標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

障害者週間に考える、人権を尊重するということ

2017-12-02 19:39:42 | 日記
明日12月3日から9日までは障害者週間だ。


そもそも1975年に「障害者の権利宣言」が国連総会で採択された日であり、国際障害者年を記念して、1981年11月28日に国際障害者年推進本部が12月9日を「障害者の日」とすることに決定した。その後、1993年11月に心身障害者対策基本法が障害者基本法に改められた際に、12月9日を「障害者の日」とすることが法律にも規定された。

一方、12月3日は、1982年に「障害者に関する世界行動計画」が国連総会で採択された日であり、これを記念して1992年に国連総会において、12月3日を「国際障害者デー」とすることが宣言された。
わが国では「国際障害者デー」である12月3日から我が国の「障害者の日」である12月9日までの1週間については、1995年に障害者施策推進本部が「障害者週間」とすることを決定した。

改めて障害者週間の制定過程をみたが、国際的にみるとわが国は常に後追い状態である。
障害者週間を迎えるたびにわが国の人権に関する活動の遅さ、不活発さを感ずる。

2003年3月まで、障害のある人が利用する福祉サービスの利用内容などはすべて行政が決定してた。これを措置制度という。障害のある人自らが決定するのではなく、行政が決めて、その援護を福祉事務所が行っていた。
それが2003年4月からは、障害のある人のサービスが、「支援費制度」となった。障害のある人が、サービスを提供する事業所を選択し、事業所との契約によって福祉サービスを利用する仕組み(利用契約制度)を取り入れた。
これにより、障害福祉サービスが、利用者主体へと移行することになった。

その後、支援費制度から障害者自立支援法(2005年)、さらに2013年に「障害者総合支援法」が成立した。

ところで、支援費制度の導入を経て、障害者自立支援法になった過程で、法律や省令の中から使われなくなった言葉がある。それは、「指導」という文言だ。措置制度時代は、障害者サービスのメインは身体障害者福祉法があった。随所に指導という言葉が使われ、行政が主導していた。主権が人でなく行政側にあった。

この構図は、今、話題の相撲界を彷彿させる。措置制度時代のことだが、例を挙げる。施設内では飲酒が禁止されていたが、飲酒してしまった訓練生がいた。施設側は、処分として一定期間の自宅謹慎処分を決めた。この施設の処分を実施機関である福祉事務所に通報し、福祉事務所職員がその訓練性を迎えに来たというエピソードがあったそうだ。
相撲界でいえば、問題を起こした力士を良否は別にして、親方が預かるいう図式だ。

果たして今の福祉サービスにおいても、サービスを利用している人の人権は保たれているのだろうか?

残念ながら、障害のある人や高齢者が利用するサービスにおいて、虐待など人権を無視した事件が起きている。

法律等の整備は徐々に発展してきている。しかし、現状は、必ずしも理念通りに進んでいない。障害者週間を機に、サービスを運営する上で、何にも増して人権を尊重し、守るという理念を大切にしなければならないと改めて思う。
コメント
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