民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「あの、ぬるく、水っぽいお粥」  岸本葉子

2015年03月08日 00時13分49秒 | エッセイ(模範)
 「あの、ぬるく、水っぽいお粥」  岸本葉子  『幸せまでもう一歩』所収 「エッセイ 脳」P-52

 七日間の絶食を体験した。入院して、腸の検査を受けた後のことである。
 術後すぐの数日は、飲まず食わずでもいっこうに空腹感を覚えない。が、体力が回復するに比例して、何か口にしたい衝動がつのってくる。必要な栄養は、点滴でちゃんと取れているのだが、それとは別の問題のようだ。八日目の朝から許される流動食が、ひたすら待たれる。

「解禁日」の前日は、ほとんどもう食べ物のことしか考えられない状態になり、これで何かの手違いで配膳が忘れられたりしたら、卒倒するのではないかと思われた。

 そしてその朝、運ばれてきたのは。「これが、お粥・・・・・」
 プラスチックの丼の底の方に、うっすらと溜まっている。障子を貼る糊よりも、水分が多そうな。
 試みに箸でかき回してみたが、みごとなまでに、ひと粒のご飯も入っていなかった。流動「食」というより流動「飲料」と呼びたい。
 が、
丼を持ち上げ、顔に近づけると、おお、ふわっと鼻を包む甘い香り。これぞ、ニッポンの主食、お米の澱粉質の香りだ。
 次いで、口の中に広がる生暖かさ。病院食だから、熱々というわけにはいかなかったが、舌に乗って、喉へ、食道へと順送りされていく。食べ物を口から摂取するという、当たり前の感覚が、よみがえった。
 胃腸までが早くも反応し、くるくると鳴っている。ひと口のお粥で、全身を貫く一本の管が、活動を再スタートしたような。

 食い意地の張った私は、退院後、絶食した分を取り返すかのごとく、あれこれの料理を味わったけれど、あの病院食のぬるく、水っぽいお粥は、忘れがたい一品である。 


 うまいなぁ、と感心したエッセイ。

(注)原文は一行あけなしに書かれている。「起承転結」をわかりやすくするために一行あけた。

 エッセイを成り立たせている文章を三種類に分けてとらえると、
 1、枠組みの文→時間・場所、人物・物の紹介。
 2、描写→さらに具体的に、詳しく書き込む。
 3、セリフ→「 」( )でくくるような話し言葉、独り言。
 書くときの自分の意識として、この三種類を意識しながらはたらかせています。
 書く上で、「この文章は、今、どのはたらきをしているか」「このへんで、こういう役割をする文章を入れておく方がいい」などと考えながら配置していますが、その、はたらき、役割によって整理してみれば、この三つになるというものです。(岸本葉子)

 青色→枠組みの文 
 黒色→描写 
 赤色→セリフ