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【2015年6月7日追記】
前作『本能寺の変 四二七年目の真実』を2009年3月に出版して、一年後に立ち上げたこのブログ。2013年12月に出版した『本能寺の変 431年目の真実』が30万部を超えた現在、このブログのガイドを読み直すとかなり書き直しが必要と思いました。ただ、モニュメントとして「427年目からの挑戦」の経緯・結果を遺しておくため、過去の記事はそのまま残すことにしました。2011年1月1日記事からの主な変更点は下記のとおりです。
ブログの目次の構成は変更していませんが、目次のページの更新は途中で止まっています。
ブログへのコメント投稿は投稿タイトルや投稿者名の書かれていないもの、マナー違反のものは掲載を遠慮させていただいています。また、拙著を読まずに拙著の内容について質問・意見を投稿することはご遠慮ください。ブログのコメントでその回答説明を書くことは拙著のかなりの部分を書くことと同じことになり、相互にとても非効率なことになりますので、よろしくお願いいたします。
*************************
『本能寺の変 431年目の真実』(文芸社文庫)
30万部突破!!
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【amazonでも送料無料です】
【2011年3月31日更新】
東日本大震災のお見舞申し上げます。被災者の皆様には一刻も早い復興をひたすら祈念いたします。
本ブログの目次を最新化しましたので本ページを更新いたしました。
【2011年1月1日】
本ブログは『本能寺の変 四二七年目の真実』プレジデント社刊の著者・明智憲三郎が開設した公式サイトです。通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。
プレジデント社から2009年3月に拙著出版して以来、幅広いご支持をいただいて、ようやく2万部を越えました。皆様のご支援に感謝しております。拙著出版後も「歴史捜査」を深めており、その情報をブログで発信しております。いずれ、第2作につなげるつもりでおりますが・・・・
本能寺の変の真相を知りたい、誰か黒幕がいたの、動機は何だったの・・・・ このように思っていらっしゃる方々は是非お読みください。
織田信長・明智光秀・豊臣秀吉・徳川家康など戦国時代を知っているようで知らない方々にも読みやすい編集を心がけています。歴史というものを考えてみたい、科学的な推理を会得したい、古文書を読み解いてみたい、先祖を辿りたいといった方々にもご参考にしていただけるものと思います。
もちろん『本能寺の変 四二七年目の真実』をお読みになった方にはより深く「歴史捜査」の真髄を知っていただけます。
>>>>トップページへ
以下のカテゴリーを設定しました。ご興味のあるカテゴリーでお楽しみください。
1章 このブログのガイド
著者のプロフィールや出版への思いなど、このブログをよりお楽しみいただけるような情報をご提供しています。
★このブログのガイドの目次
2章 通説・俗説・虚説を斬る!
世の中には通説・俗説・虚説が残念ながら大手を振って闊歩(かっぽ)しています。私からは魑魅魍魎(ちみもうりょう)の如くに見えるのですが、それらを信じ込んでいる方々が日本の大勢を占めています。とても厚い壁を感じますが、臆せずにそれらを次々斬りまくってみたいと思います。
本能寺の変だけでなく、邪馬台国や坂本龍馬・武市半平太の活躍した幕末史などにも範囲を広げてみたいと思います。
★ 通説・俗説・虚説を斬る!の目次
3章 427年目からの挑戦
「本能寺の変」の真実を世に広めるには、より多くの方々に私の本を読んでいただくことから始めねばなりません。
そこで、目標を立てました。笑われるかもしれませんが、(2009年3月の発売から)5年後の2014年に私の本の100万部達成と大河ドラマ化です。この目標に向かっての様々な活動の状況、読者・支援者の声などを紹介します。私の挑戦に共感してくださる方々との交流の場にしたいと思います。
なお、ちなみに出版1年目時点で1万部。目標の1%です。出版関係の方々は口をそろえて「凄いこと!」とおっしゃってくださいますが、「千里の道の一歩目」と思っています。
★ 『本能寺の変 四二七年目の真実』出版1周年
また、私だけでなくいろいろな挑戦を行っている方々の話題も取り上げていきます。
★ 427年目からの挑戦の目次
4章 歴史捜査レポート
『本能寺の変 四二七年目の真実』を補強するための歴史捜査にチャレンジしていきます。その捜査結果をレポートします。次回作につながれば、とも思いますので、これぞという捜査テーマがありましたらお知らせください。
また、範囲を広げて、いろいろな歴史の謎にも挑戦したいと思います。坂本龍馬の暗殺犯捜査など挑戦してみたいテーマです。
★ 歴史捜査レポートの目次
5章 謎はこうして解けた!
私の本の読者からは幸いに大変ご好評をいただいています。お褒めの言葉は期せずして次の4つです。
★目から鱗が落ちた!歴史観、信長像・光秀像が変わった。
★推理小説を読むように面白かった!『ダヴィンチコード』をはるかに越える。
★よくここまで調べて分析した!子孫の思い・執念を感じる。
★読後感がとても爽やか!是非、知人に勧めたい。
そういった読者の方々からの「どうやって謎を解いたのか知りたい」というご要望に答えるコーナーです。
★ 『本能寺の変 四二七年目の真実』読者書評
★ 謎はこうして解けた!の目次
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拙著の購入希望の方は下の表紙をクリックしてください!!
【ご注意】
・LINKについて
LINKをしていただくにあたり事前確認は不要です。できることならLINKしたことのご連絡をいただけると幸いです。
なお、この画像の貼り付けや二次利用につきましては著作権者へ確認を必要とするケースもありますので、事後でも結構ですからご連絡下さい。商用利用や再配布に関しては事前にご相談下さい。
・トラックバックとコメントについて
いろいろなコメントをいただいてディスカッションしたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
なお、本ブログには無関係な内容や非常識なもの、あるいは最低限のマナーも守られていないものは削除させていただきます。このようなケースが多発するとトラックバックやコメントの投稿に際して面倒な管理が必要となりますので、ご協力よろしく願います。
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前作『本能寺の変 四二七年目の真実』を2009年3月に出版して、一年後に立ち上げたこのブログ。2013年12月に出版した『本能寺の変 431年目の真実』が30万部を超えた現在、このブログのガイドを読み直すとかなり書き直しが必要と思いました。ただ、モニュメントとして「427年目からの挑戦」の経緯・結果を遺しておくため、過去の記事はそのまま残すことにしました。2011年1月1日記事からの主な変更点は下記のとおりです。
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【2011年3月31日更新】
東日本大震災のお見舞申し上げます。被災者の皆様には一刻も早い復興をひたすら祈念いたします。
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【2011年1月1日】
本ブログは『本能寺の変 四二七年目の真実』プレジデント社刊の著者・明智憲三郎が開設した公式サイトです。通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。
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織田信長・明智光秀・豊臣秀吉・徳川家康など戦国時代を知っているようで知らない方々にも読みやすい編集を心がけています。歴史というものを考えてみたい、科学的な推理を会得したい、古文書を読み解いてみたい、先祖を辿りたいといった方々にもご参考にしていただけるものと思います。
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著者のプロフィールや出版への思いなど、このブログをよりお楽しみいただけるような情報をご提供しています。
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世の中には通説・俗説・虚説が残念ながら大手を振って闊歩(かっぽ)しています。私からは魑魅魍魎(ちみもうりょう)の如くに見えるのですが、それらを信じ込んでいる方々が日本の大勢を占めています。とても厚い壁を感じますが、臆せずにそれらを次々斬りまくってみたいと思います。
本能寺の変だけでなく、邪馬台国や坂本龍馬・武市半平太の活躍した幕末史などにも範囲を広げてみたいと思います。
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3章 427年目からの挑戦
「本能寺の変」の真実を世に広めるには、より多くの方々に私の本を読んでいただくことから始めねばなりません。
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4章 歴史捜査レポート
『本能寺の変 四二七年目の真実』を補強するための歴史捜査にチャレンジしていきます。その捜査結果をレポートします。次回作につながれば、とも思いますので、これぞという捜査テーマがありましたらお知らせください。
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http://blog.goo.ne.jp/akechikenzaburotekisekai/e/7bc92d78f8f9b77035c3db1b19f52437)
いただいたコメントに励まされて「本能寺の変の定説は打破された!」http://blog.goo.ne.jp/akechikenzaburotekisekai/e/63315187a5a2a18d284badca8bc4a720を一気に書きました。焦らず、あきらめず、戦っていきますので、引き続きご支援よろしくお願いいたします。
先日、岐阜県図書館で高橋裕史著「武器・十字架と戦国日本(イエズス会宣教師と対日武力征服計画の真相)」を借りて読んでいましたら、イエズス会黒幕説を否定する考えが載っておりました。その当時の世界史の観点から研究した結果、当時の日本イエズス会は、日本の軍事征服と本能寺の変を黒幕として実行できる実力を持っていたか疑わしいと結論していました。また、イエズス会士の書簡に「秀吉は信長の生存中にイエズス会は日本を征服して支配するといっているが、信長はあのような遠いところから日本を征服するための十分な兵力を有していないといった」とあります。江戸幕府がポルトガル勢力による対日武力征服を脅威にしていたことを考えると、信長は30年も前にポルトガル兵の来日を不可能と認識していたことになるので、信長が時代の先を見据えた革命児といわれているのが納得できます。秀吉が自らを正当化しようと意図した『惟任退治記』を鵜呑みにする研究者の態度について、私も明智憲三郎氏と同様で「もう止めて!」と彼らに叫びたいです。信長の時代の先を見据えた『長期の戦略』が今の日本に必要だと思います。勝者に都合の良い論理に偏った説一辺倒では、真相が分かりません。
日本書紀、古事記の時代から歴史書は為政者の都合の良いように書かれてきたという歴史に学んでいないのです。厳しい戦国時代に生き残ろうとした武将たちの論理を理解しようとはせず、現代人のご自分の論理で判断しているのです。現代に生きる研究者が信長の心を読み取れるような戦国時代の最優秀戦略家にでもなれるというのでしょうか。そのような方々が本能寺の変を云々するのはそろそろ終わりにしていただきたいです。http://blog.goo.ne.jp/akechikenzaburotekisekai/e/ee670cba6c2234843c58ea53b0f407f8
35年ぐらい前から、光秀さんに興味を持ち、ゆかりの地を訪ねたりしております。
今年の6月19(日)と7月3(日)明智藪と胴塚、三条白川の首塚に行ってまいりました。
もち寅さん、のお兄さんと女性の方とお話ししましたけど、明智藪の場所は御存知じゃなかったでした。現在有る明智藪の石碑の場所から、何故か下り坂の地道の先が気になって、下りていくと木製の明智藪の看板が有り、昔は、木製看板の所に明智藪の碑が有ったそうです!なぜか現地で、光秀さんを想像すると、木製看板の辺りに自然と足が進みました。胴塚は35年ぶりに行きましたがなんだかな~と言う感じで、隣が店とかになってて、新しい道路も、コインランドリーもできてて、びっくりでした。
自己紹介遅くなりました!私所の先祖は、滋賀県日野の辺りに多くいまして、もともとは、1300年代神奈川県藤沢市で源 よしみと言う人に荘園をまかされてたようです。そのご西に流れ、今川義元、織田信長、明智光秀、蒲生家に、商人として出入りしていたらしいです。家系図によると、1600年代までは確認できるのですが、それ以前は歴史好きなお爺さんに国際図書館で調べて頂きました。その方の調べなんで、本当なのか自分でも分かりません!
多少なりとも、明智さんとかかわってるのかも知れません!長くなるので今日は、この辺で・・・。
arunasiri@hotmail.com
また、拙著も展示されていることで私の研究成果も認知されているとわかりましたので大変うれしいです。
京都府亀岡市の文化資料館にて、2010年4/29~6/6まで、「明智光秀 時は今よみがえる!光秀の実像~」と言う特別展があり、本日行って来ました。(入場料大人360円)
普段見られない!本徳寺の光秀画像(4/29~5/5・6/4~6/6のみ本物を展示)や御霊神社の家中軍法と木像さらに書状など雑誌しか見た事の無い物を見る事が出来ました。
今まで、意識して明智光秀の書状を!じっくり見た事が無かったので、特別な思いで見ておりました。
また、明智光秀や本能寺の変に関しての出版物などが少数ですが展示されていて、明智さまの本能寺の変427年目の真実もありました。
最新記事「本能寺の変は三面記事?!」で歴史観を披瀝しましたのでご高覧いただけると幸いです。
こちらの方も読ませて頂き、勉強させて頂きます。
本日、本能寺跡へ行ってきました。
その後、南蛮寺跡や妙覚寺跡周辺、二条城、大徳寺総見院、建勲神社等も見てきました。
建勲神社山頂からは京の町が一望でき、とても綺麗でした。
夕日が差し込める京都を見ながら、織田信長と明智光秀という素晴らしい個性を持つ二人が最終的に衝突し、お互い消える運命となってしまったことがとても悲しく感じてしまいました。
歴史の教科書には、年号を覚える程度のことしか書かれていませんが、本能寺の変は日本の歴史を変えるほど大きな出来事だったのですね。
明智先生のご活躍、応援しています!
お名前から推察すると秀吉好きかと思いましたが、信長好きとは意外です。
いずれにせよ、日本国を代表した人々ですから、あれこれ面白おかしく論評されるより、はるかに優れた方々だったと思います。
「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」
つばめやすずめのような小鳥がコウノトリや白鳥のような大鳥の志をわかるわけがない、という中国の言葉があります。
我々が歴史を論じるときには、この言葉を噛み締めるべきと自戒しております。
同じシステム業界で経営をしております。
信長~家康前後を中心とした戦国時代考証が一つの趣味となっておりますが、明智様の著書を昨日初めて手にしあっという間に読み終え、今まで納得し兼ねていた本能寺の変の真実について、政治的なものとして大いに納得できました。この大きな歴史捜査について明智様に御礼を申し上げるとともに、私も公然と伝えて生きたいと思います。個人的には信長好きではあるのですが。。(笑)
今後のご活躍も期待しております。
感想1について、正に我が意を得たりで素直にうれしいです。セミナーでご活用いただければ幸いです。「謎はこうして解けた!」「歴史捜査レポート」のコーナーに教材となりそうな記事を増やしていく予定でおります。
感想2についてもその通りです。ただ、私がゲーム理論を適用したわけではなく、当時の武将たちが生き残りを懸けてゲーム理論で動いていたわけです。私はそのことを理解できた、ということに過ぎません。
感想3については研究してみます。その時点での天下の勢力図がどうなっていたかですね。上杉を味方に付けるべきか討つべきか。どちらが得か。信長はゲーム理論で考えたはずです。
今年数えで49歳になる信長ファン?で、本能寺の変が気になって正月早々、この本を読みました。
数日、頭のなかで反芻してみましたが、とても説得力ある説明ではないかと思いました。私も「本能寺の変」関連本のめぼしいものには目を通してきましたが、間違いなく最もムリのない説明です。
三つほど感想を(上のを数えずに・・・)。
1.私は純文化系ですが大学で教えています。この本は一年生向けに「研究とは何か」を教えるフレッシュマンセミナーで使いたいくらいです。まず疑問を提示し、次に劣悪な情報を消す。つねに「書き手がなぜ知っている」のか、情報の価値を問いただす。大胆なモデルを提示した後でとことん細部にこだわる(この順序が逆だとダメ)・・・まったく、研究の手本です。
2 提示された仮説は、複数のアクターが相互依存の関係にあって、それぞれ「協力/裏切り」という選択肢をもっているという意味でゲーム理論的モデルですね。これまでの歴史家の方たちは、「黒幕」とか「個人の動機-行動」という単純なモデルで考えていたせいで真実にたどり着けなかったのでしょう。説明のレベルが違うと思いました。
3 信長は手取川の合戦で柴田勝家軍が上杉軍に大敗した後、上杉謙信に対して京都に来るように招いています。信長がガイドを務めて京都案内をしたい、と誘ってましたが、このときにも京都で謀殺するプランをもっていた可能性はないでしょうか。謙信が取り合わなかったので、一度このプランをやってみたかったのではないかな、とちらっと思いました。
長いコメントすみません。
ほんとうに読み応えのある本でした。
失礼だなんて、とんでもありません!
よいヒントをいただけたと感謝しています。おっしゃるように「藪の中から出られない光秀ファン」のためにがんばります。本ブログのカテゴリー構成も早速変更してみました。
昨年は、いろいろと失礼いたしました。
普段、光秀公に付いて話が出来る機会が無いので、気持ちが高ぶると藪の中に入ってしまいます。
私の様に、藪の中から出られない光秀ファンが、多くいますので暖かい目で、藪の中から救いだして下さればと思います。
いつも応援ありがとうございます。とても心強く思っています。通説(怨恨説・野望説)が強固に広まっているのに加えて、最近は朝廷黒幕説、足利将軍黒幕説、秀吉犯人説、家康犯人説、イエズス会陰謀説などを信じ込んでいる(吹聴しているだけのようにも思いますが)方が結構多いです。めげずに地道に切り崩していくつもりですので、よろしくお願いいたします。
ブログや本を広めるなど、何かしら協力できそうなことはやっていこうと思っています。
今年もよろしくお願いします。
織田信長の「天下布武」(武家によって天下を支配)の標語をもじってみました。詳しくは「光秀子孫ライフ」で説明します。
ところで「天下布文」というのはどのような意味なのでしょうか?