単身赴任で函館のアパートに2年ほど住んでいたことがある。そのアパートの別な部屋には同じ職場にいる上司や同僚もいた。それぞれ、別々の部屋で、職場以外の妻帯者もいた。しかし、私は隣が同僚で、上の階には上司がいた。宿舎にいるような感じだった。
赴任した年の6月末に、職場の先輩が「7月7日は、アパートにいない方がよいよ」と言う。何故かと理由を聞くと、「この地域では、七夕まつりとして、夕方になると、近所の子供たちがお菓子を貰いに各家のドアをたたく。在宅する場合は、いっぱいお菓子を用意した方がよい」とのことだった。
この助言に従うという意思が、あったかどうかは忘れてしまったが、その年の7月7日は、単身赴任者の飲み会を行った覚えがある。
2年目の7月7日は、先輩の助言とは逆に、アパートにいた。飴玉を用意しておいた。単身赴任なので、一人一個で我慢してもらおうと、しかし、子供たちがドアを叩く音はしなかった。翌日、先輩から昨夜は、「子供たちはおとづれたかい?」と聞くので、来なかった旨伝えた。それは玄関に、笹飾りを掲げてなかったかもしれないねという。このアパートは単身赴任者が多いので、予め避けて通ったのかもしれない。残念な気持ち半分、ホッとした気持ち半分だった。今どき、飴玉一粒では喜ばないだろうなと思った。
残念なのは、子供たちの歌が聞けなかったこと。訪問されたなら、「竹に短冊七夕まつり 大いに祝おう ローソク一本頂戴な」と歌ったそうだ。歌が聞けたら、一番最初の来訪者には、チョコレートでも追加したかもしれない。
後で分かったことだが、この伝統は北海道でみられる七夕の伝統行事とのこと。特に函館は江戸時代から五色の短冊を掲げた柳をもって、太鼓などを鳴らしながら町を歩く風習があったとのこと。地方によっては歌の内容が、異なるが、いずれも「ローソクもらい」という風習だ。
そういえば、この函館の「ローソクもらい」を書いていて思い出した。私が小学校の頃、育った神奈川県大井町(旧金田村)で、冬だったと思うが、確か「さいのかみ」というが、行事を思い出した。思い出すのは、夜間、男子だけ集まり、徒党を組んで遊んだ記憶がある。当時も今もその意味は分からないが、この話は、もう少し調べて別な機会に語ろう。
「ローソク一本頂戴な」と似たような言葉かけで、各家庭を回って何かを集めていた。
函館での「ローソクもらい」が、体験できなかった。その思い出が、私の幼少時のおぼろげな記憶を呼び起こしたようだ。
七夕とは、その世界が「現実か、夢か、過去の記憶か」を問わず、何かを結びつけてくれるのかもしれない。
赴任した年の6月末に、職場の先輩が「7月7日は、アパートにいない方がよいよ」と言う。何故かと理由を聞くと、「この地域では、七夕まつりとして、夕方になると、近所の子供たちがお菓子を貰いに各家のドアをたたく。在宅する場合は、いっぱいお菓子を用意した方がよい」とのことだった。
この助言に従うという意思が、あったかどうかは忘れてしまったが、その年の7月7日は、単身赴任者の飲み会を行った覚えがある。
2年目の7月7日は、先輩の助言とは逆に、アパートにいた。飴玉を用意しておいた。単身赴任なので、一人一個で我慢してもらおうと、しかし、子供たちがドアを叩く音はしなかった。翌日、先輩から昨夜は、「子供たちはおとづれたかい?」と聞くので、来なかった旨伝えた。それは玄関に、笹飾りを掲げてなかったかもしれないねという。このアパートは単身赴任者が多いので、予め避けて通ったのかもしれない。残念な気持ち半分、ホッとした気持ち半分だった。今どき、飴玉一粒では喜ばないだろうなと思った。
残念なのは、子供たちの歌が聞けなかったこと。訪問されたなら、「竹に短冊七夕まつり 大いに祝おう ローソク一本頂戴な」と歌ったそうだ。歌が聞けたら、一番最初の来訪者には、チョコレートでも追加したかもしれない。
後で分かったことだが、この伝統は北海道でみられる七夕の伝統行事とのこと。特に函館は江戸時代から五色の短冊を掲げた柳をもって、太鼓などを鳴らしながら町を歩く風習があったとのこと。地方によっては歌の内容が、異なるが、いずれも「ローソクもらい」という風習だ。
そういえば、この函館の「ローソクもらい」を書いていて思い出した。私が小学校の頃、育った神奈川県大井町(旧金田村)で、冬だったと思うが、確か「さいのかみ」というが、行事を思い出した。思い出すのは、夜間、男子だけ集まり、徒党を組んで遊んだ記憶がある。当時も今もその意味は分からないが、この話は、もう少し調べて別な機会に語ろう。
「ローソク一本頂戴な」と似たような言葉かけで、各家庭を回って何かを集めていた。
函館での「ローソクもらい」が、体験できなかった。その思い出が、私の幼少時のおぼろげな記憶を呼び起こしたようだ。
七夕とは、その世界が「現実か、夢か、過去の記憶か」を問わず、何かを結びつけてくれるのかもしれない。