標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

「5歳になれた」大阪なおみ選手について、“まいにちが誕生日”と熱く語る松岡修造さん。

2019-01-29 21:58:05 | 日記
昨夜のニュースステーションで、松岡修造さんが大阪なおみ選手の活躍について熱く語っていた。この番組だけでなく、試合直後のサタデー・ステイションやスポーツ報知でも同様の松岡さんのコメントが紹介されていた。

3歳から4歳になった、大坂選手が、決勝戦での勝利後インタービューに応え、「今日は5歳かな」と微笑みながら語っているLIVE中継の映像を思い出した。

松岡さんは、墨字で“まいにちが誕生日”と刻々と成長する大坂選手を褒めたたえていた。

決勝戦でのファーストセットの当初は、対戦相手のクビトバ選手のサーブに苦戦していた。しかし、サーブを受けるポジションを変えながら、相手にプレッシャーを与えると同時に、サーブを返すようになってきたと松岡さんは、動作を交えて解説する。

そして、セカンドセットでは、3度もチャンピョンシップポイントを迎えた。しかし、クビトバ選手に奪われてしまった。敗れた瞬間、大坂選手は、ラケットでボールをコートに叩きつけた。私も、ラケットを投げつけなかったのは幸いとひやひやした。

そして、迎えたファイナルセット。松岡さんは言う、「(大坂選手は)もう、負けると思った。きっとみんなそう思ったでしょう」。
しかし、大阪選手はトイレットブレイクを取り。コートに戻った時は、変わっていた。松岡さんは、「怖さを経験しながら、自分を取り戻した。無の状態になった。(大坂選手に)こんなことができた怖さを感じた」と言う。

トイレブレイクの後、「謙虚にならなければいけないと思った」と語る大坂選手。ファイナルセットでの大坂選手の表情は、確かに無表情であった。ポイントを取った時の“やった”というポーズもとらなかった。ポイントを奪われたときにも、嘆きのポーズは取らなかった。チャンピョンシップポイントの直後も、顔を伏せコートにしゃがみ込むだけだった。
私が知るそれまでの感情をあらわに表現する大坂選手とは別人だった。感情を抑え、プレイに集中する大坂選手だった。

松岡選手は締めくくる、「(大坂選手は)グランドスラム力を得た。トップスターになった」と。

私もテレビ中継を見ていて、決勝戦の各セットごとに、これほどの成長が見られた選手は、見聞きしたことがなかった。
ドラマよりドラマチックだった。試合は、大坂選手にとっては長い時間だったと思うが、私にとってこの決勝戦での大坂選手の成長は、感動的な時間だった。

月並みかもしれないが、“生きる”というすばらしさを味わえた。3日経った今でも大坂選手の数々のシーンが思い出される。改めておめでとう、そしてありがとうと感謝を述べたい。
コメント
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