標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

世間では「就活年賀状」というけれど、私は「復活年賀状」を数年ぶりに書いた。

2019-01-06 22:11:34 | 日記
私は年賀状を出さなくなったのはいつだろう。5年は経っているだろうか。失礼とは思いつつも、頂いた年賀状の返事も書かなくなった。最盛期には100通を超える枚数の年賀状のやり取りをしていた。
現役を退いて長年続いた電車通勤を止め数年して、勝手ながら「過去とはきっぱり縁を切ろう」と予告もなく止めた。電車通勤の終了とともに人間関係も整理したかったつもりだった。

しかし、先方からの年賀状は届く。最近はだいぶ少なくなってきたが、ことしも20通弱届いている。これらの年賀状を見ていると、手書きで「お元気ですか」という文言が、書かれているのが多かった。中には、50歳半ばにして国家資格を取得したと、力強い豊富が書かれているものもあった。そして、今年の差出人は、そのすべてが、活動を通してお互いに通じるものがあった人達ばかりだった。仕事を通しての親交があった人からのものが最も多かった。

仕事以外では、大学時代の勉学・サークル活動でともに歩んだ先輩もいる。また、ある研修会で数か月間、研修も宿舎も同じで寝食をともにしたグループの一人からの便りもあった。
これらの差出人の名と文面を読んでいて、昨年までとは違う気持ちになった。
妻にこんな人から来ていると話しているうちに、返事を書いてみようかなという気持ちが湧いてきた。

昨日、私が伐採した木の片づけをしていると、妻が車のキーを手で掲げながら、「これから年賀状を買いに行ってくるね」と言い出かけて行った。
「年賀状の返事を書こう」と思った私が、具体的な行動を為さないので、妻が動いたのだと感じた。いよいよ書かなければならない。

それでも、妻がタロ(犬)の散歩に出かけている間に、私は外の作業をしようと作業服に着替えていた。その最中に妻たちが散歩から帰ってきた。妻は間髪入れずに、年賀状のレイアウトを作ってと私に依頼した。

パワーポイントで風景写真と私たちの住所氏名を書き込んだものを作った。余白が半分ある。差出人の一人ひとりにメッセージを書き込むためである。

妻が先に書いていた。私の筆が進まない私を見て、午後から買い物に行きたいので返事書きを早く済ませようという。促されて、私は作業服から外出着に着替え、テーブルに向かい書きだした。長年の欠礼に対しての簡単な謝辞と近況を添えて、一人ひとりの年賀状を読み直しながら書いた。書きだすと以外と早かったが、長年失礼をしていた人への返礼を覆い経ってから実行するまで、大分時間を費やしてしまった。

ニュースでは、「『年賀状を、今年限りで失礼させていただきます』と、平成最後の年の瀬を迎えた高齢者らの間で、年賀状を送るのをやめる『終活年賀状』『年賀状じまい』が広がりつつあるという。年末の負担を減らすとともに、人間関係を整理したいといった理由があるようだ」と流れていた。

私は「終活年賀状」に逆らってしまったようだ。でも、書いてみたいという気持ちになったのも歪めない。我儘で気まぐれかもしれないが、別な意味では素直に動いたに過ぎないと思っている。
コメント
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