標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

今更ながらクリスマス・プレゼントって何だろう? 親の夢かも!

2017-12-24 19:21:44 | 日記
私も幼少時からクリスマスが近づくと、ワクワクしていた。プレゼントがもらえるのと、何しろ冬休みになるから楽しみだった。夏休みとは違い、宿題がほとんどなかったという思いが残っている。さらに、私には、本来の宗教的行事や世間一般のクリスマスとは違った思い出がある。

何歳かは忘れたが、年を遡る、幼少時だ。枕元に靴下を置いて床に就いた記憶がある。朝起きたらプレゼントがあった。そして年を経て、いつ頃からか、父がそっと靴下の中や私の枕元にプレゼントを置く姿が思い浮かぶ。しかし、この光景はもしかしたら、時を経て親がプレゼントを用意するということが分かってから、上書きされたものかもしれない。


サンタさんが運んだ「うすと木ね」(30年ほど前)

そして、私が父になると、子供たちに気づかれないようにプレゼントを用意するというのが、楽しみとなった。末っ子の幼稚園時代、彼に「お父さんが、サンタさんにお願いするから、何が欲しい?」と聞いた。息子は、餅つき道具をねだった。驚いたが、サンタさんにお願いするよと言って、苦笑した。しかし、ホームセンターに行くと小ぶりのうすと木ねのセットが売っている。高さ25㎝ほどで直径30~40cmの楕円形で、木をくりぬいたものだ。イブの夜、息子が寝静まった後、そっと枕元に置いた。

翌日25日、子供が起きて、窓から「サンタさん。ありがとう・・・!」と大きな声で叫んだ。当時は、公団住宅の5階に住んでいたので、団地の別の棟に響き渡り、こだまが返ってくるようで、恥ずかしくもあり、うれしく感じたものだった。

子供の時はプレゼントが貰えるワクワク感、大人になってからは子供に気付かれないように、プレゼントの準備をする楽しさがあった。

ところが、後になって知ったのだが、息子はその当時プレゼントは親が用意することを知っていたという。幼稚園生活の中で現実を知っていたのだ。しかし、子供ながら親の夢を破らないように配慮していたらしい。

大人の夢は子供によって与えられ、子供によってかなえられるのだということを知った。この時のうすと木ねは、今も我が家の宝だ。
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