本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

『本能寺の変 四二七年目の真実』講演会(高輪区民ホール)

2010年09月09日 | 427年目からの挑戦
【2010年9月9日追記】
 7月17日の講演を撮影していただいたDVDを主催者の方から受取りました。当日は麹町で暑気払いをしてしまい(そうでもしないと耐えられない猛暑!を口実に)、DVDを見るのは翌日になりました。
 以前、自分のゴルフのスイングを練習場でビデオ撮影してもらって見たことがあるのですが、そのとき「えっ、こんな見苦しいフォームで打っていたの!!」と驚いてしまいました。そのトラウマがあって、DVDを見るのは楽しみ半分、恐ろしさ半分でした。
 ところが、DVDを見出したら話に引き込まれてしまったのです。これは自画自賛の極みですが、まさか本人がそういう状態になるとは思ってもいませんでした。単なる思いあがり人間なのでは、と思いつつも、自分の講演に聴き入ってしまう不思議な現象に驚いたというのが素直な感想です。
 プロの講演者から見れば講演技術は稚拙なもので、ゴルフでいえばやっと100を切るかどうかといったレベルと思います。やはり、お話そのものの持つ力のなせる技と思います。こういった新鮮な驚きを与えてくださった主催者の「精小同窓会関東支部会」と「Qの会」の皆様にあらためて感謝いたします。

【2010年7月18日追記】
 昨日、高輪区民ホールでの講演会を無事終了しました。梅雨明けの暑い最中にもかかわらず250人収容の会場がちょうどいっぱいになるくらいの方々にお集まりいただきました。司会のご挨拶や質疑応答含めて2時間の長時間にもかかわらず、熱心にお聴きくださり有難うございました。歴史の真実がまた少し広まったと実感しました。
 よい機会を作ってくださった主催者の「Qの会」と「精道小学校同窓会関東支部会」の皆様にも大変感謝しております。この場を借りて御礼申し上げます。

【2010年7月10日追記】
 無料講演会「本能寺の変 四二七年目の真実」。いよいよ来週土曜日午後2時開演です。拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』をまだお読みでない方々にお知らせください。

【2010年6月1日記事】
 朗読奉仕のボランティア団体「Qの会」と芦屋の精道小学校同窓会関東支部会の共催により講演会を開催していただくことになりました。
 場所は港区高輪の高輪区民ホールです。250人収容の大ホールで入場無料です。是非、この機会に多くの方にご聴講いただきたいと思いますので、お知り合いの方々に情報を流していただけると幸いです。
 また、拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』を視覚障害の方々にもお楽しみいただけるように「Qの会」のご協力により音訳CD(DAISY)にしていただき,無料配布することになりました。合わせてご案内いたします。
 主催者からのご案内文を以下に掲示いたします。どなたにもわかりやすいようにお話させていただきます。事前の聴講申し込みは不要です。直接会場へいらしてください。

  歴史講演会のお知らせ
 「本能寺の変 四二七年目の真実」
演者:明智 憲三郎 氏 
日時:平成22年7月17日(土)午後2時開演
会場:港区高輪区民ホール (℡ 03-5421-7616)
 東京都港区高輪1-16-25 高輪コミュニティぷらざ内高輪区民センター1F
 地下鉄南北線・三田線:白金高輪駅下車1番出口すぐ
 ちいばす:高輪ルート(品川駅~)高輪地区総合支所前下車すぐ
入場無料
 戦国時代の武将、明智光秀の起こした「本能寺の変」についてはよくご存知だと思います。天下統一の手前まで来ていた織田信長がそこで討たれ、大きく戦国の世の局面が変わりました。しかし、何故、明智光秀がその時そこで決起したのでしょうか?
 明智光秀の子孫である明智憲三郎さんはそれに疑問を抱き、本能寺の変の前後を詳細に検証されました。苦心の調査の結果、今までの通説とは異なる事実を発見され、昨年それをまとめ、『本能寺の変 四二七年目の真実』をプレジデント社から刊行されました。この度、明智憲三郎さんに「本能寺の変」にまつわる新しい事実について講演をしていただきます。興味深いお話が伺えると思います。歴史好きの方、戦国武将に関心のある方、どうぞご参集の程、ご案内申し上げます。
 朗読奉仕グループ「Qの会」では、視覚障害の方にこの本のDAISY版を作成しております。ご希望の方は、下記までご連絡ください。

共催:精小同窓会関東支部会、Qの会  後援:Kiss ポート財団
連絡先:080-1233-2736 (児嶋)

 ★ 『本能寺の変 四二七年目の真実』あらすじ
 ★ 著者のプロフィール
 ★ 「安住紳一郎の日曜天国」出演
 ★ 『本能寺の変 四二七年目の真実』読者書評

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12 コメント

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光秀公が喜んでいます (源臣)
2010-06-02 11:17:32
ご案内ありがとうございます。
感謝申し上げます。
歴史好きな知人をお誘いして、拝聴させていただきたいと思います。
明智さん!やりましたねえー。光秀公の無念を
今晴らしてくださる、唯一の存在です。
陰ながら、微力ですが、応援させていただきます。
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土岐桔梗一揆の思い (明智憲三郎)
2010-06-04 22:03:27
 土岐会を代表されるお一人である源臣様に過分のお言葉をいただき恐縮です。
 「土岐氏を知らずして本能寺の変の真相などわかるはずがない!」と5年前に気付かせてくださった土岐会の皆様に誠に感謝しております。普通の歴史研究家にはなくて私にはあったこと。それは生に土岐一族の熱気を体感したことです。現代にも伝わる土岐桔梗一揆の熱気を体感しなければ光秀謀反の動機は解けませんでした。
 歴史の常識を覆す試みに、これからもご支援をよろしくお願いいたします。
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徳川領への国替え (認識番号0487)
2010-06-22 20:49:34
戦国武将好きの中2です。
図書館で予約が一杯で、最近になってやっと読み、今までにない斬新な推理に感動しました!!
ただひとつだけ、引っかかっていることがあり、憲三郎さん(光秀との混乱を避けました)が光秀謀反の原因とされている「徳川領(駿河・遠江・三河)への国替えが土岐一族を崩壊(滅亡)させるから」という部分が、イマイチ弱くピンときませんでした。
一般的に言って、かつて今川領でもあった駿河・遠江・三河は豊かな土地で、北条氏の小田原侵攻時には最前線になるとしても、土岐一族にとっても財力を蓄えれる魅力的な土地だからです。
しかも、憲三郎さんが推理されてる家康一行暗殺計画では、徳川領侵攻時には、すでに本能寺で徳川家の重臣たちが尽く討ち取られているので、徳川の残党狩りも、信長の右腕とも言える明智光秀くらいの経験や能力があれば、土岐一族崩壊(滅亡)を予感させるほどの危機ではないような気がするのですが(三河一向衆でしょうか?)この辺を一般人にも解り易く補強していただければ一段と説得力が出て、天下に響く定説になり、光秀も成仏できると思います!!よろしくおねがいします。
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原点は中学生で読んだ本 (明智憲三郎)
2010-06-23 21:12:53
 中学生のとき(実に50年前)に友人から勧められて読んだ高木彬光氏の『成吉思汗の秘密』。とてもワクワクしました。そのときの感激が忘れられず、私の本でも同じような面白さを再現したいと思って書きました。
 さて、貴重なご意見をいただきありがとうございました。現代と当時とでは人々の前提としている知識や認識が大きく異なります。土岐氏についての認識が一例ですが、ご指摘の件も同様です。
 光秀謀反の動機を「秀吉との出世競争に負けたから」といった現代のサラリーマン物語の感覚でとらえてしまう人がいますが、「移封」ということも現代のサラリーンの「転勤」程度の感覚でとらえられてしまうのだと思います。
 このあたりの説明をどうするかはかなり意識したつもりでしたが、さらに丁寧な説明を工夫してみたいと思います。
 
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Unknown (とり坊)
2010-07-12 02:44:09
明智先生~★いよいよ今週末ですね!当日は微力ながら、会場で応援させて頂きたいと思います。
ここ最近、先生の本を知人・友人に紹介しているのですが、自分世代の光秀ファンには大変受けが良いです!!みんな応援してくれています頑張って下さい
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応援ありがとうございます (明智憲三郎)
2010-07-12 20:34:16
 心強い応援をいただき大変ありがとうございます。既に拙著をお読みの方にも楽しんでいただける講演にしないといけませんね。がんばってみましょう。
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ねっております (明智憲三郎)
2010-07-13 21:49:43
 皆様のご意見もいただき、出版以来1年間深めてきた真実の一端を今回の講演でご披露したいと内容をねっております。拙著の出版に際しては「時の流れ」に我ながら覚醒された感覚を味わいましたが、今日時点では「世界の広がり」に我ながら覚醒感を感じています。
 そうなんです。あの時代は世界(スペイン・ポルトガル発)の動きの中にあったのです。そして、あの時代のことは今につながっているのです。そういったことをご理解いただける講演にしたいと思います。ご期待ください。
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お疲れさまでした。 (M・M)
2010-07-19 21:36:17
高輪に、伺わせて頂きました。
ほぼ満員で、光秀公に対する、世間の潜在的な関心の高さを見せつけられた気が致しました。若いお嬢さんもいらっしゃいました。
職場で、「427年の~」の話題を振った経験がありますが、その時の、同僚の意見は、「徳川家が、光秀さん情報をゆがめている」という意見でした。
間違ってはいないと思いますが、まだまだ、明智先生に頑張って頂きたいと思います。
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ありがとうございます。 (明智憲三郎)
2010-07-19 21:50:01
 わざわざいらっしゃってくださいましたか。お暑い中をありがとうございました。講演終了後に出口でお礼のご挨拶をさせていただきましたでしょうか?
 とにかく世の中の壁は厚いと痛感しておりますので、こうして応援して下さることがとても心強いです。誠にありがとうございます。
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こちらこそ!! (M・M)
2010-07-21 22:06:24
質問を出来ずに後悔しました(笑)
お疲れを、どうか癒して下さい。

お答えは、結構ですので、書き込みさせて下さいませ。
長宗我部さんの正室さんは、斎藤利三氏の妹君、とは、明智先生の御本でも、拝見いたしましたが。
元親氏の、側室さんに、「光秀氏の姪」がいる、と、何冊かの本に書かれておりましたが、本当なのでしょうか?
そうなると、更に、長宗我部氏&明智氏の繋がりは強かったのだな、と考えまして。
もし、明智先生のご意見が伺えたら、幸いです。
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