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「たけくらべ」の朗読 鴨下 信一

2014年05月29日 00時14分16秒 | 朗読・発声
 「日本語の学校」 声に出して読む<言葉の豊かさ> 鴨下 信一 著 平凡社新書 2009年

 「樋口一葉「たけくらべ」の朗読について」 

 「たけくらべ」の息継ぎはだいたい読点「、」でやればよろしい。
読点と読点の間は原則一息で読みます。
この一息を音楽の一小節と考えます。
よく見ると、同じ一小節に字の数(音の数)が多いのと少ないのとがある。

 「平生(つね)の美登利ならば、信如が難儀の体(てい)を指さして、
あれあれあの意気地なしと笑うて笑うて笑い抜いて、言ひたいままの悪(にく)たれ口」
音の数は「9・16・26・13」です。
一小節をほぼ同じ時間で読むとすれば、音数の多い小節は速く、少ない小節は遅く読む。
まあ厳密に音数に比例して速度を上げ下げすることはないのですが、
それでもこの文章が(普通・やや速く・速く・速くなったスピードを抑えて)
読むように構成されているのがわかるはずです。

 そしてこれは美登利の心理(高まって興奮してゆく気分)と、とてもよくリンクしている。
俳句の5・7・5も、まん中の7の部分が少し速くなる。
これでリズムがつくのです。
和歌の5・7・5・7・7も同じ。

 よく「たけくらべ」を全部平均したスピードで(一見丁寧な読みに聞こえるのですが)
読む人がいます。
それは一葉の持つ(内的リズム)を無視した読みです。
そういう人は音数が多いところでは息が続かなくなって、途中で勝手に切ったりする。
よくありません。

 本来、カギカッコ(「 」)に入るべき会話の部分が「地の文」と同じように書かれているのも
文語文の特色ですが、「たけくらべ」のような文章では、会話とか台詞の調子でなく、
地の文のリズムに合わせた調子で読みます。
少しリアルに会話の調子が入ってもいいのですが、まるっきり会話の口調では感心出来ません。