民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「笠原政雄さん」 森野 郁子

2012年06月11日 10時48分02秒 | 民話(語り)について
 「日本の民話 5」 甲信越  解説 森野 郁子

 笠原さんは 150話もの話を語れるという 日本でも数少ない話者のひとりで、
たとえば「かっこう」と言うと スラスラとかっこうの話が 口からとびでるのだそうです。

 お話は おもに母上から聞いたそうですが、母上は 笠原さんが男の子だというので、
あわれっぽい話よりは おもしろい恐ろしい、そして いさましい話を笠原さんには語ってくれたそうです。

 私たちに語ってくださったお話のひとつひとつに 笠原さんの人生観がこめられており、
話がおわってから 必ず彼自身の言葉が続きました。
そして「自分が昔話を語るのは自分の親がどう考え、思っていたのかをさぐるためだ」と言われました。

 私たちがテープを聞いていてどうしてもわからなかった方言も、
お顔を見ながら お話を聞いていると 不思議とわかってくるものなのです。

中略

 笠原さんも楽しそうにその「やがもご やがもご」を語っていて、
「方言のままの昔話は、子どもにも大人にも語ることができる」と言われました。
方言で語られてこそ、昔話はいきてくるのだと思います。

中略

 笠原さんが お孫さんに「さるかに合戦」を語ってあげているところをまのあたりに見たとき、
それまで 私たちに語ってくれたときのとはまた違った豊かな表情、身振り手振りに気がつきました。
笠原さんのすばらしいその表情と語りを 読者の皆さんに 直接ごらんにいれられないのが残念です。
笠原さんがお孫さんにゆっくりゆっくり語ると、お孫さんはそれに声をあわせて、
一字一句まちがえずに、「さるかに合戦」を楽しそうに唱えていきました。
なんべんもくりかえし聞いているそうで、お孫さんの語り口は、笠原さんの語り口とそっくりでした。
まさにこれが昔話の伝承のされ方なのだと思いました。

 そしてそのとき、こう思ったのです。
おじいちゃんと孫、人間と人間との「関係」がこうやってつくられていくのだなあと。
 そんなところにも昔話の大きな魅力を感じるのです。 

「再話について」 松谷 みよ子

2012年06月10日 00時09分53秒 | 民話(語り)について
 松谷みよ子----私が民話を再話する時に注意すること---

 もしナタで削るか、細かい彫刻刀を使うかという方法があるとすれば、私はナタで削りたい。
一番、大切なテーマを 大まかに削っていきたいと思う。
彫刻刀は美しく整うかもしれないけど、あまり部分にとらわれると、
何を言ってるのかわからなくなり、表現ばかりが浮いてきかねない。

 また余計なことは綿々と書かない。
そこを語り残してこそ 人生について思いを馳せる楽しみがあるのに、
書き手のイメージを押し付けるように、
これでもかこれでもかと書き加えていく再話は好きでない。

 民話には、呼吸や息づかいが必要だと思う。
文学にしてしまってはいけないと思うのである。
あまりに追求しすぎ、艶布巾で磨き上げた作品には 飽きがくるのではないかしら。

 村々の老人の語り口そのままを記録した再話集が いつまでも新鮮なのに比べ、
ともすれば再話がつまらなく、色あせてくることが多いように思うのは、私のひがみだろうか。

 それは畑の菜を露も泥もつけたまま掘り起こしたものと、八百屋の店頭に、
いやデパートの食品売り場に、ポリエチレンの袋に包まれ、
清浄無垢な顔で並んでいる菜との違いのようでもある。
綺麗だけれども生気がなく、少しするとしなびてくる。
そうではないもの、まだ露も泥も残っているままで、ただ虫食いの葉はとってある、
そんなみずみずしさと未完成さが、むしろ再話には必要かと思う。

 ということは、呼吸や息づかいの残る文体ということも含まれるのであって、
文学にしようと必死で取り組んだあとが残ってはいけないのではないだろうか。

 民話の本質が「語る」ということにある以上、語りには書き直しはできないのだから、
語り始める以前の呼吸に、すでにたっぷりとしたよい語りになるか、
気の進まない語り方になるかの違いがある。

 文章化する場合も、その一息に語り始めるだけの充実感がものをいうのではないだろうか。

「草 刈った」 リメイク by akira

2012年06月09日 01時05分05秒 | 民話(リメイク by akira)
 草 刈った(ライブバージョン)

 今日は、小話 やっかんな。(ワーイ)

 これは じいちゃんが 酔っ払って 機嫌がいい時に、よくやってくれたハナシだ。(フント)
題は 一応 あっけどな、言っちまうと オチがわかっちまうかんな、・・・言わねぇ。(フント)
 あっ、もう わかっちまったか。(フント)
んだ、「草 刈った」って、ハナシだ。(フントコショ)

 むかし、あるところに、じさまと ばさまが いたと。(フント)

 ある日、じさまは「よっこら よっこら」 山へ 柴刈りに、(フント)
ばさまは「どっこら どっこら」 川へ 洗濯に 行ったと。(フントコショ)

 ばさまが 川で 洗濯してっと、(フント)
「どんぶらこっこ すっこっこ、どんぶらこっこ すっこっこ」って、(フント)
川の上から なんか 流れてきたと。(フント)

(ここまでは 桃太郎 と一緒だな)

「あれっ、なんだんべ」って、見てると、でっけぇ サツマイモが 流れてきたと。(フント)
「おや おや、うんまそうなイモだこと。・・・持って帰って、じさまと 食うべ」って、(フント)
ばさまは「ほいさか ほいさか」って、うちへ 帰ったと。(フントコショ)

(そのイモ、どんくらい でかかったか っていうと、 
ばさまが 肩にかついで 持って来るほどだったと。・・・どうだ、でかかったんべ) 



うちへ 帰っと、さっそく 落ち葉を集めて 焼きイモにしたと。(フント)

(あんまり でかかったんで なべに 入(は)いんなかったかんな)

焼きあがっと いいにおいがしてな、(フント)
じさまが帰ってきたら 一緒に 食うべ って、思ってたのに、(フント)
ばさま、待ちきれなくなって、ちょっとだけなら いかんべ って、食ってみっと、(フント)
これが なんとも うんまいイモで、(フント)
ばさま、もうちょっと、もうちょっと って、食っているうちに、(フント)
とうとう 全部 食っちまったと。(フントコショ)

 さぁー、それからが大変だ。(フント)
イモ食うと 出るもの あんべ。・・・そう そう、屁(へ)、屁(へ)が出んべ。(フント)
ばさま、最初は もじもじ ガマンしてたっけど、(フント)
とうとう ガマンできなくなっちまって、(フント)
「ぶっ!」って、やっちまった。(フントコショ)

 そしたら もう 止まんねぇ。(フント)
そりゃ、そうだ、あんだけ でっけぇイモ 食ったんだもんな。(フント)
「ぶっ!」って、やっちゃ、前につんのめり、(フント)
「ぶっ!」って、やっちゃ、前につんのめり、(フント)
まるで 蒸気機関車みてぇだったと。(フントコショ)

 んで、においも また 強烈でな。(フント)
そのにおいは もやもやと じさまのいる 山にも 届いてな、(フント)
「んへぇー、くせぇー」って、じさま 鼻つまんでな、(フント)
じさま 山へ 柴刈りに 行ったのに、(フント)
柴 刈んねぇで、草 刈った、とさ。(フントコショ)

 おしまい

「赤い髪の娘」 リメイク by akira

2012年06月07日 00時51分32秒 | 民話(リメイク by akira)
 赤い髪の娘  元ネタ「無邪気な大人のための残酷な愛の物語」 西本 鶏介

 今日は「赤い髪の娘」ってハナシ やっかんな。
蛇が 出てくるハナシだから、蛇が キライな人は 気をつけてね。
いつもは ばぁちゃんから 聞いたハナシだけど、今日は オレが 本で覚えたハナシだ。
つっかかっかもしんねぇけど、ガマンして 聞いてくれや。

 むかしのことだ。
 ある山ん中に、どんよりとした 沼が あったと。
その沼の奥には ほら穴があって、無数の 蛇が棲(す)んでるという うわさだったと。
そんなわけで、地元のもんは 誰も 近づくもんは いなかったと。

 そんな沼が近くにある 小さな村に、一人の いとしげな 娘が おったと。
この娘は 器量は 申し分なかったんだけんど、どういうわけか 生まれつき、髪の毛が 赤かったと。
(どうして、私の髪 だけが こんなに 赤いの・・・)
娘は 他の女の 黒々とした 髪を見るたびに、自分の 赤い髪を うらめしそうに 見つめたと。

 やがて、娘は 恋に落ち、男も その愛を 受け入れて くれたと。
娘は 初めての恋に 胸をふるわせ、寝ても覚めても、男のことが 頭から 離れなかったと。
それと同時に、ひとつの不安も 頭から 離れなかったと。
(この赤い髪のせいで、男が 心変わりを するようなことがあったら・・・)
娘は 不安そうに 自分の赤い髪を 見つめたと。

 そんな ある日、娘の不安は 現実のものと なってしまったと。
突然、娘は 男から 別れ話を 持ち出されたと。
「オレたち そろそろ 終わりにすんべ」
「私、あなたがいなきゃ 生きてゆけない」
娘は 男の胸にすがって 泣いたと。
 だが、男の心は もう すっかり 娘から 離れていたと。
男には 村一番の長者の ひとり娘という 新しい女が できていたと。

 なかなか ウンと言わない娘に 業を煮やして、男は ついに 最後の言葉を 吐いたと。
「おらぁ、おめぇの その 赤い髪が ガマンできなくなっちまっただ」
娘は からだを震(ふる)わせて 泣いたと。
(あんたのためだったら どんなことだってできる。
だけど、この 生まれつきの 赤い髪を どうしろって いうの)
 
 やがて 娘は、男が 新しい女と 一緒にいるところを 目にするように なったと。
女は 黒髪がきれいと 評判の 女で あったと。
女は つきまとう娘を からかうように 言ったと。
「あの 蛇がいるという うわさの沼で 髪を洗うと 黒く なるそうな。・・・
私の この黒髪も そのおかげで、・・・ほら、こんなに、・・・」
 女は 娘の前で 自慢げに 髪を揺らしたと。

 次の日、娘は 蛇がいるという うわさの沼へ 髪を洗いに 行ったと。
「この赤い髪が 黒くなりますように・・・」
それから 娘は 毎日、一日に三度、沼へ 通い続けたと。

 やがて、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が やって来たと。
水は すっかり 冷たくなり、しもやけで はれあがった指は、ちぎれるように痛み、
頭(あたま)は 無数の 刃(やいば)が 突き刺さるようで あったと。
 それでも、娘は その沼で 髪を洗うことを やめなかったと。
(この赤い髪さえ 黒くなってくれたら・・・)
娘は どんなつらさにも 耐えたと。

 だが、娘の髪は 一向に 黒くは ならなかったと。
それどころか、すっかり 油っ気もなくなって、パサパサの髪に なっていったと。
(まだ 洗い方が 足りないのかもしれない)
娘は 一心不乱に 髪を 洗い続けたと。

 そんな ある日、娘は 聞いてしまったと。
(おい、見たか、あのパサパサ頭を。・・・ばかな女も いたもんだ。・・・
女のうそを 真に受けて、あの蛇がいるという うわさの沼で 髪を洗うとは・・・
あれじゃ 黒くなるどころか、全部 抜けちまうんじゃねぇのか)

 だまされた と 気がついた娘は、出刃包丁をつかむと、表に飛び出したと。
(二人を刺し殺して、自分も死のう)
 だが、二人を 捜しまわっているうち、娘は 次第に 冷静さを 取り戻していったと。
(恋しい男を どうして 殺すことができよう)
 気がつくと、娘は いつのまにか あの沼に 来ていたと。
(あの 女がにくい、・・・私の男を奪った あの 女がにくい)
 どんよりとした 水面(みなも)を見ていると、ほら穴の奥で ふたつの目が 妖しく 光ったと。
娘は その目に 引き寄せられ、長いこと 見つめあいが 続いたと。

 やがて、娘は 意を決したかのように、髪をつかみ 包丁で その髪を切ると、
力一杯、沼に 投げ入れたと。
髪は ゆらゆらと 沈んでいったと。
かと思うと、突然、水面が ざわめきだし、無数の 蛇が バシャバシャと 踊り出てきたと。
なんと、髪の毛の 一本 一本が 蛇に 姿を変えたと。

 誘われるように、娘は 水の中へ 入って 行ったと。
そして、静かに からだを 浮かべると、無数の 蛇が 娘にからみつき、
ほら穴の 奥深くへと 連れていったと。

 それから、しばらくして、その沼に 女の水死体が 浮かんでいたと。
そして、女の自慢の黒髪は まるで血のような まっ赤な髪に 変わっていたと。

 おしまい。