「無名の人生」 その4 渡辺 京二 文春新書 2014年
序 人間、死ぬからおもしろい その4 P-12
江戸中期の大阪に「小西来山」という文人がいました。彼は「来山はうまれた咎で死ぬる也 それでうらみも何もかもなし」という辞世の句を遺しています。「来山は生まれた罪で死ぬんですよ、それで恨みもなにもありません」と。生まれてこなければ死なないのだから、死ぬのは当たり前であって、死にそうとか死にたくないとか思い悩むことはない、というのです。まったくその通りです。
だけれども、禅の「悟達」のように悟って、それで良しとするのも何かちがう気がします。「人間は生まれてきたから死ぬ。それだけのことだ。と達観するのは、生への執着も抱きながらいつか死を迎えるという、人生の最も厄介なところを避けているように思えるからです。
達観などできないのが、ふつうの人間でしょう。
序 人間、死ぬからおもしろい その4 P-12
江戸中期の大阪に「小西来山」という文人がいました。彼は「来山はうまれた咎で死ぬる也 それでうらみも何もかもなし」という辞世の句を遺しています。「来山は生まれた罪で死ぬんですよ、それで恨みもなにもありません」と。生まれてこなければ死なないのだから、死ぬのは当たり前であって、死にそうとか死にたくないとか思い悩むことはない、というのです。まったくその通りです。
だけれども、禅の「悟達」のように悟って、それで良しとするのも何かちがう気がします。「人間は生まれてきたから死ぬ。それだけのことだ。と達観するのは、生への執着も抱きながらいつか死を迎えるという、人生の最も厄介なところを避けているように思えるからです。
達観などできないのが、ふつうの人間でしょう。