江戸城に存在した紅葉山文庫の蔵書である『松のさかへ』という本に徳川三代将軍家光の生母が春日局であると書かれていることを先日のブログに書きました。
★ 「春日局は家光の生母」の歴史捜査
本日、拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』の読者から頂いた資料類を整理していたら、春日局が家光の生母であると書いた史料がもうひとつあることがわかりました。以前、一度目を通した資料に書かれていたのですが、その時 . . . 本文を読む
明智光秀の首塚は京都亀岡市谷性寺(こくしょうじ)と京都東山三条白川筋(写真)との二か所にあります。首が二つあるわけではないので、そのいわれが前々から気になっていました。
先日、谷性寺にお参りした際にいただいたお寺のパンフレットには次のようにいわれが書かれています。
『天正十年(一五八二)光秀公、秀吉の軍と山崎の戦いで敗れ、坂本城に向かう途中山科小栗栖に於いて土民に襲わる。
溝尾庄兵衛、公の . . . 本文を読む