バンクーバーオリンピックでスケート靴の靴紐が切れて演技中断した織田信成選手。オリンピックでの成績は本人としては少し残念な結果だったとは思いますが、思わぬアクシデントに気落ちせずに最後までがんばった姿はとても立派でした。そのことは観衆からの拍手が雄弁に物語っていたと思います。
私も織田信成選手の活躍を願っておりました。何しろ先祖同士は大変よい関係だったのです。あの事件さえなければ。
このことは拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』や本ブログをお読みの方にはよくおわかりのことですが、未だ通説の世界に浸っている多くの方々には意外なことのようです。「何で光秀の子孫が信長の子孫を応援するの!?!?」といった論調のコメントがかなりインターネットを飛び交いました。毒舌で知られる某大臣は「靴紐が切れたのは光秀子孫の怨念だ!」と全く通説どっぷりの談話を御得意のtwitterに書いたとも聞きました。実に困ったものです。
★ 真相解明に駆り立てた子孫の思い
そこで、今回は織田信成さんの先祖の織田信雄(のぶかつ)が着せられた大変不名誉な冤罪を晴らす!ことにします。
それは「安土城放火犯」という冤罪です。
★ Wikipedia「織田信雄」記事
織田信長の築城した安土城は日本史上もっとも魅力的な城ではないでしょうか。その荘厳さは当時の人の書いた史料に残されているのですが、残念ながら本能寺の変の後の混乱の中で焼失してしまいました。正に「幻の」とか「歴史ロマンの」という形容詞の相応しいお城といえます。
★ Wikipedia「安土城」記事
その安土城を放火して破壊したのが、何と信長次男の信雄だという説があります。嫡男信忠も死んでしまった状況では織田家の居城である安土城を引き継ぐのは誰がみても信雄ですが、その信雄が放火したという信じがたい説です。しかしながら、その当時にそう文書に書いた人物がいるのです。それが歴史研究界でも、この説の裏付けとなっています。
その人物とは当時日本にいたイエズス会宣教師のフロイスです。
★ Wikipedia「ルイス・フロイス」記事
彼は本能寺の変から4ヶ月後に書いたイエズス会総長宛の報告書に次のように書きました。
「附近にいた信長の一子がいかなる理由によるか明らかでなく、智力の足らざるためであろうか、城の最高の主要な室に火をつけさせ、ついで市にもまた火をつけることを命じた」
附近にいた信長の子供は信雄です。可愛そうに、信成選手の先祖・信雄は「馬鹿殿様」にされた上、安土城の放火犯にされてしまったのです。
信雄の冤罪は拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』で晴らしましたが、あらためて次回このブログでも解説したいと思います。
<<続く>>
私も織田信成選手の活躍を願っておりました。何しろ先祖同士は大変よい関係だったのです。あの事件さえなければ。
このことは拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』や本ブログをお読みの方にはよくおわかりのことですが、未だ通説の世界に浸っている多くの方々には意外なことのようです。「何で光秀の子孫が信長の子孫を応援するの!?!?」といった論調のコメントがかなりインターネットを飛び交いました。毒舌で知られる某大臣は「靴紐が切れたのは光秀子孫の怨念だ!」と全く通説どっぷりの談話を御得意のtwitterに書いたとも聞きました。実に困ったものです。
★ 真相解明に駆り立てた子孫の思い
そこで、今回は織田信成さんの先祖の織田信雄(のぶかつ)が着せられた大変不名誉な冤罪を晴らす!ことにします。
それは「安土城放火犯」という冤罪です。
★ Wikipedia「織田信雄」記事
織田信長の築城した安土城は日本史上もっとも魅力的な城ではないでしょうか。その荘厳さは当時の人の書いた史料に残されているのですが、残念ながら本能寺の変の後の混乱の中で焼失してしまいました。正に「幻の」とか「歴史ロマンの」という形容詞の相応しいお城といえます。
★ Wikipedia「安土城」記事
その安土城を放火して破壊したのが、何と信長次男の信雄だという説があります。嫡男信忠も死んでしまった状況では織田家の居城である安土城を引き継ぐのは誰がみても信雄ですが、その信雄が放火したという信じがたい説です。しかしながら、その当時にそう文書に書いた人物がいるのです。それが歴史研究界でも、この説の裏付けとなっています。
その人物とは当時日本にいたイエズス会宣教師のフロイスです。
★ Wikipedia「ルイス・フロイス」記事
彼は本能寺の変から4ヶ月後に書いたイエズス会総長宛の報告書に次のように書きました。
「附近にいた信長の一子がいかなる理由によるか明らかでなく、智力の足らざるためであろうか、城の最高の主要な室に火をつけさせ、ついで市にもまた火をつけることを命じた」
附近にいた信長の子供は信雄です。可愛そうに、信成選手の先祖・信雄は「馬鹿殿様」にされた上、安土城の放火犯にされてしまったのです。
信雄の冤罪は拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』で晴らしましたが、あらためて次回このブログでも解説したいと思います。
<<続く>>