影は遠慮させていただきました)
平成に建てられたとはいえ、忠実に再現された茶室だけあり維持費が結構かかるのだとか。
「だから、拝観料をいただいて当てさせていただいてますのや」と仰られると、
ははぁ~。ごもっともでございますぅ。
と思う。
特別拝観料は1,500円かかるけど、抹茶もいただけるし、維持のためとあらば、
決して高すぎることはないと感じた。
見学した3日後に大河ドラマ『江』で聚楽第内にある利休さんの茶室が出てきた。
二畳だったけど、隅炉ではなくて向切だった。
床の間は、、、ん~録画を見直したけど、やっぱ違うなぁ。
(ちと残念)
方丈に戻ってから、方丈裏の閑眠庭から待庵に続く露地を眺める。(いいなぁ)
方丈前で縁側に腰掛け、しばらく独坐庭を見る。
やっぱりココは落ち着く。
(枯山水は龍安寺の石庭の方が好きだけど、こちらは人がいないから、いいかもしれない)
辞去する時に再度、和尚様にご挨拶したら、もう作務衣に着替えてらした。
また、訪れてみたい。
(だけど、次は28日にしよっと)
瑞峯院を出たら、金毛閣が目に入ってきた。
あそこは2回、昇ったことがある。
聚光院も方丈、まだホンモノがはまっていた襖絵も見たし、茶室の閑隠席と枡席も見学した。同じく2度。
そのうちの1回が山崎の待庵を見学した翌日だった。
懐かしく思う反面、「あの頃はよく頑張れたもんダ。今はムリ」。
自転車を押して、とりあえず敷地を出てから、また漕ぎ出す。
孤篷庵の前を通った。
こちらも大徳寺の塔頭だから、昔は敷地内だったんだけど
ここには忘筌(ほうせん)という茶室がある。
こちらは非公開。
ちょうど、吉富さんだったか末富さんの車が停まっていて、門から職人さんが出てきた。
和菓子を配達しに来てたのネ。
ということは、お茶事が催されてるのかなぁ いいなぁ
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はじめまして。
20年の前の番組は観ましたが、本が出ているとは知りませんでした。
図書館で借りて読んでみようと思います。
どうもありがとうございました。
平成待庵が見学できると知り、先日京都に行く機会に、拝観してきました。Akatsuki様と同じように、お茶と大徳寺納豆もいただきました。辛かったです(笑)。
炉縁と床柱が一直線上になる、広い床の間は幾何学的な整合を感じ気に入りました。内露地も良い意匠だと思います。
20年前のNHKスペシャルのディレクターが書いた、『利休 茶室の謎』を読んで以来、実物を見たいと思っていました。拝観ができるとは知らず、大徳寺に行っても素通りでした。良い事を教えていただき、ありがとうございます。これからも、お話楽しみにしています。
予約は少々プレッシャーでしたが、やはり行ってよかったです。
お寺もですが、京都は安心して過ごせるのが魅力ですね。
また、行きたくなります。
せかせかとした日々を送っているとご住職様のお話好きのとりこになりますよね。
良きご縁、また聞かせてください。