明智光秀に関する通説は江戸時代に書かれた物語の創作がそのまま史実のごとくに広まってしまっています。そこで、本当の明智光秀を探すべく歴史捜査を続けた結果を「みつひでDB(データベース)」として一般社団法人明智継承会のホームページに公開することになりました。系図、年表、参考文献、通説伝搬の経路などを掲載していますので、ご利用ください。
>>> みつひでDBのページ
>>> 系図のページ
>>> 概略年表のページ
>>> 史料年表生涯編のページ
>>> 参考文献のページ
>>> 通説の伝搬経路のページ
なお、これらについては下記の拙著に書かれていますので、併せて拙著もお読みいただくと、より理解しやすいと思います。
『光秀からの遺言』、
『明智家の末裔たち』、
『「本能寺の変」は変だ! 435年目の再審請求』
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明智一族伝承の会も認め待ちわびた、明智の心を伝える歌姫『明智ガラシャ』満を持してのデビュー作(明智ガラシャ作詞・歌)。ガラシャの立場で父光秀への気持ちを歌った「光さすとき」も子孫としての心を歌った「継がれゆくとき」も思いのこもった歌詞を切々と歌う歌声で心に響きます。一刻も早く皆様にお聴かせしたいのです。amazonや楽天でも販売しています。
時代を越えた 明智の心、 継承されていく想い、 辛い時代を耐え忍んで語り継がれてきた明智一族の様々な想いが詰まった大切な曲ができました。
<PROFILE>
「明石朔夜」名義で2015年より歌手活動。2016年1月にCDデビュー。
東京、栃木、宮城などでデビュー以来300本以上のライブ活動を行ってきた。 幼き頃より明智光秀の子孫と伝えられて成長。 近年自分のルーツに興味を持ち 家系を調べるようになった時 明智継承会(明智一族伝承の会)を知る。 その後、主宰である歴史研究家明智憲三郎氏に連絡を取り、2018年5月明智一族伝承の会会員に認定される。
2018年12月明智一族伝承の会で歌を披露したところ好評をうけ明智憲三郎氏より「是非明智一族の心を歌ってほしい」と要望があり 「明智ガラシャ」という名前でデビューすることになる。
2019年4月「明智ガラシャ」名義でCDデビュー。
>>> amazon「明智ガラシャ」のページ
>>> amazon「光さすとき」のページ
>>> 楽天ブックス「光さすとき」のページ
>>>e-hon「光さすとき」のページ
税込み1000円。
>>> 明智ガラシャの公式ホームページ
>>> YouTube配信中:光さすとき/明智ガラシャ
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「光さすとき」 明智ガラシャ作詞・歌
【歌に込めた想い】
『光さすとき』は当時のガラシャの視点で描かれた曲です。
ガラシャの心情はどんなものだったんだろう、当時の女性はどんな立場にあったのだろう
と想像を膨らませて作詞しました。
今も当時も変わらず人生というのはままならないもので
手の届く距離というのはほんの小さな距離だけなのかもしれません。
ガラシャの強さとその反面女性らしい心の葛藤を感じていただけたらと思います。
【歌詞】
どうしてこんなに運命はふらふらと波間に浮かぶ木葉のようで
光浴びてきらきら輝くその時待っていたはずでしょ
誇りある人たれ貴方は言った 花も花なれ人も人なれ
味土野からみる景色はまるでとき止めたように
心から祈ることが今できる事と知って
光さすその先には君の待つときがあった
どうして貴方は今どこに
連理の枝とも比翼の鳥とも皆口にせずとも憧れてた
いつかそんな人に出会えたならどんなに幸せなことだろう
いつか穏やかなときがくるはず 貴方の背負うものとても多くて
美濃で始まる旅路は近江で花を咲かせ
丹波でできた絆はいつまでも残ります
光さすその先には君の待つときがあった
信じてる貴方のその背中を
大義なきことならばするべからず 物事にはいつも理由があるから
途切れぬ流れのようにいつの日にか巡りあい
誇りある生き方をそのときにできるように
光さすその先には君の待つときがあった
信じてる貴方のその背中を
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>>> 系図のページ
>>> 概略年表のページ
>>> 史料年表生涯編のページ
>>> 参考文献のページ
>>> 通説の伝搬経路のページ
なお、これらについては下記の拙著に書かれていますので、併せて拙著もお読みいただくと、より理解しやすいと思います。
『光秀からの遺言』、
『明智家の末裔たち』、
『「本能寺の変」は変だ! 435年目の再審請求』
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明智一族伝承の会も認め待ちわびた、明智の心を伝える歌姫『明智ガラシャ』満を持してのデビュー作(明智ガラシャ作詞・歌)。ガラシャの立場で父光秀への気持ちを歌った「光さすとき」も子孫としての心を歌った「継がれゆくとき」も思いのこもった歌詞を切々と歌う歌声で心に響きます。一刻も早く皆様にお聴かせしたいのです。amazonや楽天でも販売しています。
時代を越えた 明智の心、 継承されていく想い、 辛い時代を耐え忍んで語り継がれてきた明智一族の様々な想いが詰まった大切な曲ができました。
<PROFILE>
「明石朔夜」名義で2015年より歌手活動。2016年1月にCDデビュー。
東京、栃木、宮城などでデビュー以来300本以上のライブ活動を行ってきた。 幼き頃より明智光秀の子孫と伝えられて成長。 近年自分のルーツに興味を持ち 家系を調べるようになった時 明智継承会(明智一族伝承の会)を知る。 その後、主宰である歴史研究家明智憲三郎氏に連絡を取り、2018年5月明智一族伝承の会会員に認定される。
2018年12月明智一族伝承の会で歌を披露したところ好評をうけ明智憲三郎氏より「是非明智一族の心を歌ってほしい」と要望があり 「明智ガラシャ」という名前でデビューすることになる。
2019年4月「明智ガラシャ」名義でCDデビュー。
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>>> 楽天ブックス「光さすとき」のページ
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税込み1000円。
>>> 明智ガラシャの公式ホームページ
>>> YouTube配信中:光さすとき/明智ガラシャ
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「光さすとき」 明智ガラシャ作詞・歌
【歌に込めた想い】
『光さすとき』は当時のガラシャの視点で描かれた曲です。
ガラシャの心情はどんなものだったんだろう、当時の女性はどんな立場にあったのだろう
と想像を膨らませて作詞しました。
今も当時も変わらず人生というのはままならないもので
手の届く距離というのはほんの小さな距離だけなのかもしれません。
ガラシャの強さとその反面女性らしい心の葛藤を感じていただけたらと思います。
【歌詞】
どうしてこんなに運命はふらふらと波間に浮かぶ木葉のようで
光浴びてきらきら輝くその時待っていたはずでしょ
誇りある人たれ貴方は言った 花も花なれ人も人なれ
味土野からみる景色はまるでとき止めたように
心から祈ることが今できる事と知って
光さすその先には君の待つときがあった
どうして貴方は今どこに
連理の枝とも比翼の鳥とも皆口にせずとも憧れてた
いつかそんな人に出会えたならどんなに幸せなことだろう
いつか穏やかなときがくるはず 貴方の背負うものとても多くて
美濃で始まる旅路は近江で花を咲かせ
丹波でできた絆はいつまでも残ります
光さすその先には君の待つときがあった
信じてる貴方のその背中を
大義なきことならばするべからず 物事にはいつも理由があるから
途切れぬ流れのようにいつの日にか巡りあい
誇りある生き方をそのときにできるように
光さすその先には君の待つときがあった
信じてる貴方のその背中を
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適切なご指摘をたくさん頂き大変ありがとうございます。順次修正させていただいております。大変助かっております。これからもよろしくお願い致します。
しかし私の説明が的確でなかったので修正漏れがあります。
史料年表、1383永徳三年7月25日の参考文献に“【岐四】”は追加していただきましたが、記事に“「土岐文書」”を追加していただけませんでしょうか。
あと細かいですが明智ガラシャの教えて憲三郎先生!!の70話、ガラシャさんのセリフ「~川の畔で稲を刈るのだと思ってし「ま」いました。」「きちんと報告している「こ」とがわかるということですか?」の修正お願いします。
みつひでDBの史料年表、1467応仁元年 応仁の乱始まる のところに「。」を追加してください。
みつひでDBと「光秀からの遺言」の土岐明智合成系図、二つ目の尊卑文脈の「{」の上端を伸ばして「頼秀」が含まれるようにしていただけませんでしょうか。
「光秀からの遺言」の推理用土岐明智系図の尊卑文脈の「{」は「頼秀」が含まれるようなっています。
「土岐明智光秀 推定系図」に頼重の弟の土岐下野守(頼高)と土岐美濃入道(頼助)を付け加えることはできませんでしょうか。
文章で説明されただけでは史料年表の「土岐美濃入道(頼助)」頼助って誰?ということになります。
しかし図式化された系図であれば何やら横に枝が分かれていたなということで印象に残ります。
頼重の弟(あるいは頼基の子)という説明も不要ですし、同名異人の頼高(頼秀の子)との混同も避けられます。
何よりデジタルコンテンツならではの人物名をクリック⇒史料年表の初出の記事に移動の機能が生きてきます。
ご検討いただけませんでしょうか。
と、ここまで書いてから頼高(頼秀の子)をクリックしたら頼高(土岐下野守)の初出の記事に移動してしまった...
頼弘と同じように無反応にするか、文安元年~六年【番帳】に移動するようにしていただけませんでしょうか。
お礼のコメントの後としては似つかわしくありませんがまた修正箇所の指摘です。
みつひでDBの史料年表の光秀以前/光秀生涯/光秀以後の「・月日の横の記号について」のところ
「疑問符月」は「疑問符付き」ですよね。
明智さんの著書の記述ミスについて、既に他の人から連絡済みかもしれませんが念のため指摘します。
某サイトからの情報 「光秀からの遺言」p.166 「公家の吉田兼見は四月十四日の日記に」山科言継の四月十五日(言継卿記)の間違いであると指摘されていました。
「織田信長 435年目の真実」p.74 「『「甲陽軍鑑」の悲劇』の浅野裕一氏は次のように書いている。」とありますが浅野史拡氏ではないでしょうか。
続く記述が「第二部『甲陽軍鑑』偽書説をめぐる研究史」からの要約ならばの執筆担当は史拡氏です。
明智光秀が同座した連歌を網羅して情報提供するというのはどうでしょうか。
完璧を狙って百韻全てを提供できるまで時間をかけるのではなく、同座した顔ぶれがわかる程度の最初の数句と挙句を提示するだけでも十分魅力的なコンテンツになると思います。
私事ですが一年前に愛宕百韻をインターネットで検索して愛宕百韻以外の明智光秀の連歌があるという情報に遭遇して興奮した覚えがあります。
明智さんならご存じかもしれないとある個人ブログの情報「連歌百韻「月雪や」/『市川家本「連歌集」について』 両角倉一氏 (連歌俳諧研究1992 巻 (1992) 82 号より)」を見て早速PDFをダウンロードしました。
「連歌総目録」のプロトタイプ?のこととか、年月日が判明しているものが十三本(五吟一日千句が含まれているので追加が九本)年時未詳が四本、「月雪や」の百句と盛沢山でした。
当ブログ人気資料TOP3の記事ではPDF部門で三位にランクインする人気の情報です。(因みにリンク先部門の二位に明智憲三郎さんブログ「朝倉始末記:光秀は朝倉家に仕えたか?」がランクイン)
とにかく一個人の力量では連歌百韻をくずし字から翻刻するのは大変困難です。それ以前にマイクロフィルムでの閲覧はできても、撮影禁止・紙焼き不可などのハードルがありそうです。
明智光秀が同座した連歌を見たい!という願いを叶えていただけませんでしょうか。
・八尾嘉男「明智光秀の茶の湯」(渡邊大門編著『考証 明智光秀』2020)
八尾氏は宗及他会記を元に、坂本城での茶会の開催日と場所、同行者などを一覧にされています。(私も国立国会図書館デジタル コレクションで確認しました)
概略年表を茶会で検索しても「天正七年正月七日朝」は見つかりましたが「天正七年正月八日朝」は見つかりません。
記載漏れでしょうか。
様々なご指摘ありがとうございます。
こうして誤りをご指摘いただけることは大変助かります。引き続きデータ内容の正確化を進めますので、よろしくお願いいたします。
もう一つ修正をお願いします。
概略年表の天正九年の光秀の年齢は「65歳」ではなく「66歳」です。
挙句の「なお、国々はのどかなること」は「国々はなおのどかなるとき」が適切ではないでしょうか。
コメント先を間違えて投稿してしまい、申し訳ありません。
光秀に関わる通説の解説の次回も期待いたします。
『「本能寺の変」は変だ! 435年目の再審請求』の付録2.と3.の通説の伝搬経緯は私もお気に入りの情報です。
通説の伝搬経路のページに構成を変更して掲載されているので、著書をお持ちでない方も閲覧できるようになって大変うれしく思っています。
ただ折角の公開が「(注)太字は初出」が反映されていないのが残念です。