民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「生活を記す学問の可能性」 安藤礼二

2014年03月21日 00時07分17秒 | 民話の背景(民俗)
 「宮本常一」 逸脱の民俗学者 岩田 重則 著

 「生活を記す学問の可能性」 安藤礼二(文芸評論家)  

 本書は、近年再評価が著しい宮本常一の生涯と思想を、貴重な第一次資料に基づきながら概説し、
現在でも色褪(いろあ)せないその可能性を浮き彫りにした労作である。
著者は言う。クロポトキンの『相互扶助論』を読むことから始まった宮本の学問は、
柳田國男の民俗学からも渋沢敬三の民具学からも「逸脱」していた。
「逸脱」はプラスの意味を持っている。
宮本は、客観性を条件とする通常の学問では許されない主観的な記述を決して排除することなく、
人々の「生活誌」を描き続けた。

 宮本は常に「私」から語った。
だからこそ、宮本は繰り返し「故郷」周防大島に還(かえ)っていったのである。
そこには学問の抽象化と体系化に抗(あらが)う人々の生活があった。
無数の島々からなる列島に移り住んだ人々は海と山を生活の場とし、
自然の資源を有機的に活用することで生活を成り立たせていた。
「定着」以前に「漂泊」があり、「稲作」以前に「畑作」があり、漁撈(ぎょろう)と狩猟があった。「民具」はそうした生活全体の中から捉え直される必要がある。
宮本は、柳田民俗学と渋沢民具学を内側から食い破ってしまったのだ。

 「生活誌」を根幹に据えた宮本の学問を、著者は複眼的な視点からなる「総合社会史」とし、
こう記す。
「総合社会史としての畑作農耕文化の把握は、
たとえば、柳田國男がそうであったような稲作単一農耕文化論の日本文化論に対して、
狩猟・畑作農耕文化を対照的に示すとともに、
さらには、農業以外の漂泊民文化、漁業文化をも提示することにより、
複合文化論(多元的文化論)としての日本文化論をおのずと提出することにもなっていく」

 もちろんその過程で、戦争中の宮本の発言が「大日本帝国」を根底から支えた
「根深い次元からの保守主義」に基づいていることを著者は見逃していない。
農村の現実と直結した独自の保守思想を徹底することが戦後の創造的な見解につながっていった。
歴史の暗部をも見据えたフェアな評伝である。

「逸脱の骨太な学究の実像」 野本 寛一

2014年03月19日 00時29分47秒 | 民話の背景(民俗)
 「宮本常一」 岩田 重則 著 河出書房新社   下野新聞 書評 2013年10月13日(日)

 「逸脱の骨太な学究の実像」 野本 寛一(近畿大学名誉教授)

 本書は宮本常一(つねいち)の実像を描き出すことに成功した本格的な評伝である。
サブタイトルに「逸脱の民俗学者」とある。
いったい宮本は何から逸脱したというのか・・・。

 調査項目に縛られた「民族誌」ではなく、自らの生活体験の延長線上にある「生活誌」を宮本は重視した。
地域社会から民俗学的事象だけを切り取って整理する流れに対して承服しなかった。
ここに柳田国男の民俗学からの逸脱があると本書はみる。
 また、民具を生活の場から抽出し、社会的・生活的要素との有機的関連を切り離して資料化した
渋沢敬三系の民具学からの逸脱も指摘する。

 中略

 逸脱を重ねた宮本の軌跡はいかなるもので、どこに到達したのか。
著者は宮本を、聞き書きや文献調査にとどまらず、社会経済史なども踏まえた「総合社会史学」を
完成させた「創造的人文科学者」と見定めている。

 宮本は、長く、深い旅を続けた。
そこからさまざまな伝承や人物像が流布している。
対して、著者は骨太な学究としての実像を浮き彫りにした。

 それができた背景には、著者の粘り強い探求と、ぶれない軸で、関連文献はもとより、
宮本の書き残した文章を細大漏らさず徹底的に分析したことがある。
そして著者自身の近現代史研究・民俗学研究の蓄積が底に流れている。
生活者のまなざしを大切にした宮本の思考こそ、混迷を深めるこの国の現況に必要だと考えさせる一冊だ。

「papa’s絵本」 安藤哲也

2014年03月17日 11時47分07秒 | 民話(語り)について
 「papa’s絵本」 読み聞かせにピッタリ キレない子どもを育てる 安藤哲也 著 小学館

 「おわりに」

 絵本とロックは、パパとキッズの最強のコミュニケーションツールだ。
静と動。
相反するが共通点はある。
それは「揺さぶられる」ということだ。

 「絵本は子どものもの」って思ったら大間違い。
オトナの胸にも刺さる絵本が実はたくさんあるのだ。
生き方を問われるほど強烈なメッセージを放つ絵本に出会ったとき、
ボクはビートルズやピンク・フロイドを初めて聴いたときの衝撃を思い出す。
そしてロックをかけながら、絵本から「感じたもの」を娘や息子と共有した。

 将来、FMから流れる音楽に反応し、
「この曲はパパが読んだ絵本のBGMだ!」と気づいてくれたらうれしい。
絵本を媒介として伝えたパパの「ロックな想い」とともに。

「宮本武蔵」 吉川 英治

2014年03月15日 00時31分59秒 | 名文(規範)
 「宮本武蔵」  吉川 英治

 「(略)―――いざ来いっ、武蔵!」
 いい放った言葉の下に、巌流は、鐺(こじり)を背に高く上げて、小脇に持っていた大刀物干竿を、
ぱっと抜き放つと一緒に、左の手に残った刀の鞘を、浪間へ、投げ捨てた。

 武蔵は、耳のないような顔をしていたが、彼の言葉が終わるのを待って―――そしてなお、
磯打ち返す波音の間(ま)を措(お)いてから―――相手の肺腑へ不意にいった。

「小次郎っ。負けたり!」
「なにっ」
「きょうの試合は、すでに勝負があった。汝の負けと見えたぞ」
「だまれっ。なにをもって」
「勝つ身であれば、なんで鞘を投げ捨てむ。―――鞘は、汝の天命を投げ捨てた」
「うぬ。たわ言を」
「惜しや、小次郎、散るか。はや散るをいそぐかっ」
「こ、来いッ」
「―――おおっ」

 答えた。
 武蔵の足から、水音が起こった。
 巌流もひと足、浅瀬へざぶと踏みこんで、物干竿をふりかぶり、武蔵の真っ向へ―――と構えた。

「ラフカディオ・ハーン」 その3 牧野 陽子

2014年03月13日 00時24分32秒 | 民話の背景(民俗)
 「ラフカディオ・ハーン」 異文化体験の果てに  牧野 陽子 著  中公新書 1992年

 「祖国回帰の出来ない人々」 P-200

 前略

 ハーンの辿った異文化体験の軌跡は決してありふれたものではない。
生い立ち、資質、才能、時代、日本という場、様々な偶然の条件が重なって編み出された、
まさに一編のドラマといえる。

 だが、ひとり、外的条件は一致しないものの、同じく異文化体験の第三段階に至り、
似通った世界像に到達した人間がいる。
前章でも触れた、民芸運動の創始者、柳宗悦である。
『白樺』の一員として西洋の芸術思想を紹介していた柳は、
いわば一種の西洋離れとして李朝白磁論を著した。
だがそのために、それまでの日本観、ひいては世界観が崩れてしまうことになる。
現在では常識ながら当時はまだ一般的ではなかった認識、
つまり、古代日本の文化財はほとんど朝鮮渡来のものであるとの認識をえた時、
もはや、柳は祖国回帰する場を奪われ、日本人としてのアイデンティティを喪失したも同然だった。

 西洋文明との乖離に悩み、かつ日本回帰も果たせないその柳の見出した活路、
救いとして展開されたのが民芸論だった。
柳が民芸の美の最大要件として挙げるのは、無名の工人の手によって同じ品が作られてきたこと、
およびそれぞれの地方において昔からずっと繰り返し生産されてきたことの二点、
つまり、当人の熟練、また地方の伝統という二重の「時間」の蓄積である。
無名の陶工が無心にろくろを回す手を、一個人の手ではなく、類題の祖先の手であると述べた
『雑記の美』(昭和二年)冒頭の文章はよく知られているが、それはどことなくハーンの
「有機的記憶」の説を連想させる。
柳にとって各「地方」とは文化の空間的力関係とは無縁の場なのであり、
そういう各々固有の伝統をもつ小さな「地方民芸」が無数に点在して日本ひいては世界が
構成されると考えつつ、日本国中の民芸品を隈なく調査発掘して回ったのだった。

 ハーンと柳の最終的世界像はかくも類似している。
それは影響関係というより、同様の祖国回帰不能の結果、
必然的に至った思想的帰結と考えるべきだろう。
ハーンの怪談が日本の民話を題材にしつつも、日本でも西洋でもない不思議な空間を形成
しているがごとく、柳の収集した民芸品もまた、それぞれ個性的な地方色に彩られるべき品々が、
みなどこか相似た風貌を持っている。
柳の思想を最も忠実に具現したとされる浜田庄司の作品に端的に表れているように、
柳の民芸の真髄は抽象化された想念としての土臭さ、地方性にあるのである。
そこに、民芸運動が各地域個別の生産活動から離れ、一つの民芸「様式」に終わる必然性がある。

 ハーンと柳は、怪談や陶器といった具体的な対象に光をあてつつ、
その表層を突き抜けて形而上的思考に浸った。
二人にとって、大衆の生活に密着した民話も民芸品も、他者の無意識の領域に参入することで
自らの想念を未来へと伝達する場、手段としてこそ意味を持った。
そして両者の晩年の著述に共通する、ある透徹した響きは、
いわば祖国や異国なる実際の土地を遊離し、
抽象的な時間の遡行という精神作用のうちに自らを昇華しつつ、
西欧的近代を超克しようとした者の緊迫感に他ならない。