標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

バブル期のリゾート地が廃墟と化しているという。理想の住処とは?

2019-01-07 20:54:13 | 日記
テレビ朝日のスーパーJチャンネルで、大洋村の生活を紹介していた。すべての人がそうではないだろうが、廃墟同然の家に住んでいる人がいるという。冬は最低気温がマイナスになるという過酷な環境の中、小屋で生活している人。また、バブル時代は幾つかのビル経営をしていたが、バブルがはじけ廃業。多額の謝金を完済した後、月額4万5千円の年金で生活している女性がいた。

この女性は、ガス代は払えず滞納している。電話代等で年金のほとんどを費やしている。食物はご近所の人に分けてもらっているという。家は、東日本大震災以来、窓は閉まらず隙間が空いたまま。風が音を立てて室内に入ってくるそうだ。これに海風が加わり家はだいぶ壊れている。雨が降ると水漏れで天井はシミだらけだ。こんな状況でも、「毎日海が見られて素晴らしい」と、厳しく、苦しい現実をも受け入れて生活されていた。エピソードを紹介する前の冒頭のシーンで、この女性が、総ピンクの服装をまとい、砂浜でペットボトルなどのゴミ拾いをされていた姿が印象に残っている。

この大洋村が紹介された頃、私もリゾート地生活にあこがれていた。新聞広告を見るたびに、窓を開ければ一面に広がる海岸と海と空、こんな海べでの理想郷の生活に思いを馳せていた。しかし、何せ都心から遠い。とても通勤できる距離ではなかったので、夢見で終わっていた。

そして、ある時宣伝広告を見て、山に不安はあったが、何とか通勤できる範囲だと、現実的な選択として今の土地“標高330m”に落ち着いたわけだ。

家の設計は、私自身で行った。資金の都合で、少しでも㎡数を減らすために当初の案よりはコンパクトになったが、当時としてはある程度理想の家だった。

しかし、住みだしてくるともっと収納エリアが欲しかったなど不足感が出てきた。
そして、現役時代は何とか生活してきたが、最近になり思うことがある。家の条件としては、「“平屋”で立地条件は“平地”で、“徒歩で買い物に行けるスーパーマーケット(欲を言えばとホームセンターも)”があるところ」だ。
ドライブの度に、妻も私も平屋の家を見つけると、「平屋だ!」とか、平地で大型店があるスーパーなどを見ると、「いいね!」とか、発する。だが、お互いに「そうだね」としか応答しない。

今となっては、“平屋、平地、店の近く”は理想郷だ。私達にとっては “(昔の)大洋村”かもしれない。
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