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「無名の人生」 その1 渡辺 京二

2018年01月29日 00時29分52秒 | 生活信条
 「無名の人生」 その1 渡辺 京二  文春新書 2014年

 序 人間、死ぬからおもしろい その1 P-8

 だいぶ長生きしてしまいました。もうすぐ80代もなかばです。
 いつ80を越したのか。たしかに60までは「ああ、ここまで来たか」と自覚があった。けれども、60から一足飛びに80になったような気がします。いつの間に70代をすっとばして80を越したのか。それでも、もう少し生きていたい。
 
 考えてみると、友は死んでゆくし、周りは知らない人ばかりになりました。かといって、友が生きているときも、ほとんど行き来しなくなっていた。若いときとちがって、年を取るとあまり出歩かなし、もう相手のことも分かっている。いかに親しい友であっても、お互いにしゃべることはしゃべり尽くしたし、新しいことは何もない。退屈だ。人間というのは、「この人はどういう人かな」「え、こんな一面もあったのか」そこに好奇心が湧き、感動が生まれて付き合いをするものです。

 しかし、私はちょっと長生きしたものだから、2、3歳年上の人間はすでに死んでしまっています。ずっと若くて死んだのも多い。仮に彼らが生きていたとしても、ほとんど行き来がないから、死んでいるのと同じなのです。
 結局、これ以上長生きしても何も変わらない。この状況はどこかで打ち切ったほうがいい。それが「死」というものなのでしょう。しかし、そうは思っても、まだいきることに執着もあります。

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