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「落語の国の精神分析」 藤山 直樹

2013年03月26日 00時04分14秒 | 伝統文化
 「落語の国の精神分析」 所載  藤山 直樹 1953年生まれ  みすず書房

 まえがき(より)

 この本の主題は、ひとつは落語の根多(ネタ)である。
それは江戸から明治大正にかけての民衆の生み出したフォークロア(民話)だと言ってよい。
無名の民衆が作り出し、楽しみ続けてきたものには、必ず無意識の力が動いている。
精神分析家として私は、それを読み解いてみたいと思った。

 そしてもうひとつの主題は、落語家という人間の生き方だ。
落語家も精神分析家も単にひとつの職業にとどまらない、ひとつの生き方であるように思う。
落語家という、ひとりでこの世を相手にしている生き方と精神分析家には共通しているところがある。
それを前提に落語家として生きるとはどんなことなのか、
そのことに少しでも迫りたいと思った。


 対談 立川 談春 × 藤山 直樹

 「落語の国の国境をこえて」

 談春 あんなに(立川談志のこと)稽古した人はいないですよ。
ただ、一度も僕らには見せない。

 略

 兄弟子でこういうことを言った人がいる。
談志や志ん朝が天才だと言うけど、そんな天才じゃねえ、と。
もし、天才だと言うなら、あの人たちはひとつの噺(ハナシ)を百回稽古する才能に恵まれたんだと。
百回稽古するということは、九十九回目が気に入らないから百回目をやるわけでしょう。
修練ではないんですよ。
ひとつの噺(ハナシ)に九十九、テーマが見つけられる。
なるほど、それを天才と言ってるならすごいセリフだと思ったんですけれど。