「無名の人生」 その1 渡辺 京二 文春新書 2014年
序 人間、死ぬからおもしろい その1 P-8
だいぶ長生きしてしまいました。もうすぐ80代もなかばです。
いつ80を越したのか。たしかに60までは「ああ、ここまで来たか」と自覚があった。けれども、60から一足飛びに80になったような気がします。いつの間に70代をすっとばして80を越したのか。それでも、もう少し生きていたい。
考えてみると、友は死んでゆくし、周りは知らない人ばかりになりました。かといって、友が生きているときも、ほとんど行き来しなくなっていた。若いときとちがって、年を取るとあまり出歩かなし、もう相手のことも分かっている。いかに親しい友であっても、お互いにしゃべることはしゃべり尽くしたし、新しいことは何もない。退屈だ。人間というのは、「この人はどういう人かな」「え、こんな一面もあったのか」そこに好奇心が湧き、感動が生まれて付き合いをするものです。
しかし、私はちょっと長生きしたものだから、2、3歳年上の人間はすでに死んでしまっています。ずっと若くて死んだのも多い。仮に彼らが生きていたとしても、ほとんど行き来がないから、死んでいるのと同じなのです。
結局、これ以上長生きしても何も変わらない。この状況はどこかで打ち切ったほうがいい。それが「死」というものなのでしょう。しかし、そうは思っても、まだいきることに執着もあります。
序 人間、死ぬからおもしろい その1 P-8
だいぶ長生きしてしまいました。もうすぐ80代もなかばです。
いつ80を越したのか。たしかに60までは「ああ、ここまで来たか」と自覚があった。けれども、60から一足飛びに80になったような気がします。いつの間に70代をすっとばして80を越したのか。それでも、もう少し生きていたい。
考えてみると、友は死んでゆくし、周りは知らない人ばかりになりました。かといって、友が生きているときも、ほとんど行き来しなくなっていた。若いときとちがって、年を取るとあまり出歩かなし、もう相手のことも分かっている。いかに親しい友であっても、お互いにしゃべることはしゃべり尽くしたし、新しいことは何もない。退屈だ。人間というのは、「この人はどういう人かな」「え、こんな一面もあったのか」そこに好奇心が湧き、感動が生まれて付き合いをするものです。
しかし、私はちょっと長生きしたものだから、2、3歳年上の人間はすでに死んでしまっています。ずっと若くて死んだのも多い。仮に彼らが生きていたとしても、ほとんど行き来がないから、死んでいるのと同じなのです。
結局、これ以上長生きしても何も変わらない。この状況はどこかで打ち切ったほうがいい。それが「死」というものなのでしょう。しかし、そうは思っても、まだいきることに執着もあります。