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「僕が色気を感じるとき」 その4 林 望 

2015年10月18日 00時06分55秒 | エッセイ(模範)
 リンボウ先生から「女たちへ! 」  林 望  小学館文庫 2005年

 「僕が色気を感じるとき」 その4

 私の感じる形而上的な色気は、まず何はともわれ「品格ある話し方」である。いかに億万長者であろうとも、巴里の社交界でちやほやされようとも、あのナニガシ婦人に、私がまるっきり色気を感じないのは、彼女の言葉遣いが余りにも下品だからである。
 反対に、たとえばNHKの道傳愛子さんと話していると、心がへなへなとなるような色気を感じるのは、彼女の言葉遣いが天女のように上品だからである。
 また「飾らない素直さ」ということも形而上的色気の重要な要素である。
 いかにスイスの花嫁学校を卒業し、「ハイソな暮らし」に彩られていようとも、そのハイソ評論家なる女史に一切の色気を感じないのは、この人の態度の背後に、いたずらに背伸びして上品ぼっている哀しさが見え透いてしまっているからである。
 反対に、まるで素顔で、歯に衣着せずに物を言い、お世辞もお上手もないけれど中山千夏さんに爽やかな色気を感じるのは、彼女の態度がまったく背伸びのない等身大の自然だからである。
 同じ一度きりの人生、虚飾の色気で下らない男の気を引くのが幸福か、正々堂々虚飾を排し、品格ある暮らしをして、上等の男を得るのが幸福か。分かれ目はここのところである。