「桜もさよならも日本語」 丸谷 才一 新潮文庫 1989年(平成元年) 1986年刊行
Ⅰ 国語教科書を読む
3、完全な五十音図を教へよう
(前略)教科書に完全な五十音図が載ってゐないのは不思議である。これこそは日本語の基礎なのに。
もちろんどの教科書も、一、二年用の巻末には、『ひらがな五十音』とか『カタカナノヒョウ』とか載せてゐるが、ヤ行とワ行がをかしい。
や (い) ゆ (え) よ
わ (い)(う)(え) を
ヤ (イ) ユ (ヱ) ヨ
ワ (イ)(ウ)(エ) ヲ
となつてゐるのだ。
や い ゆ え よ
わ ゐ う ゑ を
ヤ イ ユ エ ヨ
ワ ヰ ウ ヱ ヲ
でなければならないのに、さういふ本式の五十音図は教へてゐない。(中略)
日本語は五十音図に従って動いてゐるし、あるいは、その動き具合をきれいに秩序づけたのが五十音図であつた。
さういふ大事なものなのに、最初に嘘を教へるのは間違ってゐる。まづ贋の五十音図をかかげ、いつかそのうち正しい五十音図を教へようといふのは、二度手間である。そんな面倒なことはよすほうがいい。さしあたり使はない仮名がはいつてゐるものを小学一年の本に出すのは不親切だ、なんて反対する人がゐるかもしれないが、わたしは今のやり方は親切ごかしにさへなつてゐないと思ふ。
中略
しかし一つだけ、正しい五十音図をかかげてゐる小学一年用の教科書がある。安野光雅、大岡信(まこと)、谷川俊太郎、松井直(ただし)の『にほんご』(福音館書店)である。これは文部省学習指導要領にとらわれない、小学校一年生のための国語教科書を想定したもので、つまり実物をつきつけての教科書批判である。上質の日本語と言ひ、きれいな絵と言ひ、美点はおびただしいが、大きく紙面を使つた平仮名五十音図はその一つ。もちろんカツコなんかついてゐない。「いろんな いいかたをして あそぼう。しぜんに うたみたいに なってくるよ」とはじめに誘ひかける。そしてワ行の上には、(ゐ)(ゑ)は いまでは ふつう つかわない もじ。でも おぼえておこう」。
Ⅰ 国語教科書を読む
3、完全な五十音図を教へよう
(前略)教科書に完全な五十音図が載ってゐないのは不思議である。これこそは日本語の基礎なのに。
もちろんどの教科書も、一、二年用の巻末には、『ひらがな五十音』とか『カタカナノヒョウ』とか載せてゐるが、ヤ行とワ行がをかしい。
や (い) ゆ (え) よ
わ (い)(う)(え) を
ヤ (イ) ユ (ヱ) ヨ
ワ (イ)(ウ)(エ) ヲ
となつてゐるのだ。
や い ゆ え よ
わ ゐ う ゑ を
ヤ イ ユ エ ヨ
ワ ヰ ウ ヱ ヲ
でなければならないのに、さういふ本式の五十音図は教へてゐない。(中略)
日本語は五十音図に従って動いてゐるし、あるいは、その動き具合をきれいに秩序づけたのが五十音図であつた。
さういふ大事なものなのに、最初に嘘を教へるのは間違ってゐる。まづ贋の五十音図をかかげ、いつかそのうち正しい五十音図を教へようといふのは、二度手間である。そんな面倒なことはよすほうがいい。さしあたり使はない仮名がはいつてゐるものを小学一年の本に出すのは不親切だ、なんて反対する人がゐるかもしれないが、わたしは今のやり方は親切ごかしにさへなつてゐないと思ふ。
中略
しかし一つだけ、正しい五十音図をかかげてゐる小学一年用の教科書がある。安野光雅、大岡信(まこと)、谷川俊太郎、松井直(ただし)の『にほんご』(福音館書店)である。これは文部省学習指導要領にとらわれない、小学校一年生のための国語教科書を想定したもので、つまり実物をつきつけての教科書批判である。上質の日本語と言ひ、きれいな絵と言ひ、美点はおびただしいが、大きく紙面を使つた平仮名五十音図はその一つ。もちろんカツコなんかついてゐない。「いろんな いいかたをして あそぼう。しぜんに うたみたいに なってくるよ」とはじめに誘ひかける。そしてワ行の上には、(ゐ)(ゑ)は いまでは ふつう つかわない もじ。でも おぼえておこう」。
今年も残り10日ほどとなりましたね。
最近はおはなしからすっかり遠ざかってしまいましたが、娘と図書館で聞いて、楽しんでいます。
福音館書店から出ている『にほんご』は
私の好きな本です。
この本は日本語を聞いて楽しむ本だと思います。
小学校の国語は読み書きに重点が置かれていますが、
この本(教科書?)は読んでもらい、聞くことに重点が置かれているんです。
今、書庫(クローゼット)にあるのですが、久しぶりに開いて読みたくなりました。
作り手のこだわりや、子どもたちにどんなふうに日本語に触れてほしいかが、よ~く伝わってくる本なので、
akiraさんもぜひ読んでみてください!
この『にほんご』という本、知っているというだけで驚きなのに、持っているなんてさらに驚きです。
「桜もさよならも日本語」は半年くらい前に読んで、そのとき『にほんご』に興味をもって図書館で借りたのは覚えているけれど、五十音図を確認したくらいで、じっくり読んだとはいえません。
MAYUさんのおすすめならもう一度読んでみようかな。
読み聞かせはいま活動休止状態です。
民話も会には入っているけれど、以前ほど積極的になれないでいます。
代わりにやっているのが朗読、半年位前に朗読教室に月に二回行っています。
朗読をやってみて、語りとどんなところが違うと感じますか?
私は年に1回、友人の朗読発表会へ足を運ぶのですが、
一般的な朗読とはちょっと違って、感情を込めて読む「表現読み」というやり方で、文学作品を読まれていました。
好みが分かれるかもしれませんが
『朗読の教科書』という本を出版されている、渡辺知明さんの読み方を、試しに聞いてみるといいですよ!
「【別館】表現よみ作品集」で検索してみると、朗読(?)を聞けると思います。
ちなみに、「ゐ」と「ゑ」の件ですが、今日息子と百人一首で遊んだ時に、「ゐ」と「ゑ」が出てきました。
息子は「ゐ」と「ゑ」の読み方を知っていたので、もしかしたら『にほんご』に出てきたのを覚えていたのかな?と思いましたよ。
最初に感じたのは、朗読は語りと違って暗記しなくてすむので、
楽、ハードルが低いということですね。
極端な話、原稿を渡されてすぐできる。
もちろん、上手、下手は別にしてですよ。
渡辺知明さんは会ったことがあります。
一年ほど前に車で一時間くらいのところにある本屋で、
「朗読の教科書」をテキストにした二時間の講座があって、
出不精の私にしては珍しく、出かけて行ったんです。
その時、本も買いました。
youtubeにアップしている講演や朗読の動画も見ています。
渡辺知明さんは最近「文章添削の教科書」という本も出版して、
これも、エッセイをやってる私としては、
こんなタイトルの本は買うしかないと購入しました。
『朗読の教科書』はずっとほしいと思いながらも、現物を見たことがないので(紀伊国屋本店にも置いていない)、まだ買っていないんです。
akiraさん、ぜひ読んだ感想を聞かせてください。
どんな視点で書かれているのか、気になっています。
『文章添削の教科書』は私も持っているのですが、
いいことが書いてあるのに、使いこなせていないです。
通信で添削やってもらいたいなぁと、密かに思っています。
授業で使うテキストという位置づけなのかな。
(そういう意味じゃ「文章添削の教科書」も同じですね)
指導してくれる先生がいることが前提で、
ひとりで読んでいくのには、ちょっと無理があるような、
相当なエネルギーが必要のようです。
つまり、これらの本は読む本ではなくて、
一通りどんなことが書いてあるのか頭に入れておいて、
折に触れて、必要なときに、引っ張り出して確認する、参考にする。
そんな使い方をする本じゃないのかな。
前に読んだときは独学だったので途中で挫折したけれど、
今はわからないことがあれば聞ける先生がいるので、
違った読み方(使い方)ができるかもしれない。
もう一度めくってみようと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
勉強は一人で本を読んでいるだけでなく、
教えてもらったり、実践してみることが大事ですよね。
私自身も、読み聞かせのことを本で勉強していた頃よりも、
我が子や学校の子どもたちの前で読むようになってからのほうが、
しみじみとわかることが多くなりました。
今までは読み聞かせをしていて、疑問に思ったことなどを、
相談する機会があまりなかったのですが、
今年は図書館でもボラを始めるので、
読み聞かせボラの勉強会などで疑問や質問について、相談をすることができそうです。
(小学校では勉強会がありませんが、図書館だと勉強会があるので)
そういえば、学生時代はどうしてもわからないことに関しては、
指導教授に相談していました。
いいヒントをいただき、そこから視野が広がっていったのを、今もよく覚えています。
akiraさんとは学ぶ分野は少し違いますが、
共通するところや、参考になるところがとても多いので、
大学のゼミ友のような感覚です。
今年もお互い勉強していきましょう!
今年もよろしくお願いします。
独学について、いろいろ考えることがあります。
実は、私は若いころギター教室の先生をやっていたことがあるんです。
コンビニの深夜店長をやりながら頑張ってみたけれど、
思うように生徒は集まらず、3年で教室をやめました。
それから20年まったくギターを弾かない時期があったけれど、
15年くらい前にまた弾くようになりました。
ここのところギターは生活の中心で、
ギターを弾いていてよかったという喜びをかみしめています。
それで、いま私はギターを独学しています。
独学というのは自分が先生であり、生徒である状態です。
先生は生徒の10倍の力量が必要とされるといいます。
その点からいっても、独学はしょせん無理なんじゃないか、と思っています。
ほんとうは先生について学ぶのがいいのだけれど、
経済的、時間的、距離的、年齢的などの理由で難かしいです。
ただ独学にも、オリジナリティ(独創性)とか、
いくらかのプラス要素があるので、それを自分に言い聞かせて、
先生になったり、生徒になったり、いろいろ試行錯誤してギターを弾いています。
>akiraさんとは学ぶ分野は少し違いますが、
共通するところや、参考になるところがとても多いので、
大学のゼミ友のような感覚です。
嬉しい言葉で励みになります。
一緒に頑張っていけたらいいですね。
お二人とも、私が面識あるとは驚きでした。
『文章添削の教科書』も『朗読の教科書』も
どちらのことについても、講座があります。
わたしはクロマチックハーモニカを独学してます。
また、質問などありましたらお知らせください。
使いこなせすのは大変だけれど、じっくりとつきあおうと思っています。
わたしもギターをやっていて、
「朗読は演奏である」と幸田弘子さんが言っているのを知ったのが、朗読を始めるきっかけでした。