民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「外郎」 戸板康二 

2014年05月11日 00時05分35秒 | 伝統文化
 「外郎」    「歌舞伎十八番」所載  戸板康二 著

 「外郎(ういろう)」は、正しくは「外郎売」で、「勧進帳」の前型、
「助六」の初演等に引きつづいて演じられたものである。
享保三年正月、森田座が初演。
二代目団十郎が「若緑勢曽我(わかみどり・いきおいそが)」に畑六郎左衛門という役名で
外郎売に扮して登場、滝のような弁舌で、いい立てをしたという記録が、
その長いセリフとともに「歌舞伎年代記」に載っている。

 鎌倉建長寺を開山した大覚禅師について日本へ渡った外郎という人物が、小田原に住んで売り弘めた
「透頂香」を、俗に外郎といい、婦人病に特効がある薬だったというのだが、
この芝居はその外郎を宣伝して歩く行商人の身振りをたくみに舞台にとり入れたおもしろさと、
団十郎独特の雄弁術が評判になって、その後も演じられている。

 中略

 この演目は二代目団十郎の当たり芸として市川家に記録された出し物というに過ぎず、
役柄も荒事ではなく、演技の骨子は、よどみなくのべるセリフにあった。
おのずから、ほかの「十八番」とは、区別されるべきものであろう。

「附子(ぶす)」 狂言

2014年04月18日 00時32分32秒 | 伝統文化
 「絵で見てわかるはじめての古典」八巻  能・狂言・歌舞伎  監修 田中 貴子

 狂言「附子(ぶす)」

 太郎冠者(かじゃ)、次郎冠者は、主人から「そこから吹く風に当たっても死ぬほどの猛毒」
という附子を預けられます。
ところが、どうしても中が見たくなって、こわごわ附子の入った入れ物のふたを開けてしまう二人。
すると中には毒ではなくおいしそうな水飴が!二人はつまみ食いして全部食べてしまいます。
困った二人は、主人の大切にしている掛け軸や茶碗をこわし、帰って来た主人に
「死んでおわびをしようと、附子を食べましたが死ねません」と言い訳をするのでした。

 太郎冠者とは、狂言の演目にの中に出てくる代表的な役で、大名などの使用人のこと。
気のよいお調子者的な愛すべきキャラクターです。

 附子(ぶす)とはトリカブトという植物の根を乾かして作る猛毒のこと。

 原文

 主人「南無三宝(なむさんぽう)、秘蔵の台天目までみじんにしを(お)った。
おのれら両人生けておく奴ではないぞ」
 太郎「とても生けておかれまするまいと存じ、附子(ぶす)なと(ど)食(く)て
死な(の)うと思うて、な(の)う次郎冠者」
 次郎「オオ」
 主人「これはいかなこと、附子まで皆にしを(お)った。さてもさてもにくい奴でござる」
 太郎「一口食へ(え)ども死なれもせず」
 次郎「二口食へ(え)どもまだ死なず」
 太郎「三口四口(みくちよくち)」
 次郎「五口(いつくち)」
 太郎「十口(とくち)あまり」
 二人「皆になるまで食うたれども、死なれぬことのめでたさよ」

 現代語訳

 主人「びっくりした、大事な天目茶碗(茶道具)をあのように割って、
おまえたち、ただではおかないぞ」
 太郎「こうなったら生きてはいられないと思って、附子を食べて死のうと思ってなあ、次郎冠者」
 次郎「おお」
 主人「これはどうしたことか、附子まで全部なくなっている。いやまったく、にくいやつだ」
 太郎「一口食べても死ぬことができず」
 次郎「二口食べてもまだ死なず」
 太郎「三口、四口(みくち、よくち)」
 次郎「五口(いつくち)」
 太郎「十口(とくち)以上」
 二人「みんななくなるまで食べたけれども、死ぬことができないなんて、なんとありがたい」

「ん廻し」 落語

2013年11月19日 00時32分28秒 | 伝統文化
 「ん廻し」 落語

 長ゼリフで有名な落語と言えば「寿限無」ですが、
実は「ん廻し」っていう落語でも長ゼリフが出てきます。
お酒を飲みながら「ん」がつく言葉を一つ言うごとに 
田楽を一枚進呈するゲームをしている 落語なんですが、そこで出てくるセリフ。

「せんねん しんぜんえんの もんぜんの やくてん 
げんかんばん にんげん はんめん はんしん 
きんかんばん ぎんかんばん きんかんばん こんぽん まんきんたん 
ぎんかんばん こんげん はんごんたん 
ひょ~たん かんばん きゅ~てん」

 これでこの人は43本もらっていきます。

 漢字で書くと、

「先年 神泉苑の 門前の 薬店、
玄関番 人間 半面 半身、
金看板 銀看板、金看板 根本 万金丹、
銀看板 根元 反魂丹、
瓢箪 看板 灸点」

 さあ、みなさんも田楽を43本もらってみましょう!

「時そば」 斎藤 孝

2013年11月17日 00時47分59秒 | 伝統文化
 「時そば」 声に出して読みたい日本語 11 所載  斎藤 孝

 そばの代金を払うとき、途中で時間を聞いて、ごまかす奴がおりました。

「いくらだい?」
「十六文いただきます」
「小銭だぁ、間違えるといけねえな。勘定してやろう。手ぇ出してくんねえ」
「これへいただきます」
「そうかい、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、
今、何刻(なんどき)だい?」
「へえ、九刻(ここのつ)で」
「とお、じゅういち、じゅうに、じゅうさん、じゅうし、じゅうご、じゅうろく」
勘定を払って、ぷいって行ってしまう。

 一文をごまかしたのを見て、次の日の夜、
真似をしたのが与太郎。
ところが違う時間に行ったので、かえって損をしてしまいます。

「おい、いくらだい?」
「へえ、ありがとうぞんじます。十六文いだたきます」
「小銭だぁ、間違えるといけねえな。勘定してやろう。手ぇ出してくんねえ」
「これへいただきます」
「そうかい、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、
今、何刻(なんどき)だい?」
「へえ、四刻(よっつ)で」
「いつつ、むっつ、ななつ、やっつ・・・・・」

「夜店風景」 立川 談志

2013年11月15日 22時57分13秒 | 伝統文化
 「夜店風景」 「書いた落語傑作選 1」 所載  立川 談志 著

 世の中には偽物売りはいくらもあるが、ここまでクダラナイと心地がいいもんで・・・・・。
サァ、皆サン、諸君、大衆、同胞(はらから)よ、皆集まってくれて「感謝、感謝、雨小便」
いや、冗談はサテおいて、今日は一つ、このセチ辛い世の中、
物質(もの)の値段は上昇(あ)がるが給料は上がらない、
上がらないから「もしも、給料が上がったら」と歌になる。
月給が上がることが現実でなく「夢」なのだ。

 で、諸君、この生活(くら)し難(にく)いこの現在で、いかにしたら、それが楽になるのか、
これが世の人々の希望であり、夢であろう。
その期待が見事に叶う解答が書かれているのが、この本だ。
この薄い本・・・・・本なんて厚けりゃいいてぇもんでない。
肝心な事が書いてないから、厚くなる。
つまり無駄ばかりだ。
物事の本質、真理なんざァ、そのものズバリ短くてすむ。
いや短いものなのである。

 なら、この薄い一冊の本に、どんな内容が詰まっているか、この興味深い内容の一端を紹介する。
五つの項目に分かれている。
まず、その一だ。
何と「一(ひ)と月、十円で食える方法(ほう)」という。
どうだ諸君、君たちは月に何円収入(はい)り、いくら支出(で)る。
何と一と月、十円で食えるのだ。
この答えがこの本の第一章に出ている。
次が凄い。
電気、ガス無くして明るくなる法。
三つ目は、釜無くして飯を炊く法。
四つ目が、酒無くして酔える法。
終わりは、泳ぎを知らずして水に溺れぬ法。
 毎年、夏になると水難の事故が多い。
これを覚えてそれらを無くすこと、また泳げない人は是非これを読んでもらいたい。

 さて、この通り、人生に有為なる事柄を書いた本、
本来、これが書店の棚に並べられると、まずは一円五十銭と値段がつくが、
これはその前の段階だから、本屋の利益が入っていない。
加えて、吾が輩の親切、世のため人のために「この本を読んでほしい」という、素直な気持ちである。
気持ちとしては無料(ただ)で進呈してもいいのだが、吾が輩にもやはり守るべき生活というものがある。
従(だによ)って紙代・印刷代だけだ。
五十銭にしてあげるから、サァ、持ってってくれ。
ハイ、次、ホラッ・・・・・オイオイそこで頁(ページ)を開けるな、読むな、
買わない奴が横から只(ただ)読んじまう。
家に帰ってゆっくり読んで人生の参考にしてもらいたい。
吾が輩は次の場所に行って人々を幸福にしてくるから、アー、グッドバイ。

 どうでえ、いい本にぶつかったねェ。
大助かりだ、「一と月、十円で食えるよ」とよ、えーと、答えは、ナニ?
「ところ天を食え」・・・・・?
ところ天が何で一と月なんだ?
ところ天は「一と突き」・・・・・、アラッ、「一と突き」、「一と月」だ。
そりゃァところ天なら「一と突き、十円」で食えらァ。
巫山戯(ふざけ)てやんねェ・・・・・喧嘩ンならねえ。
ま、これは洒落だよ。
次だ。ね、「電気、ガス無くして明るくなる法・・・・・」。
ナニ?「夜明けを待つべし」・・・・・。
当たり前じゃァねぇか。
夜が開けりゃァ明るくならァ・・・・・。
次は何だ?えーと、そうだ、「釜無くして飯を炊く法」。
「鍋で炊け」
やりやがったな・・・・・。
四つ目は?「酒無くして酔える法」。
「ビールを飲め」「ウイスキーならなおよし」
何ィ、言いやがる。
最後の一つでもありゃ安いけど・・・・・。
五つ目は?えーとぉ、「泳ぎを知らずして水に溺れぬ法」か・・・・・。
「まず裸になれ」
そりゃァそうだ。こりゃァ本物だ。
「裸になって、腹に墨で横に一文字を書く。
・・・・・はあ・・・・・?
まじないかな。
「それより深いところに入るな」・・・・・。
冗談言っちゃいけなぇ・・・・。

「夜店風景」でございます。

 馬風師匠(勿論先代「鬼の馬風」だ)が演(や)った。
バカバカしくて楽しかった。
こんな落語(もの)ァ、どこの落語集にも載るまいから、本書に記しておいた。
・・・・・けどネ、「電気、ガス無くして明るくなる法」は「夜明けを待つべし」はいい。
その通りだ。
間違ってないばかりか、人間の本質を衝(つ)いている。
人間本来明るくなったら寝りゃァいいのだ。
それを明るくして「何かしよう」なんて了見は自然に反する。
黙って夜明けを待てばいいのである。

 時代背景からいえば、その時の「ところ天」の値段でいいのだが、
やはり、「一と月、十円で食える法」というのが私ゃ好きだ。
「一と月、十円」というフレーズはいい。