本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

理系子孫が新解明する「間違いだらけの織田信長」

2015年08月15日 | 歴史捜査レポート
 35万部突破のベストセラー『本能寺の変 431年目の真実』の著者が、今度は信長に挑んだ!!
 ”明智光秀の子孫が新解明する「間違いだらけの織田信長」”と題するアサ芸プラス2015年8月13日記事のエッセンスをご紹介します。全文はアサ芸プラスでご覧ください。
 >>> アサ芸プラス2015年8月13日記事


 「戦国武将の逸話には、創作である軍記物の記述に引きずられ、それが定説となってしまうことが多い」
──そう語るのは戦国武将・明智光秀の子孫で、先頃「織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!」(幻冬舎)を上梓した明智憲三郎氏。実は光秀の主君・織田信長にまつわる定説は、間違いだらけなのだという。独自に解明した信長の「真の姿」を明かしてもらった。
 信長といえば16~18歳の頃に奇行が目立ったことから、「大うつけ(大バカ者の意)」と呼ばれていた。この「うつけ」、実は演技だったとされるが、明智氏はその理由もこれまでの定説とはズレていると指摘する。
 「うつけを演じたのは、弟に注がれた母の愛情を取り戻したかったからなどと言われていますが、そんな甘い時代ではない。本当の理由は暗殺防止なんです」
 そのことに明智氏が気づいたのは、くしくも信長が抹香を仏前に投げつける奇行を見せた、父・信秀の葬儀で読まれた弔辞の一節だ。
「孫呉兵術に慣るるのみにあらず、況(いわん)や良平の謀諮を挫(くじ)くをや」(中略)
 4万5000とも言われる大軍を率いた今川義元をわずか10分の1の兵力で破った「桶狭間の戦い」。信長が義元の本陣を奇襲し、偶然と幸運が重なって勝てたとするのが定説だが──。
 「信長は確実に勝つため、綿密に作戦を立てていた。実は『呉子』には『千の力で万の敵を撃つ最善の策は狭い谷間で戦うこと』という兵法が書かれてあります。(中略)
(注:アサ芸記事の文中に「海の温度」とあるのは「陸の温度」の誤記です)
 信長で連想しやすいのは比叡山焼き討ちなど数多くの残虐行為。これも本人の性格に起因するように思えるが、明智氏は否定する。(中略)
 こうした状況下、信長は「本能寺の変」で自刃することに。だが明智氏によると、本能寺では別人が殺される予定だったという。(中略)
 なぜ光秀は謀反を起こしたのか。「信長に恨みがあった」「天下を取りたかった」などの説があるが、明智氏は別の動機を説明する。(中略)
 みずからの一族による天下統一が続くように、中国進出をもくろんだ信長は、同じく一族を守ろうとした家臣によって殺される結果となったのだ。

 >>> 「織田信長」の虚像を暴く『信長脳を歴史捜査せよ!』
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1 コメント

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これは興味深い (ローマ人)
2015-08-26 12:52:02
特に光秀の別の動機!これは是非知りたいですね。
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