民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「親子で楽しむこどもの本」 谷川 澄雄

2014年02月22日 00時07分29秒 | 民話(語り)について
 「親子で楽しむこどもの本」 谷川 澄雄 著  にっけん教育出版社
 

 長く語り伝えられてきた民話には、人々の心を深くとらえる力があります。
ですから、ただ一回の読み、語りでは、その深さを味わいとることはむずかしいと思います。
読み、語る工夫を重ねることによって、幼いこどもたちの心を深くとらえることができると思うのです。

 炉端で語られた民話については、忘れることのできない情景があります。
それは、もうずっと前のことになりますが、
NHKの新日本紀行というテレビでとりあげられた雪深い小千谷の山里の炉端のことです。

 「しんしんと雪が降っています。
囲炉裏には赤々と火が燃え、吊りかぎにかかった鍋からは湯気が立ち上っていました。

 老いたばあさまが、唇をつかって糸をよっています。
その唇は長い年月の糸よりで深くひびわれていました。
 その向かいには頬の赤い少女がすわって食い入るように、ばあさまを見つめています。

 ばあさまは、「六地蔵」の話をぽつりぽつりと語っていきます。
糸を唇に持っていくたびに話はぽつりと切れます。
少女は、そのとぎれのたびに、それからどうなったのかと話の先を催促しています。

 炉の木がときどきはじけて燃え上がる音のほか、まったく物音ひとつしません。
ほんとうに静かな雪に埋もれた山里の囲炉裏端です」

 民話を語るというのは、こういうことではないかと思いました。
大勢の人を前にして一気に語ってみせるというのでなく、ほんとうにたどたどしいまでに、
ゆっくりと間を取って語っていくこと、それが民話の語り聞かせではないかと思ったのです。
その語りのとぎれの間に、聞いている子はどんなに広く、深く想像力を働かせることでしょう。

 テレビの語りにもよいものがありますが、どうしても一方的な流れ込むままになってしまい、
想像力を働かせようと思っても、たちまち画面にあらわれては消えてしまいます。

 ですから、ときにはまだるっこしいほど間を取って、こどもの表情を見ながら読み聞かせたり、
語ったりするのがいいと考えます。

「語りのはじめに」 米屋 陽一

2014年02月20日 00時08分04秒 | 民話(語り)について
 「日本むかしばなし」 4 「まぬけなおばけ」 民話の研究会 編

 「語りのはじめに」 解説 米屋 陽一

 前略

 今では忘れられてしまったようですが。もっともっと古い時代の語りの場では、
誓いの言葉というか、とにかく前置きの言葉をきちんと言わなければならなかったようです。

 「さるむかし、ありしかなかりしか知らねども、あったにしてきかねばならぬぞよ」
 「古代村落の研究」 早川 孝太郎 
これは、むかしばなしを語り始める前に言った鹿児島県三島村黒島の貴重な報告です。

 最近では、同じ県内の志布志町や鹿児島市からの報告もあります。
 「むかしのことならねえ、あったかねかったかは知らねえども、あったことにしてきくがむかし」
 「むかしむかし、あったかねかったか知らんどん、あったつもりできっくれ」
 「鹿児島昔話」 有馬 英子編

 また、山形県の最上町では、
 「トントむがすのさるむかし、あったごんだが、なえごんだったが、トントわがりもうさねども、
トントむかしァあったごどえしてきかねばなんねェ、え」
 「小国郷のトント昔コ」 佐藤 義則編
と、語り手は聞き手に念を押します。
すると聞き手は、「おうおっ」とか、「うん」と言って承諾の声を出します。
語り手は、それを待ってから、「トントむかし、あったけど」と語り始め、ひとつ話が終わるたびに、
「ドンピン・・・・・」と、語り納めます。

 また、語り始める前に、身なりをきちんと整えたり、すわりなおしたりする語り手もいます。
語り納めて、「ぽん」と、ひとつ、かしわ手を打つ語り手もいます。
儀礼のようでもありますが、このことは、むかしばなしと一緒に伝えられた、
語りの場の大事な約束事になっているようです。

 つまり、目に見えない言葉をひとつひとつ大事に語り、聞くということは、
言葉自身に命があると考えた時代の信仰的な意味がこめられているからだと思います。
ですから、うそかほんとうかは知らないけれども、話の世界、空想の世界に、語り手と聞き手は、
一緒に入らなければならなかったわけです。
なんだか、むかしばなしが、遠いむかしから現在にいたるまで語り継がれてきた謎のひとつが、
解けてきそうです。

「場面を心に描きながら語り継ぐ」 小澤 俊夫

2014年02月18日 01時16分15秒 | 民話(語り)について
 働くお父さんの「昔話入門」生きることの真実を語る 小澤 俊夫  日本経済新聞社 2002年

 「場面を心に描きながら語り継ぐ」

 昔話を理論的に考えるときに、わざと意識して合理的に分析してみるとよくわかるんです、
おかしさが。
ああ、ここのところが違うじゃないかという感じになります。
昔話は、けっしてその場しのぎで片づけるんじゃなくて、
とても一貫した法則を持って語っているのです。

 これがもし仏像のように目に見えるものであれば、
ああ、壊れているってすぐわかったと思うのです。
だけど、昔話は目に見えないから、だれも壊れていることに気がつかない。
本来どうあるべきかも知らないわけです。
どんどん壊して平気だというふうになってしまうのではないかと心配なのです。

 語り手も場面を想像しながら語り、子供たちはその声を聞いて、
それぞれに場面を思い描くわけだから、少しずつ語り手によって違っていいんです。
また語り手が語っているのと、具体的には子供が想像するのは違うかもしれない。

 だけど、絶対にできなきゃいけないのは、語り手が語るときには、
その場面を同時に頭のなかで見ながら語るということです。
これは動かしがたいことです。
語り手が思い描きながら語っているんじゃないと、聞いている方には見えないのです。
語り手が心に見ながら語っているからこそ、聞いている方も自分なりの画面がつくれる。
これはストーリーテリングをやっている人たちは、確実に常にいうことです。

 テレビのアニメなどでは、物語の場面はすべて作られていて、見ている子供は、
それを受け取りさえすればいい。
聞いている自分で動かすんじゃなく、語られる画面は勝手に動いてくれる。
私は、そこのところ、ちょっと気をつけなきゃいけないと思っているのです。
これでは、子供の空想力は育たない。
空想力、想像力というのが衰えたら、すごく人間にとっては危険なことだと思います。

「再話の方法」 木暮 正夫

2014年02月16日 00時06分08秒 | 民話(語り)について
 「民話の再話に関する教授学的考察」  琉球大学  藤原幸男 (ネットより)

(4)再話の方法

 木暮正夫は、再話の技法として次のようなことをあげている。

①既に再話されたものから再話しない。

②すぐれた採集原話をさがしだす。
 かけている部分は他の地方のものから補い、本質のものと無縁な來維部分はカットして
先祖たちがほんとうに心の種とした伝承の姿を復元して伝えるよう心がけたい。

③再話が創造であるためには、発見がなくてはならない。
 いくらすぐれた原話を選びだしても、その原話の本質を読みとって
自分をはいりこませることができなければ、単なる書きかえである。

④語りの文学である民話には、独自の語り口が生きている。
 民話のもつ豊かなことばとそのテンポやリズムをどう生かすかも、再話のポイントとなってくる。

⑤方言をどうするか。
 方言は生かしたいが、方言を全面的におしだしては読者がとまどう。
地方の原話を普遍的なものに再話するとなると、「共通方言」をつくっていく必要が生じる。

⑥民話には独特の文体(表現方法)がある。
 その文体はテーマの核心に向かって、一直線に語り進められ、
焦点は主人公の動きにのみ絞られている。
周辺のこまごまとしたことには触れず、無用な説明もしない。
これが方言のもち味とあいまって、民話の魅力となっている。
再話にもこの文体を生かさなくてはならない。

「ひさの星に添えて」 斎藤 隆介

2014年02月14日 00時15分32秒 | 民話(語り)について
 「ひさの星」 斎藤 隆介 作  岩崎 ちひろ 絵  岩崎書店 1972年

 『ひさの星』に添えて  斎藤 隆介

 蛍は、濡れた草の葉にとまって、息をするように微(かす)かに光ったり消えたりします。
 とろうと手をふれると、ポロリともろくも水の上に落ちます。
 天の蛍―――、星は、青白くまたたき息づきますが落ちるようなことはなく、
人々はその輝きをふり仰ぎます。
 ひさは、蛍のようにかそけくしずかな少女でした。
そのひさがどうして水に落ちて流され、そして天の星になったか―――、それがこのお話です。

 小さいもの、弱いもの、仲間たちは、自分の命を捨てても守らなければならない!
と声高く叫んでその道をつき進む人は立派です。
 しかし、黙ってその道を歩いてゆく人もいます。
ひとにほめられたりしたら頬を赤くするのです。
 そういう人たちが、私には星のように輝いて見えます。
声高く叫ぶ人の声がかれ、歩くのをやめる時も、この人たちは黙って歩き続けます。
時には死に向かってさえも。
 今は声高く叫ばなければならぬ時かもしれません。
しかしその人たちの心のシンに、星のように黙って輝くやさしさが、本当の強さの核となって、
更にその歩みを続けさせてほしいと私は願います。

 その、ほんとうの強さのシンとなる星のしずくのようなやさしさを、
岩崎ちひろさんはひさの姿を通して見事に描いて下さいました。
 この「星の絵本」が、日本中の少年少女の手にとられ、胸に輝くことを願ってやみません。