歴史捜査「山崎の合戦」その2:天王山争奪戦 2010年09月23日 | 歴史捜査レポート 勝負の分かれ目として「天王山」という言葉は日本人の常識語になっています。これは光秀と秀吉の山崎の合戦の勝敗が天王山の争奪によって決まったという「史実」から生まれた言葉です。 しかし、これは史実でもなんでもなく、小瀬甫庵(おぜ・ほあん)という人が本能寺の変から43年後の1625年に出版した『太閤記』(『太閤記』という名前の本はいろいろあるので『甫庵太閤記』と呼ばれる)に書いた話に過ぎません。それ . . . 本文を読む