>>> 本能寺の変の定説は打破された!
光秀謀反とは直接関係ないように見えて、実はその動機や細川藤孝との関係を考える上で重要なのが「光秀は信長に仕える前に朝倉義景に仕えていた」という通説です。
実は、この通説は歴史研究界から信憑性を全面否定されている『明智軍記』に書かれている説なのですが、どういうわけか本能寺の変研究では定説として固まってしまっています。
★ Wikipedia「明智光秀」記事
その理由ははっきりしています。歴史学界の権威者の高柳光壽氏が50年前に書いた本能寺の変研究のバイブルとされる『明智光秀』の中で、その話を肯定してしまったからです。高柳氏は『明智軍記』と『細川家記』との記述を引き合いに出し、「両書が同じ事を書いている」として、光秀が朝倉義景に仕えていたことは「確証はないが、或いはそれは事実であったかも知れないと思われないではない」と大変微妙な言い回しながら、結局は肯定してしまったのです。
根拠がこのような不確かなものでも権威者が書けば史実となってしまうのですね。
実は同書の中で高柳氏は次のようにも書いているのです。
「この『明智軍記』は誤謬充満の悪書であるから、以下光秀の経歴を述べるところでは引用しないことを断っておく」
そうなんです。高柳氏は『明智軍記』こそ軍記物の代表的な悪書と決め付けているのです。加えて『細川家記』(細川家が編纂した自家の記録)の記述についても「この記事は勿論このままには信用できない」などと書いています。
ところが、『細川家記』という細川家の編纂した史料であるが故に軍記物とは一線を画す信憑性をおいたようで、『細川家記』の記述については「全くのでたらめとはいわれないであろう」という好意的な評価をしています。
さて、『細川家記』(『綿考輯録』(めんこうしゅうろく))を読むと実は問題の部分の記述は『明智軍記』の記述を引用し、その記述に手を加えながら書いたとはっきり書かれています。ということは、高柳氏が「両書が同じ事を書いている」という根拠は何を隠そう「明智軍記が書いている」ということに等しく、「以下光秀の経歴を述べるところでは引用しないことを断っておく」と大見得を切った『明智軍記』の記事をもろに引用したことになるのです。歴史学界の最高権威者ともいわれる高柳氏が『細川家記』の『明智軍記』引用の記述を知らないわけがなく(素人の私が読んでそう書いてあることがすぐにわかるのですから)、「両書が同じ事を書いている」という根拠を打ち出した理由が全く理解できません。
こういったダブルスタンダード(二重の基準)というのか、こっちで採用した基準を別のところでは採用しないという論理に私は驚愕するのですが、どういうわけか高柳氏も『明智光秀』もいまだに「本能寺の変研究のバイブル」、「科学的・論理的な極み」、「名著中の名著」などともてはやされ、本能寺の変研究界を支配している感があります。
★ Wikipedia「高柳光壽」記事
これは書かれたご本人の責任ではないのですが、本能寺の変研究を50年間狂わせてしまった重大な本であるというのが私の評価です。軍記物を否定した価値は大きかったのですが、一方で結果として軍記物を肯定し、容認してしまった影響はとてつもなく重大だったのです。怨恨説という通説は否定したのですが、それ以外の通説はことごとく肯定してしまったのです。それが現代の本能寺の変研究の姿を決めてしまったのです。そのことは「定説を斬る!」シリーズの読者の方にはよくご理解をいただけたものと思います。
★ 定説の根拠を斬る!「中国大返し」
★ 定説の根拠を斬る!「安土城放火犯」
★ 定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」
★ 定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(続き)
★ 定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(最終回)
さて、それでは光秀が信長に仕える前の本当の経歴は何か?
私の歴史捜査の結果は拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』に書きましたが、細川藤孝に中間(ちゅうげん)として仕えていて、足利義昭の足軽衆に採用され、足利幕府の高官に出世したのです。朝倉義景仕官説はこういった光秀の前半生の真実を隠すために捏造された説と考えられます。その理由も拙著でご説明した通りです。
研究界の分厚い壁に挑戦した「定説の根拠を斬る!」シリーズをこれで終了します。それにしてもあらためて分厚い壁を思い知ることになりました。
【定説の根拠を斬る!シリーズ】
定説の根拠を斬る!「中国大返し」
定説の根拠を斬る!「安土城放火犯」
定説の根拠を斬る!「岡田以蔵と毒饅頭」
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(続き)
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(最終回)
定説の根拠を斬る!「朝倉義景仕官」
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その2
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その3
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その4
光秀謀反とは直接関係ないように見えて、実はその動機や細川藤孝との関係を考える上で重要なのが「光秀は信長に仕える前に朝倉義景に仕えていた」という通説です。
実は、この通説は歴史研究界から信憑性を全面否定されている『明智軍記』に書かれている説なのですが、どういうわけか本能寺の変研究では定説として固まってしまっています。
★ Wikipedia「明智光秀」記事
その理由ははっきりしています。歴史学界の権威者の高柳光壽氏が50年前に書いた本能寺の変研究のバイブルとされる『明智光秀』の中で、その話を肯定してしまったからです。高柳氏は『明智軍記』と『細川家記』との記述を引き合いに出し、「両書が同じ事を書いている」として、光秀が朝倉義景に仕えていたことは「確証はないが、或いはそれは事実であったかも知れないと思われないではない」と大変微妙な言い回しながら、結局は肯定してしまったのです。
根拠がこのような不確かなものでも権威者が書けば史実となってしまうのですね。
実は同書の中で高柳氏は次のようにも書いているのです。
「この『明智軍記』は誤謬充満の悪書であるから、以下光秀の経歴を述べるところでは引用しないことを断っておく」
そうなんです。高柳氏は『明智軍記』こそ軍記物の代表的な悪書と決め付けているのです。加えて『細川家記』(細川家が編纂した自家の記録)の記述についても「この記事は勿論このままには信用できない」などと書いています。
ところが、『細川家記』という細川家の編纂した史料であるが故に軍記物とは一線を画す信憑性をおいたようで、『細川家記』の記述については「全くのでたらめとはいわれないであろう」という好意的な評価をしています。
さて、『細川家記』(『綿考輯録』(めんこうしゅうろく))を読むと実は問題の部分の記述は『明智軍記』の記述を引用し、その記述に手を加えながら書いたとはっきり書かれています。ということは、高柳氏が「両書が同じ事を書いている」という根拠は何を隠そう「明智軍記が書いている」ということに等しく、「以下光秀の経歴を述べるところでは引用しないことを断っておく」と大見得を切った『明智軍記』の記事をもろに引用したことになるのです。歴史学界の最高権威者ともいわれる高柳氏が『細川家記』の『明智軍記』引用の記述を知らないわけがなく(素人の私が読んでそう書いてあることがすぐにわかるのですから)、「両書が同じ事を書いている」という根拠を打ち出した理由が全く理解できません。
こういったダブルスタンダード(二重の基準)というのか、こっちで採用した基準を別のところでは採用しないという論理に私は驚愕するのですが、どういうわけか高柳氏も『明智光秀』もいまだに「本能寺の変研究のバイブル」、「科学的・論理的な極み」、「名著中の名著」などともてはやされ、本能寺の変研究界を支配している感があります。
★ Wikipedia「高柳光壽」記事
これは書かれたご本人の責任ではないのですが、本能寺の変研究を50年間狂わせてしまった重大な本であるというのが私の評価です。軍記物を否定した価値は大きかったのですが、一方で結果として軍記物を肯定し、容認してしまった影響はとてつもなく重大だったのです。怨恨説という通説は否定したのですが、それ以外の通説はことごとく肯定してしまったのです。それが現代の本能寺の変研究の姿を決めてしまったのです。そのことは「定説を斬る!」シリーズの読者の方にはよくご理解をいただけたものと思います。
★ 定説の根拠を斬る!「中国大返し」
★ 定説の根拠を斬る!「安土城放火犯」
★ 定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」
★ 定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(続き)
★ 定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(最終回)
さて、それでは光秀が信長に仕える前の本当の経歴は何か?
私の歴史捜査の結果は拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』に書きましたが、細川藤孝に中間(ちゅうげん)として仕えていて、足利義昭の足軽衆に採用され、足利幕府の高官に出世したのです。朝倉義景仕官説はこういった光秀の前半生の真実を隠すために捏造された説と考えられます。その理由も拙著でご説明した通りです。
研究界の分厚い壁に挑戦した「定説の根拠を斬る!」シリーズをこれで終了します。それにしてもあらためて分厚い壁を思い知ることになりました。
【定説の根拠を斬る!シリーズ】
定説の根拠を斬る!「中国大返し」
定説の根拠を斬る!「安土城放火犯」
定説の根拠を斬る!「岡田以蔵と毒饅頭」
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」
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定説の根拠を斬る!「朝倉義景仕官」
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その2
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その3
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その4