狩江のお祭りと文化論

~愛媛県西予市明浜町狩江地区のお祭りや、四季折々の風景、暮らしを独自の観点からお伝えいたします~

狩江の歴史シリーズ”同時ゲ峠”

2009-07-04 18:38:25 | 狩江の歴史をたずねて
今回より新しい「狩江の歴史をたずねて」のコーナーを設けました。
昔からの地名、いわれ、慣習、伝説など、狩江の歴史に関するものを
このコーナーでご紹介したいと思います。

まず第一回目は、”同時ゲ峠”。その名の通り、「どうじがとうげ」と呼びます。
ここは地元では、”越え(こえ)”とも呼ばれているあたり。
狩浜本浦から高山へ通じる、まだ今の国道も整備されていない時代の
唯一の道でした。写真のようにお寺から道が山に向かって通っており
ここは大変急な道でもありました。
かつて宇和島藩と吉田藩とに分かれた時代、吉田藩の狩江からと
宇和島藩の高山から年1回、境界線を確認する為、この峠で
同時に落ち合ったことからこの名がつきました。
その時代、領地は開墾の土地や水利など、藩にとっても地区にとっても
大変重要な事柄でした(現在も)。領地をめぐる問題はその後もいろいろな所で
あったようですが、そのため年1回の境界確認は重要なものだったのです。