標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

吉田沙保里さんの引退表明。勇気ある決断に拍手を!

2019-01-09 19:55:54 | 日記
吉田沙保里さんが、昨日、ツイッターで引退表明をした。新聞や放送各局では特集を組むなどして、この件を報道している。「お疲れさん」というコメントや「まだやれるのに」など様々な意見が述べれられていた。

私にとってレスリングと言えば、プロレスだった。ただし、私自身は特別プロレスファンではなかった。父がプロレスのテレビ観戦が好きだった。興奮すると眼を開き、爪を噛みながらテレビ画面を凝視していた父の表情を思い出す。父が見ていたので一緒に見ていた。力道山やブラッシーなどのレスラー名を思い浮かべる。

やがて、世界大会やオリンピックで、日本人が活躍するようになって、はじめてレスリングという概念が私の中に根付いた。なのに、未だにレスリングのことを、プロレスと言ってしまうことがある。
小学校時代、「外国人」を見かけると何ら躊躇もなく「アメリカ人」と呼んでいたし、思っていたのと同じだ。

私のレスリングに対する関心は、上述した程度だが、吉田沙保里さんの競技には関心があった。それは、吉田さんは単にレスリングだけでなく、バラエティー番組、コマーシャルで顔を見るからかもしれない。だが、それらだけではない。吉田さんが競技後のインタビューで、力強い歯切れのよいコメント、父への感謝の言葉やその他の場面での朗らかで、明るい対応に好感を持ったからだ。常に他の人を配慮する姿勢には誠実さを感じた。吉田さんが出演する場面の後は、いつも爽やかさが残っていた。

テレビである人が、吉田さんのやさしさと明るさは、偉大な父親の存在があったからだとコメントしていた。レスリングについては3歳の時から妥協を許さない厳しく叱責指導してきたが、家庭では父親として、やさしく穏やかな父だったようだ。

スポーツ選手としての、見立ては私にはできないが、吉田さんという個人としてみると、今回の引退決断には拍手を送りたい。レスリング競技のファンや専門家からは、「東京オリンピックに出て欲しかった」という意見が多い。しかし、これらの意見は、ファンや専門家等自身の気持ちであって、決断は吉田さんが行うものだ。私は、もし、オリンピックに出場するとしたなら選手としての吉田沙保里さんを応援しただろうし、そうでなければ、吉田さんが選んだ選手以外の道を応援するのみだ。今回の決断に拍手と感謝を述べたい。

先日、テレビで吉田さんが笑顔で語っている姿を見ていて、妻と「最近、吉田沙保里さんは女性らしくなったね」と話していた。

吉田沙保里さんの引退後の人生が、一層素晴らしいものになると信じ、見守っていきたい。
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