民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「徒然草」 第75段 つれづれわぶる人

2016年02月02日 00時05分12秒 | 古典
 「徒然草」 吉田兼好 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 角川ソフィア文庫 2002年

 孤独の哲学――つれづれわぶる人 第75段 (「清貧の思想」中野孝次の中で紹介)

 時間をもてあます人の気が知れない。何の用事もなくて、独りでいるのが、人間にとっては最高なのだ。

 世の中のしきたりに合わせると、欲に振り回されて迷いやすい。人と話をすると、ついつい相手のペースに合わせ、自分の本心とは違った話をしてしまう。世間とのつき合いでは、一喜一憂することばかりで、平常心を保つことはできない。あれこれ妄想がわいてきて、損得の計算ばかりする。完全に自分を見失い、酔っぱらいと同じだ。酔っぱらって夢を見ているようなものだ。せかせか動き回り、自分を見失い、ほんとうにやるべきことを忘れている。それは、人間誰にもあてはまることだ。

 まだこの世の真理を悟ることはできなくても、煩わしい関係を整理して静かに暮らし、世間づきあいを止めて、ゆったりした気持ちでほんらいの自分をとりもどす。これこそが、ほんの短い間でも、真理に近づく喜びを味わうといってよいのである。

 日常の雑事、義理づきあい、もろもろの術、がり勉なんかとは縁を切れ、というふうに『摩訶止観』(中国天台宗の根本聖典)にも書いてありますよ。

「徒然草」 第74段 蟻のごとくに 

2016年01月31日 00時11分33秒 | 古典
 「徒然草」 吉田兼好 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 角川ソフィア文庫 2002年

 利に群がる蟻人間――蟻のごとくに 第74段 (「清貧の思想」中野孝次の中で紹介)

 人間が、この都に集まって、蟻のように、東西南北にあくせく走り回っている。その中には、地位の高い人や低い人、年老いた人や若い人が混じっている。それぞれ、働きに行く所があり、帰る家がある。帰れば、夜寝て、朝起きて、また仕事に出る。このようにあくせくと働いて、いったい何が目的なのか。要するに、おのれの生命に執着し、利益を追い求めて、とどまることがないのだ。
 
 このように、利己と保身に明け暮れて、何を期待しようというのか。何も期待できやしない。待ち受けているのは、ただ老いと死の二つだけである。これらは、一瞬もとまらぬ速さでやってくる。それを待つ間、人生に何の楽しみがあろうか。何もありはしない。

 生きることの意味を知ろうとしない者は、老いと死も恐れない。名声や利益に心奪われ、我が人生の執着が間近に迫っていることを、知ろうとしないからである。逆に生きることの意味がわからない者は、老いと死が迫り来ることを、悲しみ恐れる。それは、この世が永久不変であると思い込んで、万物が流転変化するという無常の原理をわきまえないからである。

「徒然草」 (序段)いろいろな現代語訳

2016年01月29日 08時23分27秒 | 古典
 「徒然草」 (序段)いろいろな現代語訳

「原文」
つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

「徒然草・方丈記」嵐山 光三郎・三木 卓 21世紀版 少年少女古典文学館 10 講談社 2009年
 たいくつしのぎに、一日じゅうすずりにむかって、つぎからつぎにうかんでくることを書くことにしたぜ。とりとめもない話だから、書くわたしのほうだってへんな気分さ。

「徒然草」ビギナーズ・クラシックス 角川ソフィア文庫 2002年
 今日はこれといった用事もない。のんびりと独りくつろいで、一日中机に向かって、心をよぎる気まぐれなことを、なんのあてもなく書きつけてみる。すると、しだいに現実感覚がなくなって、なんだか不思議の世界に引き込まれていくような気分になる。
 人から見れば狂気じみた異常な世界だろうが、私には、そこでこそほんとうの自分と対面できるような気がしてならない。人生の真実が見えるように思えてならない。独りだけの自由な時間は、そんな世界の扉を開いてくれる。

「絵本・徒然草」 橋本 治 河出文庫 2005年(1990年刊行)
 退屈で退屈でしょーがないから一日中硯に向かって、心に浮かんで来るどーでもいいことをタラタラと書きつけていると、ワケ分かんない内にアブナクなってくんのなッ!

「改訂 徒然草」 今泉 忠義 角川ソフィア文庫 1957年(1952年初版)
 じっとして何かしないではいられない気持ちに惹かれて、終日硯に向かいながら、心に浮かんでくるとりとめもないことを、何ということもなく書きつけてみると、自分ながら妙に感じられるほど―――興がわいてきて―――何だかものに憑かれたような気さえして筆を進める。

「解説 徒然草」 橋本 武 ちくま学芸文庫 2014年(1981年刊行)
 身も心も十分なゆとりがあるものだから、一日中机にむかうことのできる状態で、わが心に去来する種々雑多な想念を、とりとめもなく書きつけていくと、(私の心は)言い表しようがないほど熱中し、無我夢中の状態になってしまうのである。

「すらすら読める 徒然草」 中野 孝次 講談社文庫 2013年(2004年刊行)
 為すこともなく退屈なまま、日がな一日硯に向かって、心に映っては消え、消えては映る埒もないこともを、浮かぶまま、順序もまとまりもなく書きつけていると、自分が正気なのかどうかさえ疑われるような、狂おしい心持ちになってくる。

「徒然草 REMIX」 酒井 順子 新潮文庫 2014年(2011年刊行)
 退屈な毎日を暮らしている時に、心に浮かんでくるどうでもいいようなことを何となく書きつけてみれば、何をしているんだかなぁ、俺

「徒然草 全訳注」 三木 紀人 1979年 講談社学術文庫
 所在なさにまかせて、終日、硯に向かって、心に浮かんでは消えてゆくとりとめのないことを、気ままに書きつけていると、ふしぎに物狂おしくなる。

「徒然草」新訂 西尾 実・安良岡 康作 校注 ワイド版 岩波文庫 1991年
 することもないものさびしさにまかせて。心の中を移動してゆく、とりとめのないこと。(通説は、特に定まったこともなく、あてどもなく)妙にばかばかしい気持ちがすることだ。
 

説き語り「源氏物語」 村山 リウ その14 浮舟

2015年11月29日 00時56分45秒 | 古典
 説き語り「源氏物語」 村山 リウ その14 講談社文庫 1986年(昭和61年)

 浮舟―――三角関係にゆらぐ女心

 薫の知性にひかれ、匂宮の情熱にも負けてしまう哀しさ。二人の間を揺れ動いた女性が、恋を捨て世を捨て始めて強い女に生れ変る。

 この時代、目に見える形の美を表現する言葉に「をかし」というのがあります。見るからに美しい女性を、こういいます。
 浮舟は、美しい女性でした。「をかし」という形容にふさわしい女性です。けれども、残念ながら、内容がちょっともともなわなかった。外見の美しさにみあうだけの知性や理性が、ちょっと欠けていたんです。それが、この女性の生涯を不幸にしてしまった、そういってよいでしょう。

説き語り「源氏物語」 村山 リウ その13 大君(おおいきみ)

2015年11月27日 00時20分24秒 | 古典
 説き語り「源氏物語」 村山 リウ その13 講談社文庫 1986年(昭和61年)

 大君(おおいきみ)―――永遠の愛をもとめて

 女三の宮と柏木との運命の子、薫が深く愛した女性。結婚を拒否し、薫の愛に死をもって応えた、もっとも激しく純粋な愛とは・・・。

 源氏の君が世を去ってから、すでに十年に近い年月が流れました。
 さまざまな愛の形がある中で、死をもってまっとうする愛とは、いったいどんな愛なのでしょうか。もっとも純粋で、もっとも激しい愛といったらよいでしょうか。
 死ぬことによって永遠性を持つ愛。源氏の君の世代から数えて三代目。薫の愛した女性大君の愛とは、まさに死ぬことによって完成された悲しくも激しい愛でした。