1週間前の11日に新幹線の台車の亀裂により、重大インシデントとして認定された。不名誉な認定である。「新幹線の安全神話」の崩壊だとテレビ、新聞で報道されている。そもそも安全神話とは「根拠がないのに絶対的に安全だと信じられていることがら」だ。安全性が保たれている時は使用されないが、崩れた時に使用されるという。
台車の構造・機械的な鉄道トラブルは、過去にもあったそうだ。新幹線でも、2010年に台車の中にある歯車で亀裂が生じ、車内に白煙が立ち込めたトラブルがあったそうだ。今回の車両は「点検時には異常がなかった」とのこと。これは自動車、航空機、電車などの事故後、よく聞かれるフレーズだ。だが、それでも事故は起こるということの認識を鉄道を管理するメンバー全員が抱くことが重要だと思う。
今回の事故の経過は次の通りだ。13時33分博多駅を出発。出発してから20分経たない13時50分ごろ、乗務員が「焦げた匂いがする」ということに気が付いている。それでも走行を続け、15時ごろには「もやがかかっている」と乗客から報告があり、乗務員も確認している。15時15分ごろ、岡山駅で保守担当者3名が乗車し、「うなり音」を確認したが、運行に支障がないと判断。16時ごろ、保守担当者が新大阪駅で下車、運転手と車掌が交代。16時20分ごろ、京都駅を出発後、車掌が異臭を確認。17時ごろ名古屋駅で、車両の床下で亀裂や油漏れを発見し、やっと走行不能と判断したとのこと。
名古屋に到着するまで、異臭、もや、異音が4回も確認されている。なのに3時間も走行を続け、5回目で判断した。走行不能状態になるまで引っ張ってきたことが、問題だ。個人を責めるわけではないが、新幹線を運行するJRの組織が、「安全神話」を信じてきたことが今回の重大なトラブルに至ったと言える。
ある新聞は「新幹線 安全神話に亀裂」とある。これを執筆した記者は、亀裂で済んだので、「神話が崩れた」とまではいかないという、パロディとして表題をつけたのだろう。人命にかかわる事故に至らなかったことは、幸いであった。
都市部の私鉄、JRはリスクについてはその回避に気を配っていると思われる。毎日のように、比較的小さなトラブルで、運行停止が行われている。相互乗り入れをしている他社の路線の運行もストップする。これは利用者にとっては、迷惑なことだが、リスクの回避・安全の確保にとっては、必要なことだ。私も現役時代には、乗り換えも含め、2時間弱の電車通勤をしていた。運行停止の機会に遭遇したものだった。私が利用している電車、次の日は同じ会社の別な路線、その翌日はJRが止まった。あすはどの路線が止まるのだろうかと思ったものだ。安全の確保のためには仕方ないとあきらめていたのを思い出す。
今回の新幹線のトラブルにおけるJRの対応は、異常をとらえながらも「大丈夫だろう」という「安全神話」を、複数のJR社員が、漠然と信じていたことにあるように思う。
わが国だけでないのかもしれないが、特にわが国のリスク管理の甘さが、また、露呈したといえる。
例えが適切でないかもしれないが、畑や庭の雑草処理でも、雑草が地面に這いつくばってからは、その除去に苦労する。小さなうちから除去するときれいな、畑・庭になる。