民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「南総里見八犬伝」 第一巻 あとがき その3

2018年03月07日 00時16分31秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「南総里見八犬伝」 第一巻 運命の仲間 原作 曲亭 馬琴 文 時海 結以 講談社 青い鳥文庫 2016年

 あとがき その3

 しかし、何があっても物語を最後まで書かないのは、読者の人たちや出版している店にも、もうしわけない。そう思い直した馬琴は、息子のお嫁さんのお路(みち)に、漢字を教えながら、物語を書きとってもらうことにします。
 お路(みち)は、ひらがなしか知らず、漢字をほとんど読み書きできなくて、むずかしい文章も書けませんでした。それが当時の、町人の女の人の「ふつう」だったのです。
 しかも、馬琴は、お路(みち)の書いた文字を見て確認できません。
 説明しながら書き取らせた一つ一つの漢字とできあがった文章、それを声に出してお路(みち)に読み返させ、漢字のへんやつくりを言わせて正しいか確認する、とてもとても手間のかかる作業でした。

 はじめは時間がかかりましたが、だんだんお路(みち)もなれてきて、漢字をおぼえ、スムースに書き取れるよになり、8ヶ月半かけて完成させて、残り全部を出版することができました。馬琴75歳、第一巻の出版から28年目のことでした。

 それでもまだ、馬琴は書くことをやめず、いくつか本を出してから、82歳で亡くなりました。小説を書くのが、本当に好きな人だったのだと思います。

「南総里見八犬伝」 第一巻  あとがき その2

2018年03月05日 00時13分33秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「南総里見八犬伝」 第一巻 運命の仲間 原作 曲亭 馬琴 文 時海 結以 講談社 青い鳥文庫 2016年

 あとがき その2

 馬琴は仕事のしすぎなのか、目を悪くして、40歳を何年か過ぎるころから、メガネをかけていました。それでもよく見えなかったようです。
 ですので、書いた原稿は、息子がチェックしてまちがった文字をなおしてから、印刷・出版する店にわたしていました。

 しかし、息子は病気になり、「八犬伝」が出版されだしてから21年目に、亡くなってしまいました。このころにはもう、馬琴の右目は何も見えなくなっていたのです。
 しかし、八犬伝は芝居になって上演されるほどの人気です。いまならドラマや映画になるようなものです。
 とちゅうで物語をやめることは、ファンをがっかりさせてしまいます。
 それに、自分と妻の生活だけでなく、残された息子の家族の生活を支えないとなりませんし、なにより、馬琴自身が、最後まで書き上げたかったのだろうと思います。

 馬琴は左目だけをたよりに、ひとりで書きつづけます。
 ですが、左目もどんどん見えなくなり、原稿用紙に印刷された行の中に、きっちりと書くこともできず、一枚に11行書かなくてはならない紙に、4行だけ、大きな字で書く、ということになっていきます。
 それでも、あと一巻だけでも、もうすこしだけ、もうすこしだけ、と書くのです。
 74歳でとうとう、わずかに昼と夜の区別ができるていどにしか見えなくなってしまい、馬琴はとても落ち込みました。あとすこしで、完結だというのに。

「南総里見八犬伝」 第一巻 あとがき その1

2018年03月03日 00時50分54秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「南総里見八犬伝」 第一巻 運命の仲間 原作 曲亭 馬琴 文 時海 結以 講談社 青い鳥文庫 2016年

 あとがき その1

 この物語は、今から約200年前に書きはじめられた小説『南総里見八犬伝』を原作として、おもしろいシーンや、物語にとってだいじなシーンだけを選んでつなげ、読みやすいように書きなおしたらい、さらにオリジナルのシーンを加えて、全三巻にしたものです。
 200年前の江戸時代に、こんなにもおもしろい、冒険ファンタジー小説があったのです。いまの少年マンガやゲームやアニメと、変わりなくおもしろいですよね。

 200年前に原作を書いた人は、ペンネームを曲亭馬琴といいます。
 よく「滝沢馬琴」とよばれていますが、馬琴本人がそう名のったことは、まだ確認できていません。
 本名が滝沢解(とく)なので、本名の名字と、ペンネームの下の名前が、明治時代以降に、いつのまにかくっついてしまったようです。実際、本名の名字にペンネームの名前をくっつけてサインしたりした江戸時代の小説家もいましたので、そうなってしまったのかもしれません。

 曲亭馬琴は1767年に、江戸で武士の家に生まれました。武士としての名前は滝澤興邦(おきくに)といいました。
 いったんはぶしとしてはたらきはじめるのですが、どうしても仕事が好きになれなかったようです。じつは馬琴は、子どものころから、俳句を作るのが大好きで、よく本を読んでいました。

 22歳のとき、病気になったのを機会に武士をやめ、医者や学者になろうとしてみたあげく、24歳で、当時の大人気小説家、山東京伝に弟子入りします。やはり、何かを書きたいという、子どものころからの夢を、かなえたかったのでしょうか。

 小説家デビューを果たし、名前も武士らしい興邦から、町人らしい解(とく)に変え、ペンネームも決めて、27歳で下駄屋の娘のお百(ひゃく)と結婚し、むこになります。

 しかし、馬琴は下駄屋の商売も好きになれず、手習いの師匠、いまでいうと塾の先生をしながら、小説家としても活躍しはじめます。そして41歳になったとき、「椿説弓張月」というヒット作を出すことができました。人気小説家の仲間入りです。

 そして1814年、『南総里見八犬伝』を発表します。大ヒット作となり、それから28年をかけて書かれて、全98巻、上・下巻に分かれている巻もあるので、本にして106冊の、大長編になるのです。
 現代の文庫でも、一巻平均400ページくらいという厚さで10巻分あります。

「本屋さんで待ちあわせ」 その24 三浦 しをん  

2018年01月07日 00時12分57秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「本屋さんで待ちあわせ」 その24 三浦 しをん  大和書房 2012年

 希望が生まれてくるところ その3
 ――『花宵道中』宮木あや子・著(新潮社/新潮文庫) P-162

 彼女たちが、男性との恋に希望を見いだすのではないところが、この作品を通り一遍の「遊郭小説」とはちがうものにしている。
 山田屋で寝食をともにする遊女たちだが、当然、そりの合わない相手もいれば、いたわりと信頼で結ばれた相手もいる。ふだんは反目しあう仲でも、たまに一致団結して浮気な客をとっちめたりもする。女同士の友情、嫉妬、楽しい会話、そっけないようで相手を思いやる距離感が、細やかに描かれる。遊女たちは、男との恋によってではなく、仲間の遊女とのかかわりを通して、希望を抱いていくのである。

 惚れた腫れたからではなく、孤独と連帯の狭間で揺れ動く人間関係のなかからこそ、希望は生まれる。ひとを生かす力は、そこから芽生える。『花宵道中』は、高らかにそう告げている小説だと私は思う。

 遊女たちが主人公であるからして、『花宵道中』にはもちろん、官能的シーンがたびたび出てくる。しかしこの官能は決して、読者を快楽に浸らせるためのものではない。むしろ、「げっへっへ」と喜んですり寄ってくる好色なおじさん(イメージ)を、冷たい刃で切りつけるような誇り高さと美が感じられる。『花宵道中』の官能は、一個の肉体と精神をもって生きる人間の、魂の咆哮なのであり、意志が発する叫びなのだ。青白い炎を宿す快感と痛みと怒りを知れ。

 登場人物たちの切実で繊細で力強い心を、私は愛する。

「本屋さんで待ちあわせ」 その23 三浦 しをん

2018年01月05日 00時02分28秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「本屋さんで待ちあわせ」 その23 三浦 しをん  大和書房 2012年

 希望が生まれてくるところ その2
 ――『花宵道中』宮木あや子・著(新潮社/新潮文庫) P-162

 だがなにより素晴らしいのはやはり、登場人物の内面に注がれる作者の眼差しだ。
 たとえば一話目の「花宵道中」では、朝霧という遊女の燃え上がる恋と哀しみのすえの選択が描かれる。彼女が選んだ凄絶な、けれど強さを秘めた結末に、私は人間の真実を見て涙した。ところが、三話目の「青花牡丹」において、朝霧が恋した男の心が明らかになる。思いを通じあわせた両者のあいだに、実は大きな断絶が横たわっていたことが、残酷なまでに淡々と語られていく。ひりつく痛みと虚無を、慄然と感じぜずにはいられない。しかしそれもまたたしかに、人間の真実の一面なのである。

 作中で救いが明確に描かれることはない。人間に心があるかぎり、生きても死んでも、私たちを完全に満たしうる救いなど訪れようもないからだ。だが、希望は描かれる。

 登場する女性のほとんどが、貧困にあえぐ村と吉原のなかしか知らない。「外」の世界を空想するよすがすら与えられていないのだ。それでも彼女たちは希望を抱く。諦念の泥沼に沈みそうになりながら、それでも自分自身の喜びと希望を力強く胸に抱く。