民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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樋口一葉「いやだ!」と云ふ  田中 優子 その5

2015年09月09日 00時19分23秒 | 古典
 樋口一葉「いやだ!」と云ふ  田中 優子(1952年生まれ) 集英社新書 2004年

 はじめに その5

 そう。一葉の文章は古文である。正確には擬古文という。すでに口語体小説が書かれていた時代に(といっても生まれて間もないが)、一葉は当時話していた話し言葉ではなく、古文を駆使して近代小説を書いた。小説にはかなり話し言葉が入っているが、自分のために書いていた日記は、まったくの古文である。一葉は古文でものを考えた人なのだ。
 一葉は歌人だった。学校を出てからは和歌の塾に通い、和歌を作っていたのである。和歌の修行で古典文学をたくさん読んでいたため、はじめは平安朝文学のような小説を書いた。しかし生活に困窮し、まみれ、目の前の現実に圧倒された。現実を見つめよう、現実から逃げるのはやめよう、と考えたかどうかは知らないが、一葉は江戸文学をてこにして、現実のただなかで書きはじめたのである。
 一葉は22歳のとき、明治27年の暮からたった1年のあいだに、それまでとはまったく異なる小説群を生み出した。そして次の年、明治29年にはほとんど書けなくなり、亡くなった。
 この本を書こうと思ったのは、一葉の一作一作に、「どう生きていけばよいのか」と、一葉自身が困惑し、問いかけ、「いやだ!」と幾度も現実を拒否し、しかし現実にとどまり、格闘する魂が見えたからだった。一葉の作品には、その魂の深みに引き込んでいく力がある。
 一葉は女性であるが、そのことはこの執筆には関係がない。一葉はむしろ、男か女か、という視線の向こうにいることを望んでいた。私も人間としての一葉に向き合いたいと思っている。


樋口一葉「いやだ!」と云ふ  田中 優子 その4

2015年09月07日 00時10分54秒 | 古典
 樋口一葉「いやだ!」と云ふ  田中 優子(1952年生まれ) 集英社新書 2004年

 はじめに その4

 2004年1月の芥川賞は19歳と20歳の女性が受賞したが、一葉は、113年前、やはり19歳で小説を書きはじめ、24歳で亡くなった女性である。今でいえば小学校しか卒業していない。15歳のとき兄を亡くし、代わりに家督相続人(あとつぎ)になった。17歳で父が負債をかかえたまま死去し、戸主となる。その後は生涯、母と妹を養う。そして貧しい暮らしから抜け出せないまま亡くなった。もちろん独身。婚約を破棄されたことがある。たった一回恋をしたがかなわず、片思いに終わった。小さな人だったという。借金ばかりして歩いていた人だった、という。
 小説は趣味で書いたのではない。救いのために書いたのでもない。母と妹を養うために書いたのである。そしてその、お金のために書いた小説は、近代小説の切り開く傑作と評価され、今まで膨大な一葉論が書かれてきた。
 私は近代文学から長らく遠ざかっていた。近世(江戸)文学を読み、古典を読み、江戸学全体が面白くて、近代に戻る気にはなれなかった。しかし一葉を読むたび思った。「これは近代小説なのだろうか?それとも古典なのだろうか?」
 学生たちは違う意味で同じ事を言った。「せんせい、こんな古文みたいなもの読む気になれない」「難しくて、わからない」「しようがないからこのあいだ、現代語訳を読んだ」「え?樋口一葉って女だったの!」

 樋口一葉「いやだ!」と云ふ  田中 優子 その3

2015年09月05日 00時10分01秒 | 古典
 樋口一葉「いやだ!」と云ふ  田中 優子(1952年生まれ) 集英社新書 2004年

 はじめに その3

 五つの代表作『大つごもり』『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』『わかれ道』の一部をのぞいてみよう。『たけくらべ』――「私は厭(い)やでしようがない」「厭や厭や、大人になるは厭やな事」。『にごりえ』――「ああ嫌だ嫌だ嫌だ。どうしたなら人の声も聞こえない、物の音もしない、静かな、静かな、自分の心も何もぼうつとして、物思ひのない処へ行かれるであらう。つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情ない悲しい心細い中に、何時(いつ)まで私は止められてゐるのかしら。これが一生か、一生がこれか、ああ嫌だ嫌だ」。『十三夜』――「どうでも厭やになった」「考へれば何も彼も悉皆(しつかい)厭やで、お客様を乗せやうが、空車(から)の時だらうが、嫌やとなると用捨なく嫌やになりまする」。『わかれ道』――「己れは厭やだ」「ああ詰まらない、面白くない、・・・一日一日嫌やな事ばかり降って来やがる」
 一葉作品の登場人物たちは、じっとうつむいて我慢したりしない。「いやだ!」と叫んで次へ行く。彼らは、一葉自身である。

樋口一葉「いやだ!」と云ふ  田中 優子 その2

2015年09月03日 00時25分04秒 | 古典
 樋口一葉「いやだ!」と云ふ  田中 優子(1952年生まれ) 集英社新書 2004年

 はじめに その2

 働き口がない、家族を養わなければならない、なぜかいつも結婚のチャンスを逃がす、借金がかさんでいる――つまり、今の言葉でいう「負け組」。これが樋口一葉だった。
 維新期、約40万人(家族を入れて約200万人)の武士がリストラされ、不馴れな職については事業に失敗したり人にだまされたりした――これは一葉の父親のことである。
 ヨーロッパ諸国は次々とアジアを占領し、日本は日清戦争に突入して朝鮮半島を占領下に置く。――これは、一葉がもっともいい作品を書きはじめた、明治27年(1894年)のことである。一葉が愛した唯一の男性半井桃水(なからいとうすい)は、子供のころから朝鮮に暮らし、たびたび朝鮮との間を往復した経験をもつ新聞記者であった。
 明治の話だ。しかし時代が変わっても、人間が生きる大変さは変わらない。とりわけ、時代の変転期には価値観がひっくりかえり、仕事の性質も経済構造も変化するが、人はなかなかそこに追いついてゆけない。樋口一葉の作品の登場人物たちは、突然、いやになる。そして「いやだ!」と叫ぶ。


樋口一葉「いやだ!」と云ふ  田中 優子 その1

2015年09月01日 00時02分25秒 | 古典
 樋口一葉「いやだ!」と云ふ  田中 優子(1952年生まれ) 集英社新書 2004年

 はじめに その1

 今、仕事が思うようにいかない。いい仕事についても厳しいノルマにさらされ、こなさなければリストラが待っている。ならば自力で生きよう、と思ってもなかなかヒットは生まれない。女性なら結婚で乗り切ろうと思うかもしれないが、専業主婦の危うさは、まわりを見回せばすぐにわかる。
 景気回復、という。しかし自分(自国)だけ豊かになろうとすれば、他の誰かを貧しくする。なによりも、これ以上むさぼるなら、すでに傷ついた地球がさらに壊れ、足下には洪水が押し寄せてくる。
 思わず「ああいやだ」と言いたくなる。それならいっそ大声で「いやだ!」と言ってしまおう。むさぼるのはもういやだ!別の生き方をしたい。
 戦争は終わらず、たいてい泥沼になる。ひとつ終われば、アメリカは次の戦争を始める。国際競争は間違いなく激化するが、「反戦」という言葉は「反テロ」とぶつかって、両方とも沈没している。「反~」は次の「反~」を生み出すだけなのだ。こんな時代は、「いやだ!」と叫んだほうがいいような気がする。テロはいやだ。戦争もいやだ。