標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

「古典的な事件」というコメントに暗示されるが、贈答文化という悪しき慣習に一因がある?

2018-07-05 20:36:53 | 日記
昨夜、文部科学省の局長が、私立大学の支援事業をめぐって東京医科大学に便宜を図る見返りに、受験した自分の子どもを不正に合格させたとして受託収賄の疑いで東京地検特捜部に逮捕されたというニュースが流れた。
またも国の中枢エリートのニュースだ。これは、森友・加計学園問題と無関係ではないと思う。これが悲しいかな政治・行政の中に内在する、膿なのだ。

ニュースでは、さらに、文部科学省の男性職員のコメントとして「立場ある官僚がこのような古典的な事件を起こすなんて信じられません」と報じた。

私は「古典的」という言葉に注目した。今の政治・行政を語る象徴的な言葉だと感じた。
古典というより未だに古い体質が続いているのだと思う。

奇しくも7月は、「お中元」の時期である。私も中元・歳暮の時期は憂鬱だ。したがって、ごく親しい関係の人とのみ、お付き合いとして行っている。本来なら親しい人同士の中で行うべき、贈答なのだが、わが国の場合は社会化して、病院への謝礼、職場関係、そして、利害関係者への贈答となり、高じると贈収賄になってしまうのだ。

刑事法学者の土本武さんは、2004年に「日本における贈収賄の特異性と、法的規制」で述べている。「贈答文化が根付いている」と。欧米でもプレゼントの慣習はあるが、誕生日やクリスマスなどで、親しい人の間で、親愛の情や好意を表すものだという。

しかし、日本の場合は、贈る側の親愛以上の「ある気持ち」が託されているという。受ける側も暗黙裏にそれ(ある気持ち)を察知し、ある負担を感じる。負担を感じるから、相手のある気持ちに応じようとする。謝意の名の下に受け手に負い目、義理を感じさせようというのが、贈答側の本音だと土本さんはいう。

これが今回の場合は受託収賄罪に当たることになったのだ。

総理は、加計学園に関する獣医学部の設置に関しては、ゴルフやバーベキューは友達との付き合いの範囲であるので、罪にならないという。しかし、総理と学園理事長という立場でありながら、公然と行っている。(ことの真偽は別にして)認可に直接関わっていないとしても、受託収賄なみの良識外れの行為である。何らかの責任は感じても良いのだが、知らぬ存ぜずだ。

そして、今回の文科省の局長が逮捕された。防衛問題はジャンルが異なるが、森友、加計、今回の受託収賄容疑、すべて教育行政に関わる問題だ。

官僚や関係団体(学校)だけの問題にしないで、国として襟を正さなければならない時ではないだろうか。そうしなければ、世界情勢における国難に対応できないのではないか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする