狩江のお祭りと文化論

~愛媛県西予市明浜町狩江地区のお祭りや、四季折々の風景、暮らしを独自の観点からお伝えいたします~

大狩浜地区の鹿の子

2006-11-28 23:44:20 | お祭り
この古面はなんと150年以上も前の作だそうです。宇和島の磯右衛門さんの作品だそうで、現存している南予の面で一番きれいに保管されているとのこと。地区の皆さんのおかげです。鹿の子は神様のお使い、踊りの歌詞の最後は何かしら哀愁があります。『三笠山から急ぎ帰れと文がきた、おいとま申して いざ帰えろ』


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6 コメント

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ありがとうございます (ジュンノスケ)
2024-02-20 11:02:37
鹿の子の歌詞を学校の調べ物で使いたかったのでちょうどよかったです(集会所に写真取りに行こうとしていた(^_^;))
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趣のある顔 (センエツ)
2006-12-07 15:34:24
なんともいえない趣のある面ですよね。どこの鹿の面よりもやさしい顔をしていると自負しています。鹿といえばお祭りの朝、まだ薄暗い時に笛の音とともに踊る姿があの中庭の静けさとマッチして最高です。またお帰りの際、三番神輿が最後の階段をあがった時に絶妙のタイミングで並ぶ姿に感動します。聞くところによると、鹿があれ以上なんびともあがらせないようにふさいでると聞きましたが?本当でしょうか?
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鹿の子の歌詞がなつかしい (晶子)
2006-12-07 10:41:31
鹿の子の歌詞がなつかしいです。
みかーさーやーまから、というところだけ、今でも覚えています。
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鹿の子のルーツについて (ケイゾウ)
2006-11-29 23:26:24
伊達政宗の長子秀宗が宇和島に伝え(故郷から遠く離されて落ち込んでいる殿様を慰めるために、家来が仙台から持ち込んだとも)、宇和島藩一帯に広がったというのが定説のようです。そこで何故「三笠山」の鹿なのか?という疑問が出てきます。調べてみたら、伊達家は藤原家の系統でその藤原家の氏神さまが奈良の春日大社でありました!もちろん春日大社では鹿は神様のお使いとされています。
なお、本家の奥州地方で歌われている歌詞は、雌鹿が迷子になってしまい、雄鹿が探し当てるというようなストーリーが共通のようです。
また、狩浜の氏神さまが春日神社というのも偶然ですね。本音としては歌心のある先輩がオリジナルで作り上げたという方がいいなぁ。
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歌詞について (スタッフより)
2006-11-29 23:04:55
歌詞をしらべておきます。今回は明浜町史という本に何番か抜粋されていたので引用させてもらいました。
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懐かしの歌詞を (枚方爺)
2006-11-29 21:17:31
半世紀前には何時か鹿の子を踊るんだと胸躍らせていました中学のときに「ほた」?「ほて」?を被って参加したのが田舎の祭りの最後でした。いまでもあの「鹿の子」の歌や踊りは目に浮かび懐かしい思い出に浸ります。鹿の子の歌詞は何処を探せば見れるでしょう?今一度全文を口ずさんでみたいものです。


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